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[短編小説]縛られ幽霊と夕陽のお友達

ホラー、幽霊もの。友情もの。百合要素あり。


学校の屋上で友達が来るのを待ちながら好きな漫画を読み、だらだらと過ごす。俺はそんな放課後の、少しゆるく流れる時間帯が、とても好きだ。

手にしているのは古ぼけたコミックスの一冊。もう何度も読みすぎたせいでその表紙はぼろぼろだ。そうなるくらいに俺はこの漫画の主人公の人間の王子とライバルである魔界の王子の友情が大好きで、一番盛り上がるシーンなんて、何度読み返したことか分からないほどだ。憧れと言ってもいい。

人間を頑として信用せずに敵として辛く当たっていたはずの魔界の王子が、やがて共闘を経た後「いらねぇからやる」とぶっきらぼうに言いながらも、袖口についていたボタンを引きちぎり投げて寄越す。そのまま転移魔法で去ってしまったせいで人間の王子にはその時点ではまだ知らされなかったのだが、ボタンには魔界の王家の紋章と服の持ち主の魔力が込められていて、それを持つ者はいつでも王城に足を踏み入れることが許される。それは不器用な魔界の王子なりの、重すぎる友情の証だったりするのだ。

実は読み込みすぎてそらで朗読さえできてしまう勢いなので、本自体はいらないと言っても過言じゃない。が、それだと斜め上方に漫画を妄想しながらうすら笑う変な男になってしまう。

……いやいや、ここは意識してメンタルの方も「漫画を読むタイプの陽キャのキャラデザ」になるべく寄せていきたい。せっかく、友達に監修してもらって過去の「見るからに陰気なオタクキャラ」からいい感じに見た目をアップグレートさせたのだから、その外見に合わせて明らかにオタク丸出しな態度は慎んでいこうか、俺よ。変とかキモいとか思われなくなるだろうし、どうせきっとその方が都合がいい……。

そろそろ読書も退屈してきたので、俺は一度本を横に置く。いまだ付け慣れない右耳のピアスを手探りして気にしつつ、屋上から身を乗り出すようにして下に位置する中庭を覗き見た。

女子生徒が一人、ぽつんと所在無さげに立っている。俺はそれを、何でか引き寄せられるような気分で眺めることになった。

綺麗な子だと思った。背中まである長い黒髪はつやつやと触り心地良さげに夕焼けの紅を反射しながら揺れている。上靴のカラーで同じ学年、二年生のように思えるが、自分はこれまで見たことがない、覚えがない子だ。

まるで、幽霊みたいだ……。

絶妙な髪の長さと、所在のなさ。うつ向きがちな目線。そして、線が細い。確かに華奢な体型というのもあるのかもしれないが、それだけじゃなさそうだ。

まるであの落ちる直前の太陽が放つ強めの光に、その輪郭が溶けているようにも思える。そのまま消え入ってしまいそう。そのくらいにひどく繊細な存在感で、思わずこの目を擦ってしまいたくなる。もし錯覚でないのなら、あれはこの世のものではないのかもしれない、などと考えて。

実は、この学校にはひとつ怪談がある。かつていじめを受けた生徒が校内で飛び降り自殺をした過去があり、その霊が放課後になると現れる、というやつだ。俺が今いる屋上の真下、そして彼女が立ち尽くしているちょうどその辺りが死体発見現場と言われている。

よりにもよってそんないわく付きの場所に、加えてそれらしさ満点で立っている存在なんて。思わず「そう」なのかもと認識してしまっても仕方ないじゃないか。

しばらく彼女は心ここにあらずな顔つきで現場を歩き周り、やがて校門を出て帰っていく。まるで霊がフワついているかのように、よろよろと。

それ以降、何度も俺は同じ場所で彼女を見かけた。放課後の部活がある者もそろそろ片付けて帰ろうか、と言い出す時間帯になると、必ず彼女はそこに1人でいることが多かった。人の気配が極めて薄くなったこの時間帯を狙ってフラフラと歩き回っている様子を、屋上にいる俺は毎度上から見下ろしていた。一見、特定の用事があるようには見受けられず。その目的地もなさげなふわふわした足取りは、さながら浮遊霊だった。

