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嵯峨野の月あとがき

四日前のお昼に拙作「嵯峨野の月」を完結させてその夜は頭痛と吐き気で早々に眠り、

朝起きた時、感じたのは脳内登場人物の声が消えた清々しさでした。

それから昨夜まで昼も夜も関係なく眠気を覚えたら眠り、やっと「電波戦隊スイハンジャー」を再開、投稿しました。

この6年間、それだけ脳のエネルギーを使ってたのですね。そりゃ疲れるわ。

趣味程度にブログに2000字程の小説やエッセイを書き綴っていた六年前、熱田神宮観光から帰った知り合いの一人が「あなたのネタになるかと思って」とパンフレットにあった写真の一つを見せてくれた時なぜか、

とある神社のお鏡を持ってやりきれない顔をする空海さんを始めとして、

呪詛に塗れたこの世情を終わらせてやる。と決意表明する嵯峨天皇や祟りに怯える桓武天皇、「原因はあんたが作った人災じゃねーか」呆れる和気清麻呂、などなどその他の登場人物のドラマが脳内に流れ、

92話「集光」までの構想はこの時時間にして役五分以内で出来上がっていたのです。

本当は得意じゃないし面倒くさいし逃げたかったけれど逃げられない。と直感的に思い、

…人生で一作でもいいから自分が観たい読みたいと思った大河時代劇、周りに無いならいっちょう書いてみるか。

と書き始めた時代劇が平安初期だけれど蝦夷との戦い、奈良仏教勢力との軋轢で二度も遷都し財政難の朝廷、疫病と飢饉で全っ然平安じゃなかったこの時代に力を尽くし、本当の平安時代にした有名無名の人々の群像劇です。

何しろ小野篁、藤原良房、在原業平有名どころが登場するのは終盤だから読まれる自信もウケる自信も無く、ましてや紙の本出版など畏れ多い野望など抱くのも疲れるし、

人生変わるほど儲かる訳ではない今の出版の業界に向かって「読んで下さい、売り込んで下さい」とアピールするエネルギーはありません。

(これ以上無理したら多分◯ぬと思う)


一記事5000字書くのが限界のこの私がなぜ六年かけて完結させる事が出来たのか。

詰まるたびにエピソードごとの主人公たちに「助けて〜」とお願いしたら何故か調べるべき史実、この時登場人物が何を思い行動したか。の脳内映像が流れ自分は文字起こしをするだけ。

というなんだかほとんど登場人物たちに助けられた感のあるお話です。

さて、92話「集光」で終わらせる話だった筈がどんどん未来へ流れ、最終話「平安時代」であのラストにしたのか話さなければいけませんね。

どんな終わらせ方にするか悩んだ私が高野山に参詣したのはちょうど四年前、泊まらせて頂いた宿坊で朝勤行に参加した後の御住職の説法が、

「これは、お檀家さんから聞いた話なんですけどね」

で始まる東日本の震災で亡くなった方の霊と遭遇した方々の体験談でした。

この時ラストシーンと最後の一行が決まり、やはりこの話は慰霊のために書き続けて来たのだ。

と未だに怨霊扱いされている方々をステレオタイプに書かない。

空海さんを他の作品でいつも書かれているようなチート行者ではなく「人間として」書いてきたのは間違いでは無かった。

と一気に心がスッとし、残り4年間完結まで進める事が出来た。

と思っています。

さてエネルギー使い果たして書き終えた途端、自分は書くのを止めるのか(本当はこっちの方が楽かもしれません)、また別の作品を書き続けるのか?

思いながら眠り続け、咲夜スッキリした頭でヒーロー戦隊ものを再開したのだから、

いやはや自分って往生際の悪い奴。

と再び呪詛満ち溢れる令和の世で一作上梓奉った次第。

令和五年九月 白浜台与








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