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小説「武光と懐良(たけみつとかねなが)敗れざる者」39


第八章   宿敵



三、
 

針摺原(はりすりばる)の戦いで征西府が一色軍を打ち破ったという報は遠く京にもたらされ、征西将軍の一味が勝ちに乗って京に攻め上ってくるとの噂が立ち、京では戦々恐々として震え上がった。だが、むろんそれほどの実力はまだ征西府にはない。
ひたすら一色軍を追って各地に転戦し続けるのみの武光と懐良親王だった。
そして今日、幾多のいくさで勝利を得て菊池へ戻った武光と親王の軍勢が台(うてな)台地を行く。それぞれの愛馬にまたがった武光と親王が先頭に立って歩みを進める。
夏の雲が白く巨大に湧き上がる空の下だった。
左は八方が岳につながる山岳地で、右は大きく落ち込んだ七城の平地となっている。


うてな大地の凱旋


太古の昔、菊鹿盆地は巨大な湖だったもので、その時期七城あたりは水の底、現台台地は湖水の岸辺だった。水が引いた後の七城は足場が悪く行軍には適しておらず、武光は進撃、帰着は必ずこの大地を使った。そのうてな台地へ菊池の人々が出迎えて万歳を叫ぶ。
「宮さま!よかいくさ、しなったあ、勝利、おめでとうございます」
「お二人がおれば菊池は無敵じゃ!」
「征西府、万歳!」
と叫ぶ人々は武光と親王のタッグに希望を見出している。
菊池にある意味バブル期が訪れようとしていた。かつてない繁栄に向かっているという実感が皆にみなぎり始めている。皇室の皇子を迎えて政府がおかれた。そのうえ、未曽有の好景気、未曽有の発展、未曽有の未来像が見えている。不安な要素は勢いの元に姿が見えなくなっており、菊池の青春時代であったといえるかもしれない。
ただ、その財政の内実がまだ盤石(ばんじゃく)ではなく脆いことには誰も気づいていない。懐良の顔に穏やかな笑みが浮かんだ。
「武光、皆の者がわしの名を呼んでくれておる、そなたのお陰だな」
「親王様がご自身で勝ち取られた信頼ですばい」
懐良親王がふと、遠い目をする。
「…いくさ場で武士の真似ごとをしてみたところで、…わしは満たされぬよ」
これまで何度か武光に漏らし、そのたび武光がやさしく受け止めてくれた。
「その迷い、武光以外にお見せになられますな」
「…武光、…わたしは京の都へは幼き頃、わずかしか住んだことはない、…頼元によればそれ華やかな土地柄じゃそうな、…頼元は一刻も早う京へ上りたがっておる」
「でしょうなあ」
「宮家のものである以上、京こそが本来生きるべき場所であると、頼元は言う、…歌を詠み、宮廷で公卿としての儀式を執り行い、蹴鞠をし、しかる後にまつりごとに目を配る」
「…なるほど、おいには想像もつきもさぬ」
「…わたしにもそうじゃ、…ただな、母が生きた都じゃ」
武光は懐良の顔を見やった。
「…後醍醐帝崩御以来、母の二条藤子は行方不明じゃそうな、…どこかで生きておられたとしても、南朝が押し込まれて、このまま押し潰されてしまうなら、母の立つ瀬はない、…武光、母は私に紙でお雛様を折ってくださったことがある」
武光ははっとなり、懐に触った。この折り紙か。
武光は宇土の津以来、懐良の捨てた紙のお雛様を懐紙に包んで肌身離さず持ち歩いている。何か親王の奥深いところに関係するもののような気がして、拾ってしまった以上、捨てられない思いとなったからだ。
「しかし、私はそれを捨てた、…都を思いきり、この九州に生きる道を見出そうと思ったからだ、この九州で、荒くれた武士たちを相手に渡り合うには、甘い感傷に浸っている場合ではない、強くならねばと焦ったのじゃ、この九州で生き延びねばと、…だが、間違っていたかもしれぬ、…私の使命はやはり京へ上ることにあるのだろう」
武光は懐良が矢筈岳で吐露した虚無の想いを脱しつつあるのか、と感じた。
親王は後ろ向きの姿勢を脱し、前を向いたようだ。
前を向いてみればそこには母の面影があり、その母への思慕から新しい自分の生きるテーマを見出そうとしている。武光はそう感じた。
「…皆の力を借りねばならぬな、九州人の力を合力してもらい、京へ攻め上る、皇統統一をなす、…これまで本気ではなかった、…まず、わしが本気で腹をくくらねばならぬ。…そうであろう武光」
その表情は迷いを断ち切り、決断しようと己を鼓舞しているようにみえる。
武光はまぶしいような思いで懐良の横顔を見やった。
同時に目的意識として同じ東征をテーマに持てたと感じていた。
共に一つの行く先を共有している。同じ目的のために命を懸けて進む。
命を懸ける道筋として不足はない。夏の太陽の下、二人は命の真っただ中でつながり合っている。武光はそう感じていた。
 
