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自分にとって最大の敵は自分自身だが、最強の味方になる


自分を最も苦しめるのは自分である


I'llです。
6月下旬あたりから自律神経失調症に陥り、休養とセルフケアを地道に行ない、最近ようやく回復を実感しました。
毎時バキバキに振り切っている交感神経を強制的にリラックスさせ、副交感神経を高める技術を身につけたり、ツボ押しやストレッチで体の不調を逐一ケアする方法も学びました。それと並行して、認知行動療法についてコツコツ勉強を続けていました。

認知行動療法を学んでいて気づくのは、私が私自身を構成する条件を自ら規定し、自分を苦しめてきたという事実です。
人間は何気ない物事に対して先入観を伴い無意識で判断します。その思考のバイアスのかかり方は、自分の記憶や経験から学習した情報に基づいています。これを、認知心理学では「スキーマ」と呼びます。
このスキーマは、自分からアプローチして自由に修正することは難しいと言われています。人格は教育や人生経験以上に、遺伝的特性も強く影響されるものだからです。
スキーマの変更は難しいとは言え、ふとした瞬間に発動する無意識の思考「自動思考」は逆に様々なアプローチの仕方があります。私はこれを何度か実践してみましたが、対症療法的であまり好きにはなれませんでした。
認知の歪みを直すプロセスの真髄は、おそらく「相対化」にあります。自分の発想や偏見、事実に対する固定観念、エゴが染みついた思想、それを正当化したい欲望、それらのスキーマを予め相対化し、凝り固まった人格から発生する困難を和らげ、自分の行動様式を多様化する行程がより最適化された生き方をもたらすと私は思います。
その方法は誰しもできるものではありませんが、人は変化する生き物ですし、成長もあれば学びもします。自分が変化を望むならば、必ず生き方は変わるはずです。
私の人格を構成する価値観や記憶が私を苦しめる原因になるとしても、その世界は私自身が作り出したものなのですから、少し変えるくらいなら容易いのかもしれません。
どうにもならないことではないのだから、何とかできるならした方が良い、単純に私はそう思います。

人間は本当に「邪悪」なのか

人間が鼻持ちならない存在であるというのは事実だとしても、信頼できる人、間違っても信じてはいけない人は両方います。
総合値では人類が邪悪な方に傾くとしても、仏のような人はいますし、キラーマシーンもいます。人間という存在は振り幅が大きすぎて一概に定義できないからこそ、これまで数多の哲学者が人間を一つの切り口で包括するのみでした。
私は今まさに未来に不安を感じていますが、それは「人間はこれからもロクなことをしない」という偏見に支えられている面があります。
一部の特権階級が政治経済を牛耳っていたり、地上を殲滅可能な兵器を独裁者が所持していたり、いつも現代は針の上でバランスをとっているようなものだとわかります。
しかし、かつてキューバ危機やペストの流行、トバ事変など、もっと深刻な状況を人類は経験してきましたし、今は巨大な脅威に対抗する巨大なテクノロジーが存在していたりして、一概に全てが破滅に向かうというものではないはずです。 
確かに資本主義は限界を迎えつつあり、先進国における歪んだ社会構造、癒着や腐敗は看過し難いものです。ただ、ロシアのウクライナ侵攻で揺らぎつつあった、西側諸国には民主主義の再確認と団結の兆しが見られます。
コロナ禍は世界に深刻な混乱をもたらしましたが、3年でほぼ無毒化に成功しました。このようにリスクは時代が進むにつれ分散し、同時に対抗策も多様化してきました。
だから、悪いことは確かに多いのですが、良い面や好条件に目を向けてこそ、全体を把握することができるのだと思います。悪いことがあれば、それを変えるようにバランスを取りたがるのが人間という生き物で、必ずどっちかに傾きたがるのも人間なのでしょう。
「悪いものだ」「良いものだ」と単純に結論づけることは、楽なのでしょう。しかし、総合値で判断できたとしても、構成値はよく分析しなくてはわからなかったりします。だからこそ、先入観で疑いもせず事実認定してしまうことは危険です。
こうして真実だと思い込んでいた「現実」を相対化し、自分にもわからないことがあると認めることで、決まり切った自分の頭の中だけの世界から抜け出すことができるのだと思います。

心を苦しめる「不安」の正体


最近の私の心配事と言えば、「生成AI」が私の仕事に悪影響を及ぼすのではないか、という危惧です。
世の中には儲け話があれば善悪が二の次になる人たちも一定数おり、無知な特権階級や利権にあやかりたいエリート層が、社会的影響を無視してゴーサインを出すこともザラにあるわけです。人の世はこういった少数の恣意的決定で大きく揺さぶられてきたわけで、その不条理を知るからこそ不安を感じます。
ただ生成AIに関しては、思ったよりも業界に与える影響は限定的で、しかも大衆にとって心象が良くないというのは意外でした。今では日本とイギリスが規制に対してゆるゆるであるものの、欧州とアメリカは厳しい規制に乗り出し始めました。
予言をするつもりではないのですが、AIは機能をナーフされた状態となり、大したイノベーションを起こさないまま、生成AIは私たちの生活の裏側に組み込まれていくのではないかと思います。
アメリカさんがそう思うなら日本くんはそう言わざるを得ないのが国際関係なので、権利を侵害しているのが明白である今の状況は、長く続かないかもしれません。
私に実害が出て困るということは、10万人以上はいる同業者も困るということです。特定の迷惑な人が私につきまとうくらいなら私だけの問題ですが、迷惑を被るのが10万人いるなら、それは社会問題です。私個人の問題ではないのですから、やり方はいくらでもあるはずです。
何か特定の不安要素があれば、勝手に連想して不安や怒りを募らせることが習慣化してしまいます。しかし不安の正体をきちんと分析してみれば、怖かった幽霊がただのシーツだったということも十分にあり得ます。

物事は、常に目の前にある大きなものが周りを遮って、それだけしか考えられなくなります。反対に、目の前にあったものを離すと他のものも見えてきて、今までそれしか考えられなかったものが小さくなっていきます。
目の前にあるものに執着することが「認知の歪み」となり、客観的かつ冷静な視点を阻害します。よく考えてみればわかることだったり、周りを見回せばすぐにわかることに気づかないせいで、無駄な時間を過ごしたり損をしがちです。
何も考えず先入観を信じて生きることは楽だし気持ちがいいものですが、近視眼的であるせいで人生の大半の損に気づかず、一生を終える人もいます。それが幸せか不幸せなのかはわかりませんが、少なくとも失わなくて済んだものは多いはずです。
自分を苦しませる最大の原因が、自分自身のエゴや偏見であるケースは多々あります。あらゆる不幸の元を辿れば、変化を拒む自分自身にあったりもします。もし自分が自由で幸福な生き方を望むならば、その歪みこそが天敵です。
そして、自分自身の心に正直にあり、あらゆる多様性を認めた時、不愉快な世界を歩む最も強い味方が、自分自身であると気づく日が来るかもしれません。




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