本当に生きている存在ではなかったり、なーんてね。などと最初は流していたが、友達に聞いてみるとみんな揃って「そんな子知らない」と言う。

つくづく不思議な子だ。俺はどうしてそんなにあの子が気になるんだろう……。いまいち実体を感じられないままだが、いつかあの子とすれ違ったり直接話したりはできるのだろうか。名前も知らないけど。

そんな来るかも分からない「いつか」を待ち望んでいる事実に妙にそわついていたある日。俺は彼女の存在をようやく強く認識することになった。

俺が例のごとく屋上で友達とだらけていたその日。ドア越しに女子2人の会話が聞こえた。何だか揉めてるようだが、声だけで誰なのか分からない。悪いと思いつつ友達にも黙るように言い、結果盗み聞き状態になってしまう。だって、俺はここから動けないから。今彼女たちの前に堂々と姿を表すわけにはいかないと思う。そんな胆力は持っていない。

要約すると、変な年上彼氏に引っ掛かった惚れっぽい女子を、その友達が叱っている様子だった。「一緒に出かける用事があったのにそれよりあんなクソ男とのデートばかり優先するなんて」とか聞こえる。やがて「あんな男といるくらいなら、親友の私を優先させなさいよ!ずっと友達だって、誰より大事な親友だって、私、言ったじゃない!同じ気持ちだって、言ってくれたじゃない、あれは嘘だったの?」などと話はエスカレートしていき、しまいには「何よ、彼氏彼氏って、バカみたいに!」とか「言い返しなさいよ!意思ないの?そんなフラフラ浮遊霊みたいにしてる香澄となんて、もういたくない!」という大声とバタバタと人が立ち去る足音を聞くことになった。

……さて。俺はここで一人残されることになった女子の行き先について考える。友達を追うか、追わずともそのまま帰るのなら別にいい。問題は、相手がドアを開けて屋上に足を踏み入れる判断をした場合、だ。警戒心を抱かせないようにするべきか。それとも、正体を明かすのか。立ち振舞いを考えなければならない。

固唾を飲みながらドアを見守っていると、やがてドアノブが回る音がした。金属扉の高めの音がよく響く。人が入ってきた。これはまずい、と思った。が、直後に、ラッキーとも悟った。

あ。幽霊の。
あの子じゃないか。

俺の中で不安より「ちょっと気になってた謎の女の子が自分から俺のテリトリーに来た」というソワソワ感の方がやけに高まってしまい、つい早口小声で「ああ、ほら、みんな、あの子だよ」と友達相手に呟く。友達もみんな、何だかざわざわしている。

近くで見ると、彼女の長い髪と、その目の焦点が合わずに呆然としている感じが、ますます幽霊っぽい。彼女は友達との口論の結果、大きくショックを受けているらしかった。

やがて虚ろな目線が俺の姿を捕えてしまう。こうなると、単なる不埒な立ち聞き男だと思われることは避けたくなった。それに、単純に彼女自身への興味もあった。

……話しかけよう。

昔は見るからにオタクな見た目だったが、ここ数年は周囲のアドバイスや贈り物のお陰で俺の見た目もずいぶんと変わったのだ。

担任だった鈴木先生からは「せめてその前髪、どうにかしなさい」とヘアピンを、三年の御崎先輩からは「お下がりな」とこれまで着たことなかった少し派手な色の赤のパーカーをもらった。グラサンは足立くんから。足立くん本人も俺も堂々とかける勇気なんてなくて、今や俺の胸ポケットから覗いているお飾り状態だけど。ピアスは泉ちゃんで、これはユニセックスでシンプルだったからデザイン自体には大きな抵抗はなかった。ごちゃごちゃのそれらをまとめておしゃれにコーディネートしてくれたのは勇くんだ。無造作に二本平行につけていたヘアピンを✕印につけたり制服を着崩したり。そんなこと、オタクには考えつなかった。さすが仲間の中で髄一のイケメン。

そんな、昔よりずっと垢抜けたと言える容姿になった今の俺なら、きっと、会話くらいは。ふいに御崎先輩に「おめー、もっとハキハキ話せよな。顔も上げろや」と凄まれた記憶が甦る。その通りにしよう、と誓った。まるでみんなにそっと背を押されているような気持ちで、俺は彼女の目の前に立つ。

