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土屋隆夫先生の「推理小説作法」を読みまして。

今日は夫が仕事で泊まりでいない=好き勝手やりたい放題Dayということで、思う存分に博多駅界隈をうろついて買い物などしてきたわけです。

それで本屋にも行って、江戸川乱歩先生のホラーの方と二十面相の方の本が欲しくて。これまで借りて読むことのが多かったんで現物が欲しくなって角川文庫の棚あたりをフラフラとさ迷って「パノラマ島綺譚」と「孤島の鬼」と「黒蜥蜴と怪人二十面相」をひとまず買ったんですけども。

何でか、全然角川でない中公文庫の「推理小説作法」という本も、うろついている間に目に止まりまして。そのまま思わず冒頭を少し立ち読んでから、結局買ったのでした。というわけで、帰宅後勢いで完読したので日付変わりましたがその感想です。


実は土屋隆夫先生のことを何も知らない、でも買って読んで感想を書く。


実は中身を読むまで土屋隆夫先生が本格ミステリー作家であることも知らなかったし、当然土屋先生の本もこれまで読んだことは全くないのです。

じゃあ何でそれ手に取ったんやお前?となりますよね。私にもよく分かんないですね…。本当たまたま目に留まったから以外は言えないですね。内心ミステリーのノウハウをまだまだ欲していたのかな…?

ただ読んだら買う理由は明らかでしたね。乱歩先生の影響が強い方でした。作風がというよりは、乱歩先生が過去ミステリーについて語ったことに強く衝撃を受けてそれがミステリーを書く原動力になっていらっしゃる、そういう方でした。残念ながらもう土屋先生自身は亡くなっているのですが、しかし例え亡くなっている方でも生き生きと語りかけてくるというのが本の力です。

なので、結局本4冊も買ったのに乱歩先生界隈のものしか買ってない、みたいな不思議なことになったのでした(まぁミステリーやってる人で乱歩先生の影響全く受けてないって人の方が探すの難しそうですが)。そして読んでみれば「これは確かに買うべき本であったな」と納得する本でもあったのでした。

たまにこういう、何か神や霊的なもんでも作用してるんか?という事象が起こることがあるんですよね…。本当に、角川の棚を探してフラフラさ迷ってただけなんですよ。

ただこういう「謎の巡り合わせ・謎の出会い方の経験」は過去にも何度かありまして。迷ったらとりあえず手に入れることに決めてるんですね。わけも分からず手に取ることになったものは確実に手に入れるべし。だってこれまでもそれで役に立つこと多かったやろが?というのが経験上あるから、そう行動したわけですね。そして結局、今回も「当たり」でした。

たまにこういうことがあるからうっかり「神は本当にどっかにいるのかもしれん…」とか感じちゃって、いけないな。それともあれかい?実は私の人生は神の創造物、ただのどこかの作者によって描かれたもので、これは「物語の強制力」ってやつなのかい?宇宙論的には人間ってそういうものかも?という可能性の話も聞きますけども。

おっと、話がSFや宗教になってきました。この方面はいつかまた別の機会に語るとして。

買った理由その①ノウハウ方面。


題名が「推理小説作法」なので、当然ノウハウ面で見るべきものがあったため買った、という部分もあります。

本格推理小説の書き手として、まず推理小説とは何かを語り、そしてテーマやトリックやプロットやストーリーの立て方について例を出してしっかり解説してあります。

それと、あらゆる人が書いた「文章の書き方」の本がこの世にはあると思うんですが、いまざっと見ただけでも野間宏先生・谷崎潤一郎先生、井上ひさし先生、松本清張先生、H・R・F・キーティング先生、たくさんの先生方が「小説、もしくはミステリーの書き方」について語った文章が土屋先生チョイスで引用してあって、何というか「わぁ、助かります、土屋先生…!」と手を合わせる感じです。

この世の全ての「書き方」の本を自ら取り寄せて読むのが本来のやり方なのかもしれませんが、きっと入手困難なものもあると思いますし、取り寄せには手間やお金もかかりますし、助かります。

