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【七十二候】「玄鳥至る」【第十三候】

「二十四節気」の「清明」(せいめい)


まだまだ春の程良い陽気が続く今日この頃。。。

いかがお過ごしでしょうか?


「清明」
とは、聞くだけでいい響きですよね〜♪( ´θ`)

清明とは、すべてのものが清らかで生き生きするころのこと。
若葉が萌え、花が咲き、鳥が歌い舞う、生命が輝く季節の到来です。

『日本の七十二候を楽しむー旧暦のある暮らしー』より

(「性命」とか「星命」とか、同じ音というのもあるのかな?笑)

さておき、

「清明心」という言葉が神道でも大切にされており、

「清く明らかな心」神様をお迎えできる理想の状態を言うわけです。



他にも「正直の頭に神宿る」と言われる通りで、

素直」という姿勢も同様に尊ばれているわけですね。

(「氏名は使命」と心得て、心身を正さなければ。。。)

「玄鳥至る」(つばめいたる)


前候では「雷」の様々な呼び名について触れました。


さて、今回は「七十二候」のうちの【第十三候】に当ります。

海を渡って、つばめが南からやってくるころ。
また去年の巣に戻ってくるだろうかと気にかけたり。
(新暦では、およそ四月四日〜四月八日ごろ)

同上

燕が春の到来を知らせてくれるわけですね。


商店街などの店舗の軒先に巣を作り、

雛たちが餌を求めて鳴く様子など、見ていて飽きることがありません。(^ ^)


「清明」に関する謂れ


「清明」に関して調べていると、興味深い内容に出会いました!

旧暦三月の初めは、二十四節気でいう「清明」になりますが、この日には古くから、野に出て青い草を踏み春を楽しむ「踏青(とうせい)」と呼ばれる風習がありました。もともとは中国から伝わったもので、中国では現在もこの日を「清明節」として、先祖の墓参りなどに出かける祝日としています
旧暦の風習を今も残す沖縄では、この日を「清明(シーミー)」と呼び、親戚一同が、沖縄ならではの大きな亀甲墓の前に集まって、泡盛やごちそうを先祖に供え、先祖と共に大宴会を開きます
この「清明節」や「踏青」の風習が、おそらく現在の花見に繋がったであろうことは容易に想像ができます。花見といえば桜ですが、この桜の花もまた、古くから「田の神」が降りてくる依代として考えられてきた花でした。冬の間に山に帰る神は、このころ里に降りてくるといわれます。お花見とは本来、神や先祖の霊をお迎えして春を愛で祝うというものだったのかもしれません。

旧暦くらし研究会『おりおりに和暦のあるくらし』より


今では仲のいい皆んなと公園などの桜の木の下に集まって、

お酒を飲んだりして楽しむ「花見」の風習ですが、


中国や沖縄に残る「清明」にまつわる風習から、

神や先祖といつも共にあった暮らしぶりを思い出すことができますね!^ ^


ちょうどつい先日、沖縄の宮古島に行ってきたところでした。

沖縄に残る御嶽(うたき)

宮古島はとりわけ人口あたりの御嶽(うたき)の数が多いそうで、

人手不足でほとんどが放ったらかしだという現状も知ることになりました。


暦の本来の意味を知るとともに、

先祖や天地自然に感謝を表した暮らしを取り戻したいものです。m(_ _)m


今回もお読みいただき誠にありがとうございます!!(^O^)

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