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嵯峨野の月#48 柳枝の別れ


遣唐12

柳枝の別れ

恵果和尚入寂で身分の上下もなく長安じゅうの人々が嘆き悲しんだ。

11代代宗から、徳宗、順宗と長年国師を務め「三朝の師」とまで呼ばれ崇敬されていた恵果の死を現皇帝の憲宗けんそう、特に惜しみ、弟子代表として空海に碑文の起草を命じた。

縦使たとひ財帛軫ざいはくしんを接し、田園頃でんえんけいならぶるも、
受くる有りて貯ふること無く、資生をいさぎよしとせず。
或いは大曼荼羅を建て、或いは僧伽藍処そうがらんしょを修す。
貧を済ふには財を以てし、愚を導くには法を以てす。
財を積まざるを以て心と為し、法をしまざるを以て性と為す。
故に,若しくは尊、若しくは卑、虚しく往きて実ちて帰り、
近きり遠き自り、光を尋ねて集会しゅうえするを得たり。


恵果和尚は
たとえ、あまたの財宝・田園などを寄進(寄附)されても、
受け取るだけで貯えようとせず、財産作りをいさぎよしとしなかった。

寄進を受けた財については、あるいは大曼荼羅の制作費にあて、あるいは、
寺院の建設費にあてられた。貧しい方には惜しみなく財貨を与え、
愚民を導くには,仏法を説かれた。

財貨を貯蓄しないことを方針とし、仏法の教授に力をおしまないことを指針となされた。
それ故に、貴な者も卑賤の者も、虚な身で恵果和尚のもとへ出かけて満ち足りて返り、
遠近から多くの人々が、光を求めて集まる結果となった。

「貴方が感じたままの恵果さまのご人徳が現れている素晴らしい詩文ですね…虚しく往きて実ちて帰り。ここが特に良い」

と青龍寺住職、義明が出来上がった起草文を何度も読み返し文字から文字への滑らかな運筆、墨の濃淡など矯めつ眇めつ見ては、ほう…と感嘆のため息を付いた。

半年前、空海がこの寺の門をくぐった時は反発と嫉妬の念を抱いていた五人の阿闍梨たちは、

空海が最初の3か月で秘法を全て修得し、その合間に膨大な数の経典の写経と金剛頂経の教義の受講と解釈、さらに仏師から仏像制作を、絵師から曼陀羅の書き方を学び、ほとんど寝る間もないほどの空海の集中力と努力に舌を巻いたし、

何の後ろ盾もない一個人としての密教の後継者として、認めざるを得なかった。

この半年間で空海と阿闍梨たちは徐々に親しくなり、恵果和尚を偲んで一緒に飲食するまでの仲になっていた。

「貴方が去ることは解っていても、こうして食卓を囲むと別れが惜しくなりますな」

と食後の茶を淹れながら呟いたのは辨弘阿闍梨べんこうあじゃり。はるばる訶陵かりょう(現インドネシア)から学びに来たこの30代半ばの密教僧は、浅黒い顔に陽気な笑いを浮かべて、ああそうそう!と急に話題を変えた。

「あなた、故国で相当厳しい荒行を積んだようですね。体の筋肉の付き具合を見れば分かりますよ」
辨弘の言葉に阿闍梨たちはそうだそうだ!と空海を取り囲み、

「その倭国にいる修験者の行とはどんなものかを知りたい!詳しく教えてくれぬか!?」と好奇心露わで尋ねた。

先輩たちに迫られた空海は「えーっとですねえ…」と吉野の山で実際受けた修験道の荒行を思い出し思いだし話し始めた。

「まずお山に入って打擲されましてな、陀羅尼を何万遍も唱えたり、崖から吊られたり、…それに一通り八大地獄の責め苦を体験するのです。

もちろん実際火で焼かれたり刻まれたりしたら人間死んでしまいますから真似事ですよ。

その中でも火の道を歩く行と水を断つ行がえろうしんどかったですなあ…
あれ?
皆さん何故わしから離れてますのん?」

話を聞いていた阿闍梨たちは次第に空海の体験を我が身に置き換えて想像しただけで、丼一杯の唐辛子を喰わされたみたいに表情を歪め出す。

「その修験者というのは、現世に住まう『鬼』だな。とうてい我々には真似できない…」

と恵日阿闍梨が先輩たちを代表してもう話は十分だとばかりに空海の両肩に手を置いた。

なるほど、空海阿闍梨の人間離れした集中力の理由が解ったぞ…この男は精神が強靭と言うより、
荒行し過ぎて神経の流れが常人とは違う作りになってしまったんだ!

