勝手に"思いやられる"ことの苦痛

「○○したくない」という主張に対して、
「(本当は○○したいけどーーだから)○○したくない」って勝手に解釈する人が多すぎだと思う。

僕は一人旅が好きです。一人旅"が"好きなんです。景色や匂いに浸るのに、隣に人なんか要らない。
なんで「本当は人と行きたいけど誘えないから」とか、そういう解釈をされなきゃいけないんだ。

僕は恋愛なんてこりごりです。自分の時間を過ごしたい。煩わしい人間関係なんてこりごりだ。
なんで「モテないから強がってる」とか勝手に解釈されなきゃいけないんだ。
(まぁ実際モテないけど、そもそも別に必要も感じない)

僕は今までの人生が嫌いです。自分の今が、過去に根差したものだなんて思いたくない。
なんで「人生を好きになる方法」なんか聞かされなきゃならないんだ。

なんでこんなにも価値観を押し付けられなきゃならないのか。きっと「認知的不協和」って概念が広まったせいだろうと思う。
「状況を受け入れるために、自分の心にウソをつく」。そういうメカニズムとして理解されてしまったがために、
「本当は好きだけど嫌いだと思い込んでいる」って説明をつけやすくなってしまっている。
この「本当は好きだけど」がクセモノ。そう思ってしまった人間は、「本当は好きなら、好きになるべきだ」とか言って"善意で"人の心を踏みにじり始める。
俺は本当にそれが嫌いだし、それが思い込みだとしても今この瞬間俺はそれが嫌いなんだ。

手前の価値観で、みんながみんな幸せになれると思うなよ。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?