菊池に戻ったからと言って、羽を伸ばす暇はない。
この年から、正月の興行だった御松囃子能が、いくさに出た武光と懐良が不在だった為、夏に演じられるようになった。その演舞会への出席予定など、菊池の棟梁として公式行事をこなさなければならない。また、武光は領内の村々を回って年貢おさめの内検に自ら立ち会った。全村に立ち会いはできないが、田の出来具合により、翌年の年貢の損免を決める内検を実見することで百姓たちの実情を自分の目で確かめるのが武光のやり方だった。
各村の天神様や八幡様など、信仰する神社でみそぎの儀式が行われ、続いて村長の家の庭で百姓たちが役人に実情を訴え、損免の願いを出して交渉する。
通常この間に役人によって賄賂が取られたり、強引な取り立てで百姓が追い詰められたりする。あるいはやけくそになった百姓がいれば、あまり押さえつけられれば逃散するぞ、とはね返る、そんなトラブルが発生しがちだ。意地を張り合えば揉め事となり、事が大きくなれば、結果領主にも損が生じる。ほどほどに互いの落としどころを探らなければ角が立つ。   そこに武光は立ち会うのだが、細かいことを何か言うわけではない。いつも冗談を言ったり、会が終わってから皆で酒盛りをしたりして、和気あいあいたる気分を醸し出した。
年貢に絡んだ催事で百姓と酒盛りをする領主は稀だろう。
豊田の時代から年貢取り立ての役回りをこなしてきて、武光は現場に通じていた。
そもそも武光が商業を振興させたので菊池は豊かになってきており、穀物を商人に買い上げてもらって銭で年貢を治める道もできてきて、百姓衆が楽になってきているせいもあり、武光のいく先はいつも笑い声が絶えなかった。
そういう仕事を終えてから、武光はやっと屋敷に落ち着いて数日を寝転んですごす。
遅く目を覚ましてから、武光は屋敷の庭先へ出て、迫間川(はざまがわ)の断崖越し遥か彼方に袈裟尾(けさお)の森を見やった。
そこでは美夜受がおえいと子を養い暮らしているはずだった。
だが、美夜受との関係をこの先どうすればいいのか、武光には見えていない。
美夜受を失った後、武光は貞操を守っていたわけではない。
有り余る精力を発散すべく、多くの女性と契りを交わした。七城松島の豪農の娘、のちに松島御前と呼ばれた女性などの存在が今に伝わっている。
そういう女性たちとの間に子も数人なした。十郎と名乗っていた時代の子もいる。
豊田の十郎時代の子も含め、その子供たちは屋敷へ引き取って乳母(めのと)をつけて育てさせている。母たちとの面会は自由にさせて寂しくないように気配りした。
武光は孤独ではなくなっていた。
自分が飛び地に捨て置かれて寂しかった体験を、子供たちには絶対にさせたくなかったからだ。武光はその後も生涯正妻は持たなかった。
それが美夜受への真心からの行動であったかどうかは定かでない。
 
