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(仮)や(案)が愛おしい

そろそろ、Draft is lovelyな話をしたい。

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精神衛生を保つための個人的なライフハックがある。

それは直面する様々な物事に対して「一旦仮説でもいいから自分の意見・スタンスを明確に持つ」というものだ。仮説でも良い、数分後や明日には意見が180度変わっていても良いから意見をもつ。これを意識して生きると悩む時間を極端に減らすことができる。そして意見をもつとほんの少しリスクを背負うのでその意見に対する情報収集のアンテナがたって意見の精度検証も促進されると思う。

なので、誰かに「○○○ってどう思う?」って訊かれたら、
「(今は)□□□だから○○○は△△△だと思ってるよ」となる。できるだけ。

このライフハックでおおむね上手くやってきたのだが、ときどきスタックして考えが行き詰って立ち往生、停滞することがある。停滞するのは「自分で意見やスタンスを明確にもてない物事に直面し且つそれが一番大事な経路に立ちふさがってしまうとき」だ。

要するに、言語化することで精神衛生を保つ癖をもっているので、逆に言語化できないと自分のパフォーマンスが発揮されない。問題解決脳で考えたら「そんなのいろいろフレームワーク駆使して試してどうにかしろや」となるのだが、共感脳で考えたら「いやいやそうは言っても自分の考えが整理できてないんだから仕方ないじゃないか」と脳内で拮抗している。

そんなふうに考えていたときにネガティブケイパビリティという考えを知る。平素よりお世話になっているwikipediaによると、

詩人ジョンキーツが不確実なものや未解決のものを受容する能力を記述した言葉であり、ジョンキーツ曰く「特に文学において、人に偉業を成し遂げしむるもの、シェイクスピアが桁外れに有していたもの――それがネガティブ・ケイパビリティ、短気に事実や理由を求めることなく、不確かさや、不可解なことや、疑惑ある状態の中に人が留まることが出来る時に見出されるものである。

要するに全ての物事が解決できるものではないということを受け入れる能力。

「おーこれだこれだ!」と共感脳の自分は感じた。あえて中途半端にしておく、結論を急がずふわっとしておくことを許容できる姿勢。

これが自分にも欲しい。答えのない事態に耐える力。

ネガティブケイパビリティを知ってからは、資料のタイトルの末尾につける(仮)とか(案)とか(概算)とかふわっとしておく表現を愛おしく思ったりした。

なにとぞ。

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