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「何が好き?」より「なんで好き?」に目を向けていたい【インドア目線】

こちらではご無沙汰しております、井澤です。

前々から書くぞ書くぞと思っていたテーマだったのですが、
あーだこーだしているウチに延びていました…

(note内には似たタイトルの記事を一度投げていたのですが、リセットして書き直しました)

そのぶん、今回は し つ こ く
書いてみたので、お付き合いください…。

さてさて「なんじゃこりゃ?」と思われそうな
タイトルですが
はじめに2つほど、僕が実際に直面したケースを挙げたいと思います。

●case①

昨年イベントでお話しした、
外国人の方との会話の一節。

(※時おり英語を交えて話しました)

外国人「自己紹介の一端として、
『スポーツは何が好き?』『歌手は誰が好き?』とかを聞くと、

みんな、テニスが好き…
ジャニーズの△△が好き…とは答えるんだけれど、

何でそれが好き?

ということを聞くと、
彼らはあまり答えないんだ。

時には
『なんで好きか?…う~ん…好きだから…』

で終わるからね…。コミュニケーションにならないんだ…。」


●case②

インドアな僕ですが、
地域でいろいろな活動をしている高校生
(授業の一環だったり、有志の活動だったりと形は様々)の取り組みを

目にする機会がありました。

彼らと大学生とのワークショップでの
会話での一節です。

大学生「たとえば、どんなことが好き?」

高校生「好きなこと…う~ん…

寝ること!

大「………………」

「ほ…ほう…」

ここで僕は、
ケース①で、質問に答えることができない日本人を責めたいワケでも、

「寝ることが好き!」と答えた
ケース②の高校生について、何か言いたいワケでもありません…

僕は、小さい頃からどうしても、
周りと違うもの、

特に
「マイナーだなぁ…」
「なんでそっち派なの…?」
「渋いなぁ…」


と呼ばれるものばかり、好きになる傾向がありました。

同世代の流行りの歌手ではなく、
DEENが好きなのも、

当初はゲームの主題歌がキッカケだったけど、
ボーカルの池森さんの声に惹かれて、
次第に他の曲も聞くようになった…

などと、
他に仲間がいないゆえに、自分で説明しないと
わかってもらえません。

小さい頃に見た戦隊ヒーローでは、
リーダー格の赤レンジャーよりも、

全体で3番目くらいに名乗る
青や黒とかのほうが好きだったのも、

僕が
「真ん中に立つのは苦手だから」
「単に青や黒の俳優さん
(照英さんとかケイン・コスギさんとか)が
かっこよく見えたから」

などと説明しないと、わかってもらえません。

父の影響で小さい頃からプロ野球を見てましたが、

僕が好きなのは大人気の巨人でも阪神でも、
鳥取とも近い広島でもなく
オリックスなのも、


イチローが200本安打を記録した年の盛り上がりぶりと
自分の物心ついたタイミングが一緒だった

と自分が説明しないと、
基本的に、オリックス仲間はいないので、周囲にはわかってもらえません。


人とは目線が違うゆえ、どうしても、

「なんでわざわざそれが好きなの?」という
理由を説明しないといけなくなります。

case①とも繋がると思うのですが、

英語は日本語と違って、
様々な国の方が学んでいます。

そのぶん、生い立ちの違うもの同士でも
会話、議論のできる
ツールとなっています。

僕も大学の授業がない時間帯に

留学生が受ける日本語授業のボランティアをしていたことがあり、

たまに授業後に彼らとご飯に行くのですが、

アフリカ、ヨーロッパ、オセアニア…
まったくバックグラウンドの違う人たちが、


お互いが違うことを前提に、
英語で、「アナタはどう思うの?それはなんで?」

と、聞きあっていたのを今でも覚えています。


僕らが住んでいる日本は、
いくらグローバル化…とはいえ、

陸続きに他の国と繋がっている、海の向こうの大陸とは
「違うことを前提にした会話」は
相対的に起こりにくい、

こちらではまだまだ
「だって…こっちの事情、言わなくてもわかるでしょ?」

で会話が止まる、議論が起こりにくい環境なのかも

と思っています。

●「なんで好き?」からは、自分を知ることができる。

case①のようなシチュエーションなら、
僕は分野によって、たまたま、「なんで好き?」を言えたのだと思います。

case②のようなとき、
僕が後輩から、

「今興味のあるものはなに?」

「自分が夢中になれるものはなに?」

と聞くような立場になったら、

僕は
「政治に興味があります!」という人も
「寝てるときが私は1番幸せです!」という人にも、

同じ気持ちで接することができる自負があります。。

「そうか、寝てるときが幸せなのか!

たとえば、
何も考えてない瞬間が幸せなのかな?

それとも、いい枕やBGMとか追求してる瞬間が好きなのかな?」

などと
(ちょっと記事用にやっつけの部分もありますが)

話は、いくらでも拡げることができます。

それは、

何が好き?の部分より、
なんで好き?の部分に

その人のルーツバックグラウンド
本人すらまだ言葉にしきれてない意識のカケラ

そういった部分が、潜んでいるからです。

僕は、ある時期から、
話し相手が初めて会った人との場合でも、

なんでそうしようと思ったんですか?」

「今日この催しは何を見て来られたんですか?」

「ずっとその取り組みをやってたんですか?
(きっと違う答えが来るかも…という推測の意味を込めて)」

と、

相手のルーツを聞くような質問を
よくするようになりました。

自分に自信のない人や、

ちょっとごまかしたいことがある人
(ぼくにだってあります)、

自分を開くのが苦手な人などには、

僕は怖い人とか、ひいては厄介者のように見えてしまうかもしれません。

(たまに、同期からも「コワいよ」と言われます)



しかし、今の自分は、

「◯◯が好き」同士で繋がっている人だけでなく、

「□□だから好き」の□□の部分に共感した人と、
今でも会うことが多いような気がします。

僕はこう見えて、読書をしないタイプなのにも関わらず、

鳥取では、何人かの本好きな人との
運命的な出会いがありました。

「本は著者の体験や視点を共有することができる」

「この人が◯年かかって必死にたどり着いたコトを、本を読むことで、短時間で少しでも取り入れることができる」

「同じようなイメージでも、書き手ひとつによって言い表し方が違うことに気付けたり、

自分と立場は違うけど、意外と似たような考えを持ってることに気づける」

などなど、その理由を聞いたら、ふしぎと納得。

これらは、僕がギャラリーに行って、

人生の先輩、

鳥取の外や日本の外を知る人の体験を

作品などを通して追想できる…

その感覚に、近いものがあるのかも…と思えるようになりました。

そういうわけで、

僕は人を「何が好き?」で判断するより、

「なんでそれが好き?」を大事にしたいわけです。


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