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散会後何をしていたか走馬灯のよう

昨日の出来事を思い出しながら日記的なものを書いて翌日まで置いておき、一昨日書いたものを見直して推敲しアップするというサイクルで最近noteを更新している。
夢日記は覚えている時に更新するという遣り口だが、なにかを憶えておくというのは案外精神力のいることのように思う。

昨日のひとつの出来事をとっかかりにものを書き始めていくと、するすると記憶が引き出されることがあり、実は記憶というものは自動的にちゃんと処理されていて、その記憶を引き出すためにチャンネルを合わせるとか引出しを探すといったことに精神力が必要なのかもしれない。
夢の場合は一度しまいこんだ引出しを忘れるとなかなか思い出すことがなく、そのまま記憶ごと失われてしまうようにも思えるが、私が体験したものであるというラベル付けが失われるだけで、突然デジャブや思いつきとして浮上しているのかもしれずその由来が分からなくなってしまってもそれは結局私の要素なのだろう。
そう思うとそこに私でない要素が紛れ込んでいても気づかないわけで、事実そういったことはあるだろうから世界と私の境界は曖昧でインド哲学や仏教が言うように私という概念は幻想だろう。

毎月第三日曜日にせりさんと開催しているブックシェアは10回目を数えていつもの快適きわまりない福岡市文学館二階の円卓で行われ、今回は8人の参加者がいた。
ご紹介される本に特にテーマ等はもうけず、それぞれご興味あるに従い好きな本を持ち寄ってお話をするのだが話せば話すほど一見関係のない事柄が共通性を帯びてくるということが毎回あり、それぞれの本に見過ごせない要素や各自感じるところがあり、いつも話尽きないまま時間があっという間に過ぎてゆく。

特に「ネガティブ・ケイパビリティ 答えの出ない事態に耐える力 (帚木蓬生著、朝日選書)」で話されたネガティブな問題を解決しようとせず抱え込まず落ち着いて置いておくというようなあり方。

また、「目の見えない人は世界をどう見ているのか (伊藤亜紗著、光文社新書) 」で示される視覚体験の境界等、大変興味深く。

散会後何をしていたか詳しく憶えていないが、憶えている限りでは何となく思いついて美野島の仕事場の情報をInstagramFacebookTwitterに投稿したところ思いがけずたくさんの反響があり、素直に嬉しい。
特に嬉しかったのが、学生時代からの親友で今も作家を続けている坂口竜太からメッセージをもらい私は学生時代あだ名がX-MENだったので、想像していなかったが、これがエックスメンが1番やり方かったことかもしれないと思ったよと言われ、そうなのかもしれないなあと納得した。
私のやって来たことや考えていることをとても近くで見てくれていた彼の言葉に色々な思い出が甦り走馬灯のよう。

夜はOvergroundの展覧会に参加してくれる書道家の日野さんと電話で一時間話し込み、別にメッセージのやりとりでも良かった仕事の話はそこそこに最近誰に会い誰某がこのように言ってたとか何某さんの様子はこうだった自分はこう思った次はこうしたいというようなことを言い合って本当に楽しかった。

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