2014年12月5日の日記

 昨日の夜と今日の午前、それから午後の数時間はずっと宮崎市定の日本古代をテーマとした論考を読んでいた。七支刀のことについて書いた文章や、自由な発想でもって日本古代のことについて概説した文章などを読んだ。宮崎が活躍したのは戦後であり、その時代には戦争の負けた日本の、歴史や文化までも否定し、貶めるような言説が幅をきかせていた。戦前には全世界の文化は日本から生まれたものなので、日本人こそが世界を統率していくのにふさわしい民族なのであるという言説が主流であったのにも関わらずである。こういう極端な態度は歴史家であるならば、また歴史に少しでも敬意を支払おうという人ならばとるべきでない。日本という国は海によって下界から隔てられているのは確かにしても、外国の影響を全くうけずにここまで発展してきたわけではないのだ。宮崎市定は「世界史の中の日本」という見方を非常に大切にした。確かに日本には「日本にのみ興味を持つ人」か、「外国のことにのみ興味を持つ人」が非常に多いように思われる。それは現代でも変わらない。我々はもっと「歴史」というものに対し、誠実な態度でもってのぞまなくてはならないと思う。全員が無理ならばせめて志がある人だけでもそうしなくてはならない。

 …まあ本を読みながらこんなことを考えていたわけだ。宮崎市定の本は面白い。それは彼が素人が読むことも想定して文章を書いているからだろう。そのおかげで私は歴史の世界を楽しむことができるというわけである。思えば後世に名を残すような大学者というのは、辺境の人、末端の人にむけた視線というものを皆持っていたように思う。学問の究極の目的が、ひとつの暗がりにひそむ生き物を、また別の暗がりに住む生き物と結びつけることにあるのだとすると、大学者がそういう資質を持つようになるのもまた必然のことなのかもしれない。

 おとといの夕食は豚汁に納豆であった。
 

 昨日の昼食はちゃんぽんであり、夕食は鮭に前日の豚汁の残りであった。今日の昼食は中華丼。

 もう2日も外に出ていない…

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