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「誰かのためになりたい」からこそ、気を付けること【インドア目線】

人間は、誰かのためになりたい生き物。

読書嫌いな僕でも手にしたカウンセリングの本や、

鳥取でいろんな年代・バックグラウンドの方々と出逢っていくうちに、

僕はこんな大前提を胸に刻んで、日々を過ごしています。

「誰かのためになりたい」

言葉はシンプルですが、僕は結構難しい、
ナーバスなものだなと思っています。

これは、ちょっと悪い言い方をすれば
欲望」とも言えるし、

良いほうにいえば
モチベーション」とも言えます。

誰かのためになりたいからこそ、
どこからか、不思議なエネルギーが湧き出てくる時があります。


いろんな活動に、一歩踏み出してみたくなります。


具体的な誰かのためを想うと、
ここぞのところで踏ん張ることができたりします。

インドア人間な僕も縁あって、鳥取で何度かそんな
「未体験ゾーン」に突入したことがあります。

しかし、
人は誰かのためになりたいからこそ、


その想いが、エネルギーが、

時として、
思わしくない方向に進んでしまうこともあります。

いちばん身近な例だと


年上が年下に、

必要不可欠な連絡事項などとは別に、


知っていることや自分の体験してきたことなどを、
教えたくなる時があります。

それが相談事のひとつとして、
相手から聞かれたことだったらまだよいのですが、


ついつい、

「あなたのために」と言いながらもしかし、


そんなことそもそも聞いてないよ…という余計なことまで
ベラベラと話してしまいます。

周りと自分を比べて、劣等感を抱いている時、
ちょっと余裕のない時に、

自分が知っていることを、思っていることを、


無駄に語気を強めた言い方で、
乱暴なやり方で表現してしまうことがあります。

たとえ自分の言っていることが、
「正しい」ことだったとしでも、

その伝え方・言い方が不親切だったり、
相手の声を聞くことを忘れていたりすると、


自分の想いが相手に伝わらないどころか、
かえって残念な印象を抱かせることもあります。

自分の立ち位置をあまり考えず、
何をサポートするのかも明確にできないまま、


サポートならするよ!応援しています!」


と口にしてしまうことがあります。

…さて、
「地域のため」 というのもまたそうですが、

「~~のために言っている」、
「~~のことを想ってやっている」

…この、


ためになれている状態」は、

誰が決めることでしょうか?

当たり前ですが、

サポートできているか、機能したかどうか、

相手にとって「ホントに助かったよ! 」という動きができたかどうかはあくまで、


そのサポートしている対象の人が、決めることです。

自分の主観だけでは、サポートできたかどうか
それを測ることはできません

サポート役を引き受けた時ほど、
実は、真面目な問いかけ、フィードバックが必要です。

サポート役を担うための、

自分の力や経験が、
足りていなかった
という場合もあります。

サポートする対象の相手と自分との、

元々の相性や距離感が
良くなかった
というケースもあります。

あるいはもっとシンプルに、 コミュニケーション


もっと相手の声や真意を理解することや、
逆に自分を相手に開くことで、


もう少しうまくやることができた…


そういう場合もあると思います。

僕も、 大なり小なり、
誰かのためになりたい欲望を持っている、
人間です。

ただ、基本は、
誰かのためになりたいからこそ、表に出さずに、

その欲求は
自分でコントロール
しなきゃいけません。

まずは黙って相手の言葉を聴きます。

相手が年上か年下か、
地元の方か移住者かはそこまで関係なく、

自分が本当に力になれるかどうか

どこなら力になれそうか、
そもそも引き下がるほうがいいのか、
明確な役割はなく、フリーに動いたほうがいいのか…


黙って聴きながら思いを巡らせます。

(僕が人よりも、黙ることが得意だというのもありますが…)

人から聞かれた時や、

場面に応じてそれが需要がありそうな時

シェアするべきタイミングが来たときにはじめて、

「こんなことがあって…」と、

自分の持っている手札を、
1枚ずつ、出す
ようにしています。

また、伝え方・言い方にも、
可能な限り、気を付けています。

僕はサークル活動やボランティアで、

海外から大学に来た留学生と、
時間を共に過ごす機会がありました。

僕らがなんてことなく使っている日本語を、
彼らの理解レベルに合わせて、
難易度別に使い分ける
必要がありました。

方言とか難しい慣用句とか、もってのほかです。


使ってるこっちは気持ちよくても、
相手にはまったく伝わってません。

彼らと会って間もない頃、
日本に来て間もない頃はなどは特に、


僕らが中学ではじめてふれた、
英語の教科書の訳文くらいのレベルに、


自分の日本語を極限まで噛み砕いて伝えるように、
頭を働かせていました。


かなりここで、
伝える」ということを考えさせられました…。


(彼らはあくまで日本語を勉強しに来ているので、英語は休日やプライベート以外ではできるだけ使わないという、学内教員の意向もありました)

また、わざわざ海を渡って勉強しにくる、
意欲的な彼らと接しながら思ったのですが、

こっちがちょっと、
彼らよりも知っていることが多いという理由だけで、


「えー!そんなことも知らないのー!」
「ダメだなー!」




…丁寧に教えずに、こんな態度で向き合う、
言葉を発しちゃうのは、

彼らに失礼です。

就職面接のときや、
レベルの高い議論をする時なら話は別ですが、

これはまだ、あくまで雑談レベル、
プライベートの話でのことです。

彼らの日本の思い出の1ページに携わりながら、

裏で僕は、
自分はそんな態度で後輩に接していないか
ついつい気になりましたし、

キャンパスの外の方とお話しするとき、
お話を聞く時
にも、

それは頭の中から離れませんでした。

…それでも僕も、激しく疲れているときなどに、
「決壊」する時もあるので、


そのたび一人で反省会をするのですが…笑

「誰かのためになる」ことは、
決して簡単ではないですが、


僕が留学生との触れ合いで学んだことがあったように、

やってはじめてわかる」こともあると思います。

逆にいえば、特に学生の時期は、


今、無駄に時間があったり、
特にやりたいことがない・わからない状態なら、

「誰かのためになることをしてみる」
のも、アリだと思います。

ふと先日、引き出しにしまっていたCDを取り、
聞き流してみました。

伯母からコピーしてもらった、
とある講演のCDです。


講師は、三重県出身の、中村文昭さん。

鳥取でも何度か、
教育関係のイベントなどに、講師として登壇された方だったと記憶しています。

(僕は参加はできませんでしたが)

この方もかつては学生時代に、
「やりたいことがなかった」人でした。

その方がたまたま焼き鳥屋で出逢った、


「人生の師匠」のような存在の方から授かった教訓のひとつに、

こんな言葉があります。

「やりたいことがないのなら、人を喜ばせることをやれ」

…この後の彼の人生の道筋は、ここでは割愛します。


各地で講演をされている方なので、
ネットで公聴者の感想なども書かれていると思います。

…もし、そのCD聴きたい!という声をいただきましたら、

僕もそれに反応して、『手札』を出したいと思います。


…今回はちょっと、胡散臭い締め方になりましたが、


僕が「こんなことも知らないのー!」

と語るよりは、数倍マシだと思いました…笑

読んでいただきありがとうございます。いただいたサポートは、鳥取のアートシーンで活動されている方々を応援する際に使わせていただきます。