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東浦路を歩く〜多賀ー熱海編〜

2022年7月10日。早朝からにわか雨が降り続いていたが、いつの間にか雨は上がっていた。

9:15 伊豆多賀駅前に集合。今日は伊豆半島を歩く会・伊豆歩倶楽部の7月例会にやってきた。今回歩くのは伊豆東浦路、多賀ー熱海まで12kmを歩く。

伊豆東浦路はは江戸時代になって整備が入った古道で、湯河原から始まり、熱海から下田へと続いている。「伊豆の踊り子」たちが歩いた伊豆半島の中央を縦断する天城路と異なり、女性や子供でも歩きやすい道と言われている。

渡米の夢を抱いた幕末の志士・吉田松陰が、神奈川沖から下田に向かった黒船を追いかけて、熱海から下田歩いた道が東浦路。普通の人は3日がかりで歩く東浦路を、吉田松陰は熱海から下田までの100kmをわずか1日半で歩いたというのは有名な話だ。

「好奇心を満たすため」と言われているが、本心は「世界の真実を知り、日本を強くしなければならない。」そんな先見の明から、己の命も顧みず密航を企てたのではないだろうか。

私は昨年の10-11月の間に、伊豆東浦路は熱海から下田まで歩いている。熱海ー伊東を歩いたのは2021年10月20日のことだ。その時は熱海から南下したけど、今回は多賀から北上する。あの急峻な峠を越えて、見えてくる熱海市街の眺望が楽しみだ。

会長挨拶、コース説明、準備運動、山本さんの檄で出発だ。

雨も上がり、本日も天候に恵まれた伊豆歩倶楽部。今日は蒸し暑いから熱中症に気をつけて。対策は、定期的な塩分をチャージ、まめに口に水を含むと良い。まずは伊豆多賀駅から東浦路に合流するため国道へ下りる。

上多賀の交差点を左折して、道なりに県道105号線を歩く。伊豆峯次第の10番目のチェックポイント・多賀神社まで行かず、大川沿いを左折するのが東浦路だ。

大川を沿って上流へ上り道は続く。

伊豆歩倶楽部は2010年に東浦路を踏査し、調査報告書を発刊している。全コースを7つに分割して調査、後にウォーキングコースとして活用したそう。集客力のある伊豆歩倶楽部ならではの地域活性の手法だ。私が歩くことになったのはこの調査報告書がきっかけ。そして、踏破した後に伊豆歩倶楽部に入会したのだ。

今回のコースは東浦路の中で1番歩きにくいコースだと言っていたが、個人的には縄地の山道の方がハードだったような気がしている。

今日は蒸し暑い。こまめに水分と塩分を補給する。暑すぎて顎が出る。

本当はここから森の中へ入り、頼朝の一杯水を目指すのが東浦路だけど今回は省略。団体歩行には向かない。

利用されない道は草木が育つので、どうしても道が荒れてしまう。前回、私が知らなかった道なので、次は本来の東浦路を歩きたい。今回も熱海と伊豆多賀を山通りで結ぶ頼朝ラインで迂回する。

頼朝の一杯水でお昼休憩。伊東祐親から逃げる際、源頼朝の命を救ったと由来のある一杯水。現在は水が出ていない。

源頼朝は1160年(永暦元年)に14歳で韮山の蛭ヶ小島に流罪となり、源氏再興の旗揚げまでの約20年を伊豆の地で過ごしました。そして25歳の頃、伊東荘を領していた伊東祐親の娘・八重姫と恋に落ちます。頼朝に仕える安達盛長の妻と八重姫の兄・祐清の妻は姉妹で、頼朝の乳母であった比企尼の娘ということもあり、二人が知り合ったのはごく自然なきっかけだったのかもしれません。

頼朝と八重姫は伊東にある「音無の森」で逢瀬を重ね、ほどなくして千鶴丸という息子を授かりました。しかし、京での務めから戻った祐親は二人の仲を知ると激怒。平家の目をはばかり、3歳の千鶴丸は殺されてしまいます。祐親に命を狙われた頼朝は、すぐに伊東を脱出して網代から船で赤根崎に上陸し、走湯権現(伊豆山神社)へと向かいます。険しい山を越える途中で喉が渇くも周囲に水はなく、途方に暮れて腰を下ろしたそのとき、太刀の鐺(こじり)が土にあたって水が湧き出してきました。頼朝はその清水で喉をうるおし、無事に走湯権現へ辿り着いたといわれています。

熱海ロマン紀行より

日本ウォーキング協会が東浦路を歩いた時、アテンドされた清水さんとお弁当を食べる。清水さんは伊豆半島中を歩かれた方なので、現在調査中の西伊豆古道について相談させていただいた。

12:30 後半戦スタート、引き続き頼朝ラインを歩く。下り坂なので足がスムーズに運び、軽快に進む。

熱海市街が覗きはじめた。

緑陰の 東浦路 伊豆歩かな

妙法寺の仏舎利塔に立ち寄る。

ネパール世界仏教徒会議にインドの国賓として招かれ、インドのネール首相から贈られた仏舎利(釈尊の遺骨)一粒をこの地に祀るために、1962年に建立されたそうだ。みんなで記念撮影。

うっすらと房総半島までまで見える。

妙法寺からは団体歩行に向かないという理由で、東浦路ではない道を下っていく。

急峻な坂道に時間が止まったようなもう一つの熱海の風景。観光者数300万人超えの人気観光地のイメージとは違い、伊豆半島らしい喉かな集落。山に囲まれとても静か、そして心地が良い。

今宮神社に立ち寄り、下ったところで東浦路と再合流。国道がができる前の旧道が東浦路だ。

日差しが強く、照り返しもきつい。

熱海市役所前の花ひろばにて最後の休憩。この一帯は、徳川三代将軍・家光公が熱海御殿(湯殿)を造り、明治21年には大正天皇の御用邸となり、昭和6年に熱海町に払い下げとなって、熱海市役所になった大変由緒ある土地なのだ。

ここまで来れば熱海駅まで、あと800m。

熱海駅前平和通り商店街を歩く伊豆歩倶楽部一行。本来は一本海側の道が東浦路。まさかこんな都会を歩くことになるとは。

14:30 熱海駅に到着で本日のゴール。


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