と空海の話に引いてしまっている阿闍梨たちは、ようやく納得したのだ。

空海と先輩たちが談笑し合う光景を少し気まずい思いで見ているのは、空海と共に両部灌頂を受けた義操阿闍梨。
灌頂を終えて蓮池の庭を走り去る空海を見送って午睡から醒めた恵果との会話を思い出していた。

「あの…恵果さま」
「なんだね?」
「先程の空海阿闍梨とのお話ですが、不空三蔵さまが入寂されたのは30年前で、空海阿闍梨のお年は31と。それでは計算が」
「合わなくてむしろほっとしておる。空海は、不空様の生まれ変わりではないと思う」

何ですと!?
空海は不空様の生まれ変わりである、と一目見て分かったと仰ったのは恵果和尚ご自身ではないか!

「ああでも言わんといきりたつ阿闍梨たちを説き伏せるのは難しいと思ったゆえ」
と恵果は木蔭の下で剃髪をぼりぼり掻いて童子のように笑った。
「それでは騙った、という事になりますが…」
「あながち自分は騙ってはいない。というようなことがあってな」

とそこで恵果は真剣なまなざしで義操を見た。

「25年前、困窮していた女が醴泉寺に子を捨てた。亡き夫は天竺人だったのでその子は褐色の肌をしていた。牟尼室利さまは子の顔相見をした結果、ここ青龍寺に連れて来られた。『この子は将来密教を背負う存在だ』と言ってな…

私はその子を弟子にしてずっと傍に置いて育てた。弟子が長ずるにつれ、瞳の色は違えど生前の不空様に酷似してくるお前を見るにつけ…義操、ひょっとしたら不空様の生まれ変わりはお前かもしれない」

そこまで言われた義操は、自分の体に新しい血液が流入するような感覚になり、目の前の師僧の輪郭が鮮明になる。異様に目を輝かせる義操に、厳しい声色で恵果は続けた。

「だからといって、私にも断定はできない、いや、しないと決めたのだ」

「な、なぜ?」

「もし空海が不空さまの生まれ変わりだとしたら、私は不空さまの師の金剛智さまの生まれ変わりなのかね?
私が死んだら、今度は空海の弟子に生まれ変わらねばならないのかね?
嫌だよ。私は死後は何も考えずにぐっすり休みたい」

義操は恵果の言わんとする事がやっとわかったのだ。
前世が誰だ、という覚えてもいない過去や、
来世は誰だ、という遥か遠き未来に振り回されて、

今ここにある生を空費するな。
というきついお叱りをを恵果から受けた気がした義操は庭石に座って瞑目する師僧の前に深々と頭を垂れた…

もちろん蓮池の庭での会話は、恵果と義操だけの秘密。

すべての義務を終えてほっとした表情で長安城から出て来たのは日ノ本から来た一人の官吏。

官吏の名は高階遠成たかしなのとおなり。聖武朝の左大臣、長屋王ながやのおうの末裔で昨年帰国してきた元遣唐大使、藤原葛野麻呂の上奏によって急遽順宗皇帝即位の祝賀のための遣唐判官として唐に渡ることを命じられたこの男は、唐の官吏たちには言えないある密命を受けていた。

それは、唐に居る留学生たちをなるべく多く連れて帰る事。

「留学生の在唐期間は問わない。出来るだけ使える人材を集めて帰ってこい」

と葛野麻呂に命じられた遠成は、そんな無茶な。と思ったが桓武帝は御危篤、参議たちはすでに「次の天皇の御代」に気持ちが向いていた。

天皇が代替わりすればそれに伴って人事も入れ替わる。そのための人材集めであった。

「だから、特に長安に居る留学生の空海、橘逸勢、霊仙を優先して連れ帰るのだ、いいな?これは日の本の未来の為である。責任は全て私が持つ」

と絶対命令の如く圧を掛けられた遠成は、
あの北家の成り上がりめ。もう自分が天皇の寵臣であるかの如く振舞っていなさる…と葛野麻呂に対して内心反感を持っていた。

彼の先祖の長屋王は藤原四兄弟の謀により一家心中の憂き目に遭った。長屋王の遺児の中で生き残った桑田王の子孫が遠成なのである。
彼自身気づいていないがそれは反感と言うよりも、熾火のような藤原氏への根深い憎悪というべきか。

