中国の夫婦別姓と武則天

夫婦別姓が最高裁で否定されて問題になっていますが、「姓」というなら昔ある先生からうんちくを傾けていただいた通り血族を示すので、中国式に結婚しても姓はお互い変えないのが正しいのです。だって結婚してもお互いの血族が変わるわけじゃ無いですからね。当然ですが夫婦は血は繋がってない。

ただ漢民族は(何が漢民族なのかはまた難しい問題なのですが)、現実はともかく建前は男尊女卑なので、子供は父親の姓になります。唐王朝の始祖李淵はそもそも漢族ではなく大野(だいや)氏という胡族でしたが、朝廷を開いたとき李という漢族風の姓を名乗りました。4代目かの(今ちょっと当てずっぽうで書いてますが)皇帝高宗はそのまま李さんですが、その奥さん、つまり皇后は武さんでした。

この武皇后というのは凄まじい人で、そもそも元々高宗には王皇后という皇后がいたのに、高宗に取り入って王皇后を追いやって皇后の地位に就きました。最初の旦那の高宗の死後皇太后、太皇太后に収まって朝廷を操ったまでは中国史上よくある話なのですが、なんとついに李家を倒して自分が女帝になっちゃいました。武則天です。国号を周としました。

周と言ったら、殷周革命で天から国を授かって理想的な政治を始めたという有り難いいわれのある王朝で、それと同じ名前の王朝建てちゃったっていう凄い話です。しかも中国史上唯一の女帝。垂簾の政をやった皇后や皇太后は幾らでもいますが、自分が皇帝になった女性って言うのは中国ではこの人だけです。西太后だって自分は皇帝になりませんでしたからねえ。

しかしこれはやはり中国人にとってはあまりに異常だったらしく、結局死の床についたとき、大臣に迫られて李家の子孫に皇帝の位を返し、李家の唐王朝がまた始まったわけです。周は彼女一代で滅びました。

漢族の建前は男尊女卑と言いますが、中国の女性は強い、特に唐王朝の女性達はちょっと強すぎた。武則天の他にも色々な女性が国を引っ掻き回して、大変だったのです。

でも武則天の為に一言言い訳しておくと、この人は政治の天才だったそうです。武則天の統治時代、天災はしばしばありましたが彼女は優秀な官僚を引き上げて見事に国を治めました。外国との戦争はしなかった(筈)。人を見る目があって政治の才能があるとみるとバンバン登用したそうです。一応、これ、言い訳。

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