「……大丈夫?」

心配するそぶりで話しかける。話し掛けられると思っていなかったようで、びくりと大きくその肩が震える。

「あ……人が、いるとは、ごめん、なさい」

ようやく聞けたはずの声は途切れ途切れで、まるで蚊が鳴くような小ささだった。そのまま慌てて踵を返して出て行きそうな雰囲気を察して、俺は微笑んで見せる。

「 謝る必要はないよ。そもそも俺だけの場所でもないし。この辺りは普段は誰も来ないし、泣きたい気分の時はいいよね」

そうすると、少し安心したようで、走り去る判断はせずに何とかその場に留まってくれた。

屋上にはあまり人が来たがらない。放課後の夕暮れ時には。だからこそ、友達に馴染めないヤンキーとか、コミュニケーションが苦手で人が嫌いな奴とか、寝不足の奴や人目を避けたい教師とか、悩みがあって1人になりたい人間なんかがちらほらとやってくるのだ。

きっとこの子も「人と言い合いしても他人に聞かれにくい、人目のない場所」や「一人になって考えるための逃げ場」を求めてここにやってきたんだろう。だったら、そのままいればいい。俺に追い出す気はない。

「あの……じゃあ、今だけ……少し休んだら、もう行くつもり、だから」

少しでいいからまだここにいたい、という彼女の意思に応えて、俺は「この辺りにどうぞ」と示すように一歩下がって見せた。彼女はそれまでは何とか我慢していたらしいが、途端に糸が切れたかのようにその場にペタリと座り込んでしまった。そのまま体操座りの体勢になって、顔を膝頭で隠す。けれど、両の瞳からはらはらと涙が零れ落ちるさまがどうしても隙間から見えてしまう。

やがて嗚咽が聞こえ始めた。俺はひとまず何も言わず、彼女の嗚咽や鼻水をすする音なんかが耳に届かなくなるまで放置することにした。一人で泣きたい相手にみだりに話し掛けるもんじゃない、それくらいのマナーはとっくに知っている。かつて実際に隠れて泣いた過去がある者として。

屋上に設置してある、簡単に乗り越えられるほどの低さの手すり。そこに俺はもたれ掛かり、ぼんやり斜め下の地面を眺めながら「あそこに立っていたはずの子が今確かにそこにいるんだな」と少し不思議な気分になる。彼女のその嗚咽は意外と耳障り良いものだった。やがて泣き声も鼻水の音も落ち着いてきて、俺は会話の糸口をようやく得る。

「話、聞くよ?俺でいいなら、だけど」

深追いはしない。「いえ、別にいいです」と言われても構わない。だからそんなに気負わなくてもいい。そう示すように、言葉尻を優しくして微笑んで見せる。

「これでも俺、元は赤の他人でも、こんなふうにこの場所で相談したりされることで友達になってきたって奴、いっぱいいるんだ」

悲しみを抱えている人間の相談に乗る時間は、相手を癒しているようでいて、俺自身にとっても古傷を癒せる時間だ。段々と落ちていく夕日を遠く眺めながら静かに語り合う状態は、案外悪くないものだ。程好い光と闇は落ち着きを促進する。

「昔は俺だって友達なんてもの、1人もいなかったよ。本当にずっと…結構長い間ね。でもそんな俺でも、もしかしたら友達になれるかも。君とも」
「……なにそれ、ナンパ?」

彼女はこちらを見ないままポソリと返してきたけれど、その声色は幾らか笑い混じりだった。俺への警戒心が少し解けてきたようだ。やっぱり、女子に警戒されにくいこの顔は便利だ。元のオタク丸出しの俺だったらこうはいかないだろう。

「そう思ってくれてもいいよ」

どうとでも取れるような言い方をすると、彼女は顔を上げて、幾らか探るような目つきで俺を見つめてくる。

「……まさか、悪い人だったりする?改めて見たら、何かちょっと見た目、ちゃらいし」

ちゃらく見えるのか、今の俺の見た目は。客観的に見るとそうなのか。女子目線で見た今の自分は、確かに相手に「あのキモいオタク野郎に相対する時の不安感」を与えてはいないようだ。ようやく安堵して、少し勇気が出る。