それにしても、気持ちが暗くなるような曇天を見上げて遠成は思う。順宗皇帝即位の祝賀に来たはずなのに、長安に着いた時には皇帝は既に崩御なさっていて葬列に加わるとは…。
「人生とは儚いなあ」
長安の冬空の下47才の遠成は肩を落として呟いた。

西明寺では空海と逸勢が祈るような気持ちで遠成の帰りを待っていた。
なにしろ自分たちは、20年契約の唐留学をたった2年で放棄して帰国したい、という申請書を遠成を通して提出してしまったのだから。

「我ながら大胆不敵過ぎやしないか?空海。国に帰れば良くて官位を落とされ、最悪なら流罪になる律令違反だ…」

と不安に駆られて空海の周りをぐるぐる歩き回っている逸勢に対し空海は

「ほこりが立つから座って下さい。あんなに悲壮感に満ちた文章を読んだら誰だって同情しますってば」

と表面上は冷静な態度で逸勢をなだめた。が、彼も袖の中で順宗上皇帝謁見の折に「これを朕の魂と思え」と余命短い順宗に下賜された翡翠の数珠を握り締めていた。

やがて、「寒いな」と言って従者と共に遠成が空海たちの部屋に入って来るとふたりは居ずまいを正し、遠成の口から申請の結果を聞かされて…
「喜べ、帰国許可が下りた」
と遠成が言うのと同時に空海と逸勢は河を遡る魚のようにその場を飛び上がり、抱き合って小躍りした。

若者二人のはしゃぎっぷりに遠成は呆れて「まあ落ち着いて話を聞きなさい」と再び座らせると、
「空海の方は恵果和尚の御遺言と、般若様と牟尼室利様むにしりさまの『空海を帰国させるべき』という進言があったそうだ…
皇帝陛下も国師と二人の三蔵法師の意見は斟酌せざるを得なかった。そしてきつの逸勢どの」
「はい」

「あんなに哀切に満ちた文章は初めて読みましたよ…あなたの窮状がそのまま伝わって読んだ官吏たち全て同情し、さらには天下の橘秀才きつしゅうさいの真筆をそこに居た官吏たちが奪い合うように見ていた。短期間で皇帝陛下を泣かせる程の文章を書けるようになるとは、よくぞ努力なされた!

あなたは、賜姓皇族の誇りだ!」

「はい…」

帰れる。これで、故国に帰れる。

というかつてない位の安堵感で全身脱力した逸勢はその場にへたり込んで
「柳宗元様に誉められた時より、いえ、人生で一番嬉しゅうございます…」と涙と鼻水を流しながら遠成に感謝の言葉を述べた。
空海も翡翠の数珠を持った手で逸勢の背中を撫でた。

「さあ、帰りましょう」
長安出立の前夜、西明寺の僧たちが帰国する留学生たちにささやかな宴を開いてくれて皆、渡航した時の苦労や長安での勉学の日々の思い出話に花を咲かせた。

空海も珍しく葡萄酒を飲み、仲間たちと笑い合って、そして明日の出立に備えて早めに眠った。

ざざざあ、と底冷えのする季節の冷たい風が窓から流れ込み、乱暴に眠りを覚ました。起き上がると部屋の入口に…人影が立って居た。

影は、かざした右手をわざと袖の中に入れて結んだ印を見せないようにしている。
反射的に空海も、影と同じ動作をしていた。二人ともどのような印を結んでいるかお互い見えない。

「やっぱりあんたはんでしたか」と空海は用心深くその影、霊仙に向かって話しかける。

「前からあんたはんの事、不思議な人やと思うてたんや…奈良の坊さんの中で、あんたはん一人だけ何処の誰だか分からない。でも正僧になって遣唐使にまで選ばれている。何故密の術を使えるのです?」

冷たい月明かりの中で微笑をたたえる霊仙は袖から開いた手を出し、何の印も結んでないことを証明した。続いて空海も開いたままの手を出した。

「わしを試しましたな…」と肩の力を抜く空海に対して霊仙はくすり、と笑って
「安心しろ、私はあの時から決して密の術を使わぬと心に決めたのだ」とくつろいだ様子で卓(ベッド)に腰掛ける空海の横に座った。