本格の作法、やっちゃいけないこととして有名な「ノックスの十戒」とか「ヴァン・ダインの二十則」とか、二十則について語った乱歩先生の意見とか、まさしくミステリー書くなら意識しておくべき「作法」と呼ばれることもしっかり要点が書かれてあって助かります。

この「助かる」内容さえ知らずにミステリーに臨むのはそもそも無謀なことと思うので、とりあえず要点・引用先の本の題名などが明確に書かれてあることが、まずありがたい。


買った理由その②終章にある乱歩先生語りからの感動体験。


↑でも触れましたが、土屋先生は乱歩先生の「随筆探偵小説」を読まれたことでミステリー作家として大きな影響を受けたそうです。これはもう手に入らない本のようですが…。で、その随筆集の中にあった「一人の芭蕉の問題」という一文が、深く心に刺さったらしく。

松尾芭蕉という天才が俳句を芸術の域まで押し上げたように、探偵小説も誰か天才が出るかもしれない、という内容だったそうで。引用をさらに引用しますと、

「ここに歴史上の事実がある。革命の先例がある。探偵小説を至上の芸術たらしめる道はあたかもこの芭蕉の道のほかのものではない。常識の予想し得ざるもの。百年に一人の天才児が生涯の血と涙をもって切り開く人跡未踏の国。ああ、探偵小説の芭蕉たるものは誰ぞ(略)」

というふうに書いてあったそうで、それに土屋先生はすごく衝撃を感じたそうなんですよね。

それで、私はそれを読んでつい先ほど、「そっかぁ…土屋先生…」などと何だか妙に感じ入ったりしたわけです。

乱歩先生は亡くなっていて、土屋先生も亡くなってるわけですけど、その亡くなってる方の文章が私にこうして届いていて。そして乱歩先生は芭蕉先生のパッション的なものが時を経て心に届いていたからこそ、そういう文言を自分の随筆に書かれたわけじゃないですか。

こう、芭蕉先生→乱歩先生→土屋先生→私、ともう既に亡くなってる人のパッションとか言葉が、生きてる私までしっかり繋がって届いているわけじゃないですか。すごく感動体験だなと。これは買うべき本、買ってよかった本だったなと。

そういうわけなので、これは睡眠時間後に回してでもしっかり感想をNOTEに書き記そう!と思ったのでした。


…とはいえ。


で。ここで私が「うっ、感動です!土屋先生、私ももっと頑張ってお勉強して、いつかミステリー作家になります…!」という展開になったら、なんかすごい感動ストーリーとして収まりがいいんですけども、実際の私はミステリーでなくホラーをメインに活動しようとしてるんだよなぁ。笑。

いや、ミステリーは普通に読むのは好きなんだけど、書くのはさ…私自身は「人間怖い系なホラーが入ったミステリー」じゃなくて、基本は「ミステリー(謎)が入ったホラー」とか「ファンタジーが入ったホラー」とか「SFが入ったホラー」あたりを書くことを想定しているのであってね…。

いや、ミステリーとホラー、あまりにもしれっとまとめられること多すぎない?そらどっちも書いてるって先生方多いけどさぁ!でも私はホラー寄りだよ、ギリギリ変格っぽい詐欺的な方向の話は書いたとしても、本格は、絶対無理だって…!

でもこうしてノウハウ漁ってるってことは、無意識の奥底にはいくらか本格書きたい気持ちもあったりするのかなぁ…。うーん…そりゃあ、書けるなら楽しそうだけどさ…でもなぁ…。

あれですかね、十年くらい血反吐吐いて頑張れば何とかギリギリそれらしいもの書けますかね…?

いや、本当にそれで実際に書けたとしたら、この本を奇跡的に手に取ったことも含めて、見えざる手に導かれるままの神の采配そのものというか、本当に「私という文章書きの物語」としてはかなり収まりがいい展開になるんですけども。

どうですかね。ありますかね?そういう「物語の強制力」というのは?

…まさに、神のみぞ知る、ですかね。

でもなあ。こういう謎の出会いの時は、あまり逆らわずに流れにまんま従った方がよかったんだよなぁ、これまでの経験上では。わりとギリギリまともに生きられてるのも折々で従ってきたからなんだよな。

うーん…うーん…お勉強やるしかないのか…。



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