「悪……まぁ、そうかもね」

悪い人というのは、確かにそうかもしれない。ついさっきまで泣いていた女の子とあわよくば、とお近づきになろうとしている奴だ。女が弱っている所に漬け込もうとしているじゃないか、と指摘されれば確かに全く否定はできない。

「不安ならこのまま帰ってもいいよ。1人で抱え込みたくないなら、聞くけど?ってだけ」

でも。俺はこうして選択肢を与えているじゃないか。話さなくてもいいんだと。嫌ならこのまま立ち去ってしまえばいい。俺だってドアを開けて出ていく人のことまで追いかけはしないからね。

結局、彼女はコクンと頷く。だから、改めて、俺は彼女の横に静かに座った。

彼女は自分のことを「香澄」と名乗った。カスミ、霞み。その名前まで消え去りそうな響きだと、正直思った。自己紹介を終え、そうして香澄ちゃんは悩みの全てを話してくれた。

唯一の親友である優華ちゃんーー言い合いをしていたあの子のことだーーがテニス部所属で日々熱心に部活動に励んでいて、どうしても練習がある朝や放課後や休日は一緒にいられず、たまにひどく寂しくなること。その優華ちゃんが最近、ことあるごとに妙に重い友情で接してきて、恋愛感情かと見紛うほどのそれにどう接すればいいのか悩んでいること。恋人は欲しいけど女同士は、と逃避するように無理やり彼氏を作って、それがまたろくでもない男だということを毎度繰り返していて、更に彼女の怒りを買っていること。

「それにしても、ずいぶん怒ってたみたいだね、その、優華ちゃん。ドア越しなのにしっかり声聞こえちゃってた」
「そう、だね。今回はさすがにもう駄目かも……見限られちゃうかも……。でも……私には優華だけしか友達いない、から」

香澄ちゃんは一度話し出すと、意外とその見た目に反して饒舌な子だった。これ以上は泣きたくないようで意識して気持ちを抑えようとしているものの、ほとばしるような不安に空気がビリビリと震えている。

「は……こんな長く、自分の話聞いてもらえたのって、初めてかも……ありがとう。優しい、ね」

そんな精神状態でも、香澄ちゃんは一応のお礼を言ってきた。震えがにじむ声でそう口走って、笑みを作る。崩れそうな口元を必死に持ちこたえさせようとして、あえなく失敗した。

……ああ。背後にいる俺の友達も。一緒にザワザワと震えている。

「ねぇ、そんなに悲しまないで」

意識して優しく優しく問いかけると、視線が上がる。視線の中に、どこか期待のようなものがほのかに浮かんで見えた。さっきの一連の相談の中、「恋人は欲しいけれど女同士は」というフレーズがあったことを、俺も意識する。

香澄ちゃんは、意外としたたかな人間だった。こう見えて。幽霊ではなく、生々しいまでに人間だった。そこのところ、俺は少しなめていたのかもしれない。

次の彼氏が欲しい。利用できるような、優華ちゃんの盾になってくれるような。つまり、香澄ちゃんは優華ちゃんと男の間で、ずっと宙ぶらりんでい続けたい。破局すればまたこれまで通りにひどい目に遭ったと泣いて優華ちゃんの所に戻るのだろう。

行くべき道が見えているくせに無理やり遠回りをしようとして、必死になっている。結局、ここまで香澄ちゃんを困らせているのはクソ男自体じゃないのだ。

きっと俺のこの見た目は香澄ちゃんの需要に応えられる……。香澄ちゃんに何らかの打算があるなら、俺にだって色々あってもいいはずだ。

俺は香澄ちゃんの無言の提案を含んだお誘いに相乗ることにした。

「最悪、例え君が優華ちゃんに嫌われて1人になってしまったとしても、俺と一緒にいたら良くない?そしたら寂しくないよ……?」

手首を掴むと、やはり細い、小さい。するりとその手の甲を指先で撫でてみると、ピクッと指先が動く。

「あ、の……私」
「君には優しくしたいな」

戸惑いを含んだ声に、けれども少しの甘さが混じっている。感触は、悪くない。漂わせている視線にも許容の気配が乗っている。

下らない男に騙され親友と喧嘩した香澄ちゃんの心は、もう既に極限まで弱っているようだ。元々依存心も強めなのかもしれない。会ってすぐの男でもここまでスルリと忍び込めるくらいに。

