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諦めきれないことがある人は愛おしい

 祖母と父と話したとき「伝統を継ぐお仕事っていいよね」という話をした。美術品の保管であったり、伝統工芸品を作ることであったり。その人だけができるわけじゃないかもしれない。けれど、ずっとその技術はなくならないし、一生ものだ。

 最近新しい仕事を始めて、やっぱり人と関わる仕事が好きだと思った。その一方で、人と関わらないところで貢献する人ーー洋服を作ったり、景観を維持したり、機材のメンテナンスをしたりするーー見えないところで働く人にも、すごく憧れがある。でも、それをしないのはなぜなんだろうと考えたとき「あ、私はモノに対しては諦めてしまうからかも」と気づいた。

 もしかしたら、人は諦めきれないことを仕事にするのかもしれない、と。

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 自分にはどうしてもできないことがあると諦めがついたとき、いろんな職業に就く人たちを見る目が変わった。

 美容院に行くと「人の髪を切れるってすごいなー」と感じる。自分じゃハサミを入れることも怖いし、そもそも切るのが面倒だとも思ってしまうからだ。
 ショッピングモールの花壇に植えられた花を見ると、「これを管理している人がいるんだよなぁ」と感心してしまう。つい流し見してしまう風景の中に、人の手が加わっていることがすごい。

 私はどうしても、モノに関する執着が薄い。料理はたまにするのに、包丁はもともと家にあった果物ナイフだけで満足。ベルトがないけど買うの面倒だからいいや。そんな風に、買った方がいいけど買わなくてもなんとかなるモノに関して、とことん興味がないのだ。

 でもきっと、料理にこだわりがある人ならいい包丁をすぐに探すだろうし、洋服選びが好きな人ならベルトだってチャンスだと言わんばかりに買いに行くだろう。

 「好きになるのって結構大事おおごと」という話を聞いて、確かにそうだなと納得した。買い物をしていて「これは買いたい!」と思えるものは、やっぱり買った方がいいのだ。人生で出会うものの大半は「興味ないや」と思いスルーしてしまうのだから。それに比べたら、そんな風に心動かされるものは大切にした方がいいよなと。

 そういうものが、私にとって人だったんだと思う。人に関してはどうも諦めがつかない。こんな風に意地悪言うけど、もしかしたらいい人かも、とか。言い方厳しくて怖いけど、でも言っていることは正しいよな、とか。人といるときはどうしても、自分の心が動かされる機会が多い。それは、人に対して興味があることに他ならないのだと思う。

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 仕方ないで済ませられないことは、やっぱり好きでも嫌いでも興味があることなのだ。仕事がうまく行かないときがあっても、「まあいいや」「しょーがないか」とならず「じゃあどうしたら上手くいったのかな」「でもどうしても無理!どうすりゃいいんだよ!」となることは、得意不得意関わらず、一生付き合っていけることなのかもしれないと。

 春になって、新しい環境に身を置く人も増えるだろう。そのとき、どうしても諦めきれないものが出てくる人もいるかもしれない。友人関係や、仕事のことでも、なんでも、そういう風に諦めがつかないものを見つけたら、その中に自分が大事にしようとしていることが秘められていると思ってみてほしい。

 そして、そういう謎のこだわりというか、諦めきれないことがある人のことが、私は好きだ。私自身、そういうことが少ないからだと思う。話を聞いていて楽しい。だから、ちょっとでも安心してほしい。あなたが諦めきれないことに悩んでいるとき、きっと誰かが(少なくとも私が)、そういうところが素敵だと、愛おしいと思っているだろうから。

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