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酒について

勝手にお慕い申し上げているKさんより、勝手に宿題をいただいたと思っていて、それについて書いておかねばと思って勝手に日が過ぎていき、月も11月。

酒について。

酒との付き合い方について真剣に考えねばと思っていたその日の晩のキャンプでは、ソムリエがワインと燗を用意してくれていた。
その日は日中街中でも肌寒く、ダウンジャケットや裏起毛ワークパンツを身につけて、張り切って向かった山沿いのキャンプ場は、想像していたより暖かく、火をおこすと汗ばむほどだった。

青い夜空に影を黒く浮かばせる杉木立を頭上に眺めながら、文字通り酒をあおると、程よい冷気が頬を撫でる。
ハンモックに揺られ、酒に揺られ、寒くも暑くもなく、気のおけない仲間たちと飲む酒の浮遊感は最高だった。

こういう経験をしてしまうと、街に下りた後も件のソムリエがいる角打ちに通ってしまうこととなり、先日のキャンプで出してもらったのと同じものを所望する。
先日のキャンプと比べてうまいかと言われると、これはこれという感じがして、結局角打ちに集う人たちの顔を眺めて杯を重ねることになる。
酒飲みの友人が、酒のつまみになる顔がある、と言った言葉はここで発揮されて、角打ちのカウンターにひしめく人たちの顔をそれぞれ眺めて見ると、このような酒の場に集まる人たちの雰囲気はとても好きだ。
互いに活きている感じがする。

酒について、酒の場についての文章を書こうとすると、どうしても吉田健一調になってしまう。
酔っ払って思考があてもなくさ迷い、思索と確信が渾然一体となって、蝶のようにひらひら舞ううちにどこかへ着地しようケリをつけようなどという考えが馬鹿馬鹿しくなり、力尽きるまで飛び滅んでしまえという気持ちになる。

酔って創作が煌めくなら、酒に体を蝕まれるのもやぶさかではない、と思っていましたが、私の場合は長く生きて、平凡な人間の後半生の変化をつまびらかに見せるのが仕事な気がして。

とKさんに言われ、私の方でもいくつか思いつく情景があり、まとめて書いておかねばという気になった。

酒の場をいくつも経験すると、気持ち良く飲めないこともあるし、酒や食い物や場所を提供する側に回ることとなる。
こうなってしまうと、蝶のつもりでいる目の前の酔っ払いが酷く滑稽に見えるし、あまりひどい酩酊や暴力の場面を始末する側に立つと、このような飲み方は不幸である、私はこうはなりたくないと思う。
そう思いながら、野暮を構わず人や世界を信頼して、自分の好き勝手やっている人間を羨ましくも思う。
私ももっとこのように好き勝手やって、世界のバランスを取りたい。

ムンクやゴッホに憧れた時期があった。
アブサンに酔いしれ、激烈な芸術への熱情を発露し、思い人との痴情はもつれ、家族を省みず、銃声が響き、空が赤く染まる叫びを聞き、押し込まれた精神病院の窓から美しい自然を眺めるあるいは耳のない自分の顔を見る。
そのすべてを作品にする。
彼らほどでないにしろ、自分と自分を取り巻く世界を肯定できずに自己破滅的な振舞いをするという魅力に取り憑かれたことがあり、その経験からすると私の答えははっきりしていて、自分と自分を取り巻く世界をすべて丸ごと愛して優しくふるまいたいということだ。

無理なく慈愛をもって世界を見ている人に出会えると、私そのものを肯定してもらえたような気がする。
正直で無理なく世界を愛している人は稀有だが、出会えると自然なその言葉がそのまま私の指標となり、杖となる。

酒についての思索に戻ると、酒を飲んだ翌日がどうだという話に必ずなる。
自分を愛するという視点からすると、体によくないことはよろしくないが、気持ちのいい飲みの場は何物にも代えがたいということがあって、ここは誰もがせめぎあうところだ。
私は幸い、今自分の仕事と生活を完全にコントロールできているので、翌日の二日酔いが問題になるということはなく、頭が痛かろうが腹が痛かろうが体が重かろうがそれに応じて仕事に取り組んだり取り組まずに寝ていればいいのであって、問題は酒ではなく仕事ではないかと思う。

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