香澄ちゃんの瞳が、今や悲しみ以外の感情でも揺れているのが分かる。恋人が欲しい、と言っていたのは確かに事実なのだろう。振り払われないのをいいことに、俺はそのまま指を這わせてしっかりと手を繋いでみる。

「……っ」

する、と互いの指先が擦れ合うたびにその息を詰めるものの、香澄ちゃんは逃げはしない。完全に許容されている……ちょろい。俺の本質は昔とそう変わらないはずなのに。見た目を変えただけでこれだ、あまりにも首尾よく行きすぎているのではないか、と不安になるほどだ。

「あの子と違って、俺はどこにも行かないよ」

そんな生まれてこのかた一度も言ったことがない甘ったるい台詞を選んで口走る自分に、思わず口の端から笑いが漏れそうになるのを噛み殺す。けれども喜びを抑えきれず、胸のうちの何かが急激に膨れ上がっていく気がした。

ああ、だめだ。もう気持ちを押さえきれない。
いよいよ俺が彼女を抱き締めようとした時だった。途端、ぐずり、と身体の線が崩れる。友達みんなのざわめきもいっそう大きくなる。

「ねぇ、ずっと一緒にいよう。ずっとずっと」

まるで浮遊霊みたいにふらついてる君と。
ここからどこにも行けないーー地縛霊の俺で。

「ひとつになろうよ。そしたら寂しくないよ……」
「ひ……っ」

人間らしい身体の線をぐずぐずと失っていく俺に、香澄ちゃんの顔がざっと青ざめていく。ここにきてようやく必死に逃れようとする手は、当然、決して離してやらない。

「い、嫌、やぁ……」

耳を震わせた声に、視線を移すと、へたり込んだ彼女は、目を見開いたまま俺の顔を凝視して頭を振っていた。ガクガクとその膝が震えている。その視線の先を悟って、ああ、と俺は頷いた。俺のちょうど足があるべきところに絡んだぶよぶよの肉色の固まりのようなもののごく一部、そこがうごめいていたかと思うと、俺の見知った人の顔を形作った。

だ、め、だ。

口走った「それ」は俺と全く同じ顔をしている。
いや、彼は俺のここ最近の一番新しい友達だった。勇くんだ。勇くんが俺から離れようと足掻くたびに、俺の顔もズルズルと形を失いかける。

へえ、まだ、逃げようとしてるんだ。あんなに嬉しそうに「顔のこと話題にしない友達嬉しい」って言ってたくせに、勇くん……。

「だめだよ、勇くん。俺たちずっと友達でしょ」

意識して勇くんの頭を肉の奥に引き込んで黙らせると、やっととろけていた俺の顔も安定した。けれど、今度は手元が騒がしい。俺から逃れようとして香澄ちゃんが死に物狂いに暴れていた。

やはり、怯えさせてしまったが。毎度仕方ないこととはいえ、正体を現した瞬間は後味が悪い。

誘い込んで仲良しのふりをして殺した友達の魂を何人も取り込んでいくたびに、俺の魂の形もいつの間にかこんな、人の皮膚やら血やら骨やら内臓やら何やらがぐちゃぐちゃのひとかたまりの肉塊になったような、黄土色や青黒色や赤色混じりのぶよぶよの異形になってしまったのだ。

「俺はね、友達がいらない、っていったものをもらうことにしてるんだ。この顔はね、勇くん。彼は顔がイケメンなばっかりに修羅場に巻き込まれてね、争う2人の女の子の片方が刃物を持ち出す暴力沙汰になった。そのことで悩んでいてーー屋上にやってきた。だったらこんな顔なんていらなかった、そう言って泣いてたよ。だから、優しくして慰めて、そして、奪ってあげたんだ」

怯えて泣き叫ぶ声をBGMにしながらこの肉塊に取り込んで、俺の顔にした。

「あとね、パーカーはね、御崎先輩っていうヤンキーの人のでね。ちょうど俺のお腹の所にいたんだけど、ほら、この傷のとこ。喧嘩大好きでね。頭につけてるこのピンは俺の最初の友達からもらった。担任の先生だったんだ、鈴木先生。俺がいじめられてるのに止められなくてごめん、私が友達になる、ってこれくれて。でもあれはすっごい昔だから、もう先生どこか分かんなくなっちゃったな。でもピンは今も気に入って使ってるんだ」

