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10年ブランク有り元同人女は投稿サイトとかいう狩り場を遠目から眺める。

鰯野つみれです。本日は10年近く書くことから遠ざかっていた元同人女が、ここ最近浦島太郎みたいな気持ちで遠目から眺めている小説投稿サイトについてのお話です。

うーん、あんまり楽しい話ではないかもしれないです。心を強く持たないと大変だぞこれは…と感じています。そういうメンタル的なお話です。


潜っていたらよくわからないうちに育ちきっていた謎の小説投稿サイトとかいう存在。


私が精力的に同人活動をしていた頃は、二次創作メインでしたし、イベントに申し込んで本を作り書く、pixivで小説投稿する、そしてTwitterでそれらのCMと交流をする、というのが大体の活動内容でした。あまりやっていませんでしたが、一次創作でも文学フリマさんなどのイベントに参加→本発行→Twitterというのが基本で賞への投稿は紙原稿の送付(一部データ送付)がメインだったと思います。一次創作より二次創作の方が強かった。小説より漫画の方が強かった。

しかし、それから約10年。「小説投稿サイト」というものが生まれ育ちました。

久々に文章書こっかな~!とか言いながら戻ってきて、正直、竜宮城から戻ってきた時の浦島太郎くらいはポカーンとしています。知らないうちにこんなに一次創作の小説の場が育ってでかくなってたんやな…と。

いやなろう系というものを読み手として体感してはいたんですよ、アニメや漫画で。でも小説投稿サイトの原作自体はあまり追ってなかったんですね。

まぁその10年ほど前の私やめるわ!と決めた時点で文章から意識的に離れようとしてましたからね、見てませんでした。本屋で買える本以外は。「書き手である私」に戻ってしまう行為をあえて避けてましたね。何せ「書かないと死ぬと思い込んだ人間から意識的に文章を奪う」がここ10年ほどのテーマだったので。文章に対する依存が強すぎたというか、これは一度完全に失わないとダメだな、依存心で書くのは違うな、と考えまして。で、結局8割は文章なくても生きられるけど残りの2割捨てらないってことでスゴスゴと戻ってきたわけです。

しかし、まぁ、本当に環境だいぶ変わりましたね。賞への投稿も投稿サイト経由のところ増えてますし。

それで「久々に書こう」と思った私は場を求め、そして初めて投稿サイトさんをいくつか回ってみて、すぐにそっ閉じしたのでした。

作品が好みじゃないとかそういうことじゃなくてですね。むしろろくに読んでもない。読む前から「あっ、ここは狩り場だ、油断してたら狩られて死ぬ場所だ」って思ったからです。ブランクもろくに取り戻してない奴が軽装備でフラフラしてていい場所じゃないな、って感じたってことです。字書きとしての身の危険を感じた、みたいなことです。

なろうとかカクヨムとかいう狩り場。


小説投稿サイトに投稿された小説は人気が出ると書籍化される。つまりそこには編集者が潜んでいて、特定の作品や作者を青田買いするための場になっている。出版不況もあって編集者は切実に即戦力を求めていて、「従来のように賞レースで勝ったプロではないのに、場に小説を発表した時点で既にプロ並みであることを要求される」。また読者も自分にとって面白いか有用性があるかという基準だけで読んでいて「推し的な感覚」もあり、読むものに対して選別=狩りをしている。そういう意味で、明確に、そこは狩り場なんだなぁ、って。

私が同人を始めた高校生の頃はイベント会場にへったくそな小説をコピー本で作って持っていって、大して売れなくて面白くもない文章なんだけど、隣のスペースのお姉さんが「そっかそっか、キミ最近書き始めたんだねぇ、頑張ってねぇ~」みたいな、プロやセミプロの横でガキが真似事やっててもまぁまぁ子供だからで赦されるような雰囲気はまだあった、のどかな環境だったけど(多分文学フリマとかではそういう環境ギリギリまだ残ってそう)、投稿サイトの場にはそういう隙みたいなものは、黎明期はともかく少なくとも場が育ちきった今の状況だと、ないんですね。今小説書きたいと思った未経験の高校生は、日々ピヨピヨと狩り場に出ていって強大な象の群れに巻き込まれて泣きながら育つor心バキバキに折られるかしかない、そういうところで戦うしかないんですね。

というのを悟って、ヒエ…こっっわ…!って思って、そっ閉じしたのでした。そんで、今NOTEでモソモソとリハビリしています。何にも考えずに飛び込んで行き当たりばったり長編連載を開始して当然読んでくれる人もいなくて磨耗して…みたいな、象に蹴散らされる展開にならなくてよかったなと思っています、正直。

小説とかいう特殊な媒体の行く末。


そもそも、小説を読む人、ってどんな人だろうか、ってふと考えたわけですよ。ぶっちゃけ、漫画の方が絵があるし、アニメの方が動くし声までついてるし、演劇やドラマだったら人間がリアルだし、どう考えても小説よりはそっち見た方が「物語」を伝えるには有効で分かりやすいんですよ。

なのにあえての文章表現の小説という媒体にこだわるっていうのは何なの?と。最近はAIも出てきたし、「みんなが好む文体とか展開とかキャラ設定の売れ筋」なんてすぐ出てきそうじゃないですか。そんな時代に、あえて人間が自らヒィヒィ泣きながら必死こいて書いたり読んだりする文章ってどういうものなわけ?と。

結局、「本質的な欲望を満たすもの」、この一点に尽きると思うんですよ。「ひとりの人間にめちゃくちゃ愛されたい」とか「広くて浅くてもいいからみんなに愛されてちやほやされたい」とか「効率良く美味しい思いがしたい」とか「リアルでできないことを存分にしたい」とか「見返したい」とか、そういうものを擬似的に叶えるためのツールとしてのみ、小説は存在するしか、もう先がないんですよ。

かつてフランス書院さんあたりが性的な方向性では一手に担ってたんでしょうが、直球のエロではないところでも、もう担っちゃってるんですよ、青少年向けライトノベルが。で、それらの売上がギリギリ出版社を支えてる。そしてリアルで少子化だの何だのやってるうちに対象の青少年が高齢化してるんですよ。

つまり今小説を読む人材は基本ライトノベルを通った人間ばかりで、その最高齢はもう軽く30年ほどはライトノベルに親しんだ猛者(現在40~50代)。内容はキャラ萌え必須で、もしゴリゴリの純文学や推理小説や時代小説あたりの読者を増やしたいと思ってももはやライトノベル層くらいしか継続的に小説を買って読んでくれる人材は存在しなくて、「俺はライトノベルみたいなお軽い話よりもっと重厚なもん書きてぇんだよ」とどんなにイキったところで読者はライトノベルノリをスタンダードな小説と思ってるから、小難しいものなんて誰も読んでくれなくて…みたいな。

そういう、紙投稿して賞レースにこだわって十数年、みたいな人とか、もう60~70代以上の読書家の人たちさえ、ライトノベルのノリに対応できないと書く場も読むものもなくなっていずれ死ぬ。そんな時代に、私たちは小説を書こうとしてるんですね?

こっっわ。狂気の沙汰だよ。これはね、意思を保ってないと才能がある書き手ほど編集者と読者の欲求に狩られて死にますね。才能がない書き手も順調に死ぬわけですが。いやあ…書き手の皆様、どうか頑張って生き抜きましょうねぇ。若い子たちも、どうか、生き延びてねぇ。

ご安全に!!!(敬礼)


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