「今夜で最後だからお前だけに私の出自を教えよう。私の出身は近江、俗名を木息長日来弥《おきながのひきね》という」
「…!」

息長氏、それは、息長足媛命おきながたらしのひめのみことこと神功皇后、応神天皇の血を引く古代豪族の名である。
「神代から続く貴い血と言われればそうでもあり、謎だらけのいわくつきの血とも言える。

でも今では一族は畿内各地に散り、私の生家も近江の山の中。そこで旅人や修験者たちの世話をして金を貰って生計を立てていた。家族は身を守るまじないとして当然のように密の呪術を覚えた。

ある日、二人の修験者の男が葛城山から流れ着いた。両親はいつものように二人に夕餉の世話をしていたがその内、二人が口論になり、互いに真言を唱え殺しの呪いの術を掛け合ったのだ。

やがて二人は自分の呪いの術を受けてかなり長い間もだえ苦しんで死んだ…それだけで済めば良かったのだが、傍にいた両親にも術が当たり、3日間高熱を出して父も母も死んだ。

客の正体は豪族に金を積まれて禁忌である呪殺の修法を使い、葛城山から追放された修験者崩れだったのだ。

遺された妹と弟は親類に引き取られ、私は生きるため、あのおぞましき体験を忘れるために霊仙寺で仏門に入り、寺の名を取って霊仙と名乗る事にした。

その後、奈良の興福寺に入って正僧になり、名を捨て、全てを忘れたつもりだったんだが…唐はいまや密教ばやり。密の教えはいつまで私を追い回すんだ!?と正直苦しんだよ。青龍寺行きを拒んでお前を無視し続けたこと、許せよ。

ところが同期留学のお前が密教の正統後継者となり、醴泉寺に入って来た時、私は密教を誤解していたことに気づいたのだ。悪いのは術を悪用した者たちであって密教はなんも悪くなかったんや。30年間抱えてきた密教への恨みがすっと解けましたな…」

とそこで霊仙はぺちり、と自分の額を叩いて改まった顔をして
「空海」
「へえ」
「邪な気持ちや自分の欲得で密を使った者に、明日は無い。私の父母のような犠牲者を出さないためにお前は国に帰り、日の本で正しき密の教えを伝えてくれ。
…頼むよ」

「へえ、日来弥さま」

不思議だ、その名で呼ばれるのがもう嫌じゃなくなっている。と言って息長日来弥こと霊仙は立ち上がって自室に戻って行った。

翌朝、故国に持ち帰る書や経典、曼荼羅、仏像や密教寺院の設計図などを荷車に積み、宿舎西明寺で面倒を見てくれた談勝と志明、梵語の師である般若と牟尼室利、そして青龍寺での密教の後継者、義操をはじめとする阿闍梨たち。柳宗元をはじめとする長安の文人たちなど多くの見送りの者を代表して般若三蔵が、

旧友と別れを惜しむ際に、楊の枝を環に結んで無事の帰還を祈る。というこの国での故事に倣って

丸く環にした柳の枝を空海に手渡した。その横では帰国を固辞した霊仙が、

「空海よ、10年後にはまた会おう!」

笑って手を振り、空海も「へえ、きっと!」と答えた。高階遠成率いる遣唐使たちの帰国の一団はこうして長安を出発し、般若たちはその姿が見えなくなるまで見送った。

その後、青龍寺住職義明は間もなく世を去り、後を継いだ義操は阿闍梨たちに支えられながら恵果の教えを忠実に守り、やがて30年後にやって来た遣唐使たちに密の教えを授けることになる。

醴泉寺の牟尼室利も間もなく世を去り、般若は4年後に朝廷の命で天竺に帰国し、故国で没した。

そして、般若の翻訳事業を受け継いだ霊仙は大乗本生心地観経だいじょうほんじょうしんちかんぎょうの翻訳を完成させた功績で憲宗皇帝より日本人唯一の「三蔵法師」号を賜った。しかし、朝廷に近づき過ぎた霊仙はその後日本への帰国を禁じられ、

過去の阿倍仲麻呂、藤原清河、石川道益に続いて、

生きて故国に帰れなかった遣唐使の一人になる…

後記
修験者たちのえげつない荒行にドン引きの青龍寺のエリート達。

戦士症候群(某雑誌で流行った前世の仲間探し)に陥りそうになる義操をぴしりと戒めた恵果。

明かされる霊仙の正体。















































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