俺は腹の肉の隙間をグチャグチャと探ってみたけれど、先生はどこか奥の方に溶けてしまったみたいだ。でも大丈夫、形はなくなっても変わらずひとつだから。一緒にいるよね。

「ピアスは泉ちゃん。妊娠したのに彼氏に逃げられて悩んでたみたい。グラサンは足立くん。父親がね、厳しかったみたい。暴力とか」

そんなふうに今度は俺側の友達紹介をしているというのに、香澄ちゃんはますます浮かない顔だった。もはや顔面蒼白と言っていい。涙も止まらないようだ。

「……どうして、そんなに怯えてるの?」

俺は首を傾げる。一体何を泣くことがあるのか、わけわかんないや、と思って。

「だってさ。君は正確な学校の怪談の中身を知っていたんじゃないかな。地縛霊の話。屋上に行ったらここから飛び降りて自殺した奴の霊に取り殺されるんだっていう。先生たちが何度も鍵をかけてるはずなのに、何でか数年に一度生徒が屋上に入り込んで犠牲になるんだーーって。なのに、何で自分からここに入ってきたの?」

全部知ってて。そして望んで、じゃないのかな?

「君、この真下によくいたよね。うん……そうだよ。俺が落ちた現場。君が幽霊みたいに放課後の人の気配が消えかけた時間帯に中庭をうろついていたのは、本当は屋上で俺に会おうとして、でも怖くもあって、ここに来ることをためらってたから。そうじゃないのかな?」

もっとも、唯香ちゃんと正面から向き合うことを避けられるなら、死ぬのでも新しいクソ男捕まえるのでも、どっちでも良かったのかもしれない。まさか「死ぬよりは」と思って期待を寄せたクソ男候補こそが死にまみれている存在だとは、思わなかったんだろう。

先程は単純な恐怖の方が強かったようだが、段々とそれが違う形に進化してきたらしい、香澄ちゃん。今は本当に悔しげに俺を睨み付けている。その自分への怒りのせいか、あれだけ虚ろだったはずの目にも完全に力が戻っている。もう「幽霊かも」だなんて全く思えない目力だ。

「最悪……また、何で、こんな男にばっかり、私」
「君が本当はちっとも男に興味ないくせに、無理して男を選ぼうとしてるからじゃない?」

分かりきっているはずのことをあんまりしみじみ口走るので、俺はつい、鼻で笑ってしまった。ここまで来ると、逆に相当な目利きなんじゃないのか。今回も含めて、毎度確実にクソ男を捕まえている辺り。

「優華と、もっと、話せば……よかった。あのまま、追いかけて……」
「そうだねぇ、全くその通り」

茶化しに対してギッと睨み付けてくる彼女は、今度は悔しさの涙で頬を濡らしながらも、必死に逃れようと抵抗してくる。肉塊に力を込めたり爪を立てたり噛んだり引っ張ったり蹴ったり、あらゆることを試そうとしている。

「……意外と粘るね。こんなに耐えてるの、君が初めてだよ」

やはり香澄ちゃんは、繊細そうな見た目に反して根っこの気はかなり強いらしい。それでも結局俺には押し負けて、じわじわと少しずつ肉塊の奥にその身を捕らえられていく。

「やっぱり、死にたくない。優華と、もう一度…二度と、許し…て、もらえなく、て、も……」

漏れた声に俺は吐息をついて。彼女の肉体から完全に魂を引き剥がそうと右手を伸ばす。その時だった。バンッ、とドアが開いて何者かが突然現れる。と同時に、いきなり右腕辺りの肉塊が丸々弾き飛ばされた。肉塊に触れると同時に一緒に弾けてしまったそれは、おそらくテニスボールだったと思われる。ちょうど撃ち抜かれ場所にいた御崎先輩が消えたせいで、大幅に攻撃力を失った気がする。先輩の腕っぷしの強さは頼りにしていたのに、何で無抵抗にやられたんだろう。誤算だ。

「やった、当たった……さすが私だわ」

ラケットを手にした勝ち気な顔の少女が、そこにいた。優華ちゃんだな、とすぐに装備と声で分かった。だが、なぜテニスボールごときで俺を……あの御崎先輩を消せるほどの強烈な威力で攻撃できたのか、それはまだ分からない。ただ、この調子で何度も撃ち込まれるのは不味い、これだけは分かる。ジリ、と俺は後ずさり備える。