正観寺はさらに拡大されていきつつあった。
修行僧が増え、伽藍が建て増されている。
そんな正観寺へ今は管主となった大方元恢(たいほうげんかい)を訪ね、武光は座らせてくれという。
「ほほう、いくさの中で何か感ずるところがあったのかな?」
元恢は冷やかすように言ったが、特別に山門へ案内してくれた。
その山門上で武光は座禅を組む。
夏の日差しも薄暗いここまでは灼熱を届けてはこない。
蝉がわしわしとうるさく鳴いている。
なぜ座るのか、武光に理屈はない。
ただ、菊池を担いで行けるところまで行く、というおのれの信念の傍に、どす黒い落とし穴のような渦巻きがあって、それになにもかもが吸い込まれそうな不安があった。
牧の宮懐良親王と二人、南朝の金烏の御旗を奉じ、戦い続けること、その先で皇統統一を果たし、この国を統一すること、そのゴールを目指す以外、生き残る道はない、と思い定めた。そこに迷いはない。だが、恐れがある、と自分で気づいていた。
おいは何を怖がっておるのか。と、自問自答した。
恐怖の源はあれだ、と武光は思った。
博多街頭の武時、炎を背にした悪魔少弐貞経(しょうにさだつね)の狂笑。
恐怖して菊池軍の危機に背を向けて逃げた、と武光は突きつけられる。
死にゆく武時をその場に残し、自分は逃げた、と感じている。
幼い自分に何ができた、仕方なかった、とは思えず、己の内部の怯懦を武光は恥じた。
実のところ、己の弱さへの嫌悪こそが武光の恐怖の正体だったかもしれない。
大方元恢(たいほうげんかい)がきて、よだれを垂らさんばかりにしながら、武光に誘いをかける。
「いつまで座る気じゃ、たいがいにして、一杯、いけ」
徳利をどんとおいて、持参の杯二つに酒を注いだ。
武光も座禅を解き、盃に手を出した。
「悩みか?…ガキのうちは勢いで突っ走れようが、重荷が増えていけば迷いが出る、当然のことじゃ、…じゃがのう、迷いにも色々ある、…見極めよ」
「何を見極めたら良いのじゃ」
「おいに訊くな、他人のことが分かるか」
「言いたい放題か、坊主は気楽で良か」
酒を口に運び、武光は博多で大方限界に鍛えられた時代を思い返した。
ふと、素直な気持ちになっていた。
「大智禅師にも言われた、…見性成仏を果たせ、慈悲の覇者となれと」
「ほう、大智禅師様か」
「…じゃが、意味が分からん、…言葉では理解できた気がしても、…わしには無縁の境涯のような気がする」
「なるほど、…菩提心(ぼだいしん)は萌(きざ)したようじゃの」
「…菊池の行く手を阻むものは倒す、わしにはそれがやれる、武将どもを打倒し、仲間に組み入れ、征西府で九州に覇を唱える、菊池を繁栄させてわしの器量を天下に示す、本来の面目なぞしったこつか!…じゃのに、わしは何を恐れておるのか!?」
自身内部の恐怖心を持て余して、顔を歪めた。
「…恐れる?」
「本来の面目とは何だ!見性成仏とは何だ!慈悲をなぜ持たねばならん⁉…おいはそれどころではない、おいはもう悪夢を見とうない、眠れぬのじゃ」
堂々巡りのやるせない思いにさいなまれていることを武光は白状している。
「良い傾向じゃ、…大疑団なきところに悟りなし」
「知らぬわ!おいは少弐を討つ、まずはそこからじゃ」
憎しみに捉われている武光の顔に執念のような憎悪が浮かんでいる。
武光の脳裏に再び少弐貞経の姿が浮かんでくる。
炎を背に悪魔のように笑った少弐貞経。
「…少弐貞経、あの姿が忘れられぬのじゃ、…あいつは親父を呪い、わしを呪うた、…あいつを殺せぬなら倅の頼尚を殺す、でなければ親父は浮かばれぬ、わしの呪いも解けぬ!」
「ああ、そこでねじれが生じておるのじゃな」
「なに⁉」
「今は亡き秀山元中老師のお言葉を忘れたか、…恐れは汝が作り出す幻じゃ、父母未生以前(ふもみしょういぜん)本来の面目に恐れなし!」
「ふん、…仏書も読んでみたがの、…見性成仏なぞ、簡単にできるか」
「それでも見性成仏(けんしょうじょうぶつ)せよ、武光、…おのれの命の正体を思え、…それが分かれば、何がお前を迷わせるのか、それも分かる、…それが分かればどう生きればよいのか、それも分かる」
「禅坊主の悪癖じゃ、謎かけはよせ!」
「お前はなぜ戦う?いくさで勝ってもいつかは敗れる、敗れなくとも滅ぶ、永遠はない、だが、お前はいくさをする、武将はいくさで大勢を殺す、敵も味方もじゃ、大勢の喜びや悲しみを奪いつくすのが武将じゃろう、答えを持て十郎、わたくしの為にいくさをしてもよいのか、なんのために戦うのじゃ?」
「!」
「いつか雑兵の霊魂に問い詰められる日が来るぞ、わしはなぜ死なねばならん、なぜあなたはわしに死ねと命じたのか、とな」
武光が硬直して大方元恢を睨みつけた。
その言葉がまともに胸に突き刺さっていた。


 

《今回の登場人物》

〇菊池武光(豊田の十郎)
菊池武時の息子ながら身分の低い女の子供であったために飛び地をあてがわれて無視されて育つ。しかし父への思慕の思いを胸に秘め、菊池ピンチの時救世主として登場、菊池十五代棟梁として懐良親王を戴き、九州統一、皇統統一という道筋に菊池の未来を切り開こうとする。
 
〇懐良親王(かねながしんのう)
後醍醐帝の末子。南朝巻き返しの最後の希望となって征西将軍とされるも流浪の果てに菊池武光に迎えられ、やっと希望を見出す。武光の支えで九州を統一、やがて東征して皇統を統一するか、九州王朝を開くかの岐路に立たされる。

〇美夜受・みよず(後の美夜受の尼)
恵良惟澄の娘で武光の幼い頃からの恋人。懐良親王に見初められ、武光から親王にかしづけと命じられて一身を捧げるが、後に尼となって武光に意見をする。
 

〇大方元恢(たいほうげんかい)
博多聖福寺の僧だった時幼い武光をかくまい逃がした。
後、武光が聖護寺を菊池一族の菩提寺として建立した時開山として招かれる。
 


 

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