が、そんな俺を無視して、優華ちゃんは香澄ちゃんの方をその視界に入れた。

「許さないなんて、私は一言も言ってないでしょ!それに死んでいいとも、思ってないわよ、そんなこともわかんないの?だからあんたはバカだって言ってるの!」
「な…なん、で」

何故か、俺がその発言に絶句する。つっ、と背中に冷たい汗が流れていくような気がした。

大好きなあの漫画で、何度も読んだシーンが、もうひとつある。魔界の王宮にて、王位争いで兄に殺されそうになっている王子の元に、人間の王子が助けに来るのだ。例のボタンを携えて。その時、人間の王子は言う。「俺は確かにお前の敵だったが、こんな下らないことでお前が死んでもいいとは思っていない」と。

どうして。ぽっと出のこの女が、あの王子みたいなことを言う?まるで、そんな、あの綺麗な友情みたいな、それを、どうして。あれに憧れていた俺でなく、お前が。

「あ……あ」

何故か身体が動かない。気がつくと、俺の手や足を友達がーー泉ちゃんや、先生や足立くん、勇くんが、まるでその場に縛り付けるみたいに止めていた。

俺の意思に反して他の肉塊も蠢いて、その拍子に香澄ちゃんの首を掴んでいた肉塊の圧力までもが緩む。その隙を、優華ちゃんは逃さない。またボールが飛んで来て、今度は俺の肩を撃つ。

ダメ、もう、ダメよ、これ以上は……。

それはかつて聞いた鈴木先生の声だ。先生、まだそこにいたんだ。もう忘れかけていた、久々に聞いた口調。けれど、撃たれたことで先生の残滓も弾き飛ばされる。耳の奥、その声だけ残して。

また力が失われた気がする。俺は身じろいだ。本気で、このままでは宜しくないことになると本能的に悟る。が、せめてこちらからの一撃を繰り出してから逃げようとしたはずなのに、俺は全く逆の方向に引っ張られることになった。

勇くんだった。俺の力で肉塊の奥底に押さえつけられていたはずだったのに。さっきの隙にあっという間に浮上して一幽体として具現化し、俺の腕を掴んでいる。何でか、勇くんは泣きそうな顔をしていた。争う女友達のことを沈痛そうに語っていた時と似た顔。痛そうに歪められた口は引き結ばれて、その目が俺を捕える。

もう、行こう。やりなおすんだ。みんなで。

その口元が動く。同時に、強く物理法則に反した強大な力で引かれて、俺は屋上のへりに立つことになる。あの地面が、見えた。そこは俺がかつて落ちたはずの固い冷たい地面だ。俺をグチャグチャの肉塊に変えた、その大地そのものだ。

怖い。死ぬ。俺はまた、死ぬ。友達と思っていた奴らの手で。殺される。

「もー、違うよぉ。やり直すんだってば。ウチと、ウチの子と、あんたと、みんなと。だってうちら、ズッ友じゃん?」

泉ちゃんの声が聞こえる。どこからか分からないのに、それでも確かに一緒にいるのだと伝えてくる。落ちる、また、地面が近づく。「あの時」と同じように全く息はできず、足掻こうとしたが叶わず、衝撃で俺の魂を守っていた全ての肉塊が残らず爆ぜた。

ただ、今回は不思議と、痛みはなかった。いっそ安らかな気持ちさえしていた。


♢♢♢♢♢


屋上に静寂が戻る。先ほどまでグロテスクに視界を覆っていたはずの肉塊は完全に消え失せて、今はただ、夕陽のオレンジ赤の光だけが眩しく辺りを照らしている。誰かが置き忘れた一冊の古い漫画。そのページがパラパラと風に煽られる音だけが、わずかに響いていた。

「な、なんか、助かった?みたい?よく分かんないけど……。優華、何かしたの?え、まさか、超能力者だったりする?隠してた?」

香澄はパチパチと瞬きのを繰り返して、優華の方を振り返る。

「……他に、何か言うことないの」

その表情がどこかきょとんとしたもので、まるで先の喧嘩のことさえコロッと忘れているかのような「普段通り過ぎる口調」でもあったため、優華としては、ついイラッとしてしまったようだ。完全に拗ねた声色を出す優華に、香澄がようやくしまったという顔になる。少し考えた結果、まずはお礼、そして謝らないと、と香澄は思い当たる。

「えっと、ありがとう?それから、色々、ごめんなさい……?」

しかし、優華はそれをよしとはしなかった。すごい微妙なんだけど、という表情の後、みるみる両の瞳に涙を溜めたかと思うと、キレた。

「また、あんな、クソみたいな男に、引っ掛かって!霊だけど!あんなに言ったのに!また!!」

キレた勢いで走り出し、そのまま香澄の胸にダイブした。カラカラン、と続いた乾いた音は、優華がその手からラケットを放り投げた音だ。ぐりぐりと肋骨辺りに頭を擦り付けられ、それがちょうど先程の騒動で打撲した場所だったため、いだだ、と香澄は呻く。

「いや、うん、本当に、毎度クソ男にヨワくてフラフラして、ごめんなさい……」

この点については全くもって申し開きができないため、素直に頭を下げる香澄。しかしそれでも優華にとっては合格にならないらしい。

「違ううぅ、唯香ちゃん大好き、やっぱりこれからもずっと側にいて、でしょぉぉ……!?ごめんなさいなんてのは、先にキレて、悩ませて、屋上みたいな危険な場所で香澄をひとりにさせちゃった私が言うことじゃないの!」 

そうして、優華はぼろぼろと涙をこぼして泣き始める。ぎゅうぎゅうと香澄を抱き締めたまま。その間、香澄はされるがままに任せるしかなく。

「うっ……優華、ま、また私にそんなこと、言わせようとして…」

強く抱き寄せられているうちに、段々と香澄の頬が赤くなる。至近距離で触れ合う感触に、やはりモゾモゾとした気分になって。この自分の両手は優華の背中に回すべきなのだろうか、などと逡巡したりもする。

またこんな、恥ずかしげもなくぎゅってしてきたりして。また私ばっかり、こんなにドキドキさせられて。もう……どうするのよ。バカ。私が優華から逃げればこの問題と向かい合うことは避けられる、と思いたかったのに。でも。

ーー君が本当はちっとも男に興味ないくせに、無理して男を選ぼうとしてるからじゃない?

まだ香澄の耳の奥に残っている、人でなしのその台詞。それはきっと、紛れもない事実だ。

あの幽霊は確かに私目線では死ぬほど、それは比喩でなく現実として死にかけるほどにクズだったけれど、本人の申告通り、相談事をする相手としてはかなり向いていたらしい。今までの体だけ目当ての男と比べたら、だいぶましだったのかもしれない。まともに私と向き合ってくれた、という意味ではーー。

一瞬、香澄はそのように話を総括しようとしてしまう。だか、ハッと気づいて頭を振った。

……いや、体目当てではなかったけど魂目当てではあった。やっぱとんでもなく最高のクズだあの野郎。危ない、またついうっかり騙されるとこだった。やっぱり男はダメだ。私には鬼門だ。

結局、香澄は男に全く興味を持てないらしい。男とデートしていても全然楽しめなかったし、利用したいだけだった。男の横で考えるのはいつも優華のことばかり。「嫌われたくない、私だって本当は優華と一緒にいたい。今優華は何してるんだろう」。そればっかりだった。あったのは「これで優華とまともに向き合わずに済む」という逃げだけ。しかしもうこれ以上は逃げられないと判明してしまった。

男より、今、優華に抱きしめられている状況の方が、よっぽど私の心をドキドキさせてるじゃないの。それを、そろそろ認めざるを得ない……もう自分から動いて完全に優華の心を手に入れるしかないんだーー。

ここにきてようやく、このように香澄は自分の気持ちを認めることになる。そしてその証明の第一歩として、確かな意思を持って優華の背中に腕を回した。それから、ぎゅうっと、強めの力で抱き締め返した。ちゃんと応える、という気持ちで。

「優華、大好き、これからも、一緒にいて」

前に乞われて同じようなことを口走った時とは全く違った気持ちで、今度こそ心を込めて、香澄は囁いた。もう男なんてひとりもいらなかった。


[おわり]

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