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*現在開催中*ピカソの展示会、よかったです。

展示会について

福岡のみぞえギャラリーでピカソの展示が行われているというので、お邪魔してきました。美術館ではなくギャラリーを訪れるのは初めてでどきどき。。。。

展示されているのはピカソの作品が4点、(うち「男の顔」は日本初公開だそうです)ロベルト・オテロが撮ったピカソの晩年のポートレートがたくさん展示してありました。

ピカソの作品を目にするのは今回3度目でした。1度目はマドリッドにて「ゲルニカ」、2度目は宮崎県立美術館の常設展示を見たのですが、その時はマグリットの方が気に入ってしまってあまり覚えておらず(-"-)

「青の時代」はきれいだけどキュビスムは良さがよくわかんないくらいの浅過ぎる認識しかなかった私ですが、「ゲルニカ」を前にしたときはピカソの怒り、悲しみ、故郷や平和への思いのようなものに圧倒されました。しかしそのイメージが強すぎて強烈な画風の政治的な面のある画家だと思っていました・・・。(ピカソが好きな方、すみません。。。)

今回はちょうど原田マハさんの「暗幕のゲルニカ」を読んでピカソに興味を持ったタイミングだったことと、ポートレート目当で足を運んでみました。

苛烈な画家のイメージがありましたが、写真に写っていたのはその激動の時代を抜け、家族や友人穏やかな晩年を送る画家の姿でした。実際ピカソの晩年は、2番目の妻であるジャクリーヌが外部からガードしていてくれたおかげで、創作に集中できる環境だったらしいです。どの写真も優しさや慈しみにあふれていました。

特にモノクロの写真はピカソの瞳の深い輝きがよくわかって素晴らしかったです。

ピカソは何を思いながら創作していたのか

ピカソの絵を見て思うのは、何を見てどう解釈したらこのような絵になったのだろうかということです。ピカソという人にとても興味がわいたのでピカソの遺した言葉も交えながら少し考えてみたいと思います。

芸術家を何とお思いか。画家なら目、音楽家なら耳、詩人であれば心に抒情、ボクサーなら筋肉のほかに何も持たない愚か者とでもお思いか。それはとんでもない勘違い。芸術家はそれだけでなく、政治的な存在でもあり、世の中の悲しみ、情熱、あるいは歓びにもつねに関心を抱き、ただその印象に沿って自らを形作っている。

芸術作品は、部屋を飾るためにあるのではない。敵との闘争における武器なのだ。

 ゲルニカを描くことでナチスへの抗議を表したピカソらしい言葉です。ピカソは画風が目まぐるしく変わるということでも有名ですが、それは彼が大切にしていたものは絵画という芸術の一種ではなく出来事や対象への思いだったからかもしれません。

ピカソの父親は美術教師で、彼は幼いころから父に絵の手ほどきを受けていたそうです。その甲斐あって古典的な絵画の技術の習得は10代半ばでほぼコンプリートしていたようです。だからこそ絵画そのものではなく対象の解釈→咀嚼、新しい表現の模索という一歩先の段階に進んでいたんですかね。

ようやく子どものような絵が描けるようになった。ここまで来るのにずいぶん時間がかかったものだ。

 幼少期から絵の英才教育状態だったピカソにとって、逆に子供のような絵が目指すものだったようです。

展示されていた写真の中で、妻ジャクリーヌのポートレートがあり、その自宅の壁にはピカソが彼女に送った無数の絵ハガキがギャラリーのように貼られていました。ピカソが晩年自由に絵を描けるようになったような感じがして、私はこの写真が一番好きでした*^^*

最後に

ピカソは愛用の椅子を「玉座」と呼んでいたそうです。(「玉座」に座る写真もあります^^)彼は確かに王様であり、自分の王国の人々を愛していたのだなと感じていたら次のような言葉を遺していました。

私の創造の源泉は、私が愛する人々である。

つらつらと書いてしまいましたが、この一言に尽きる展示会でした。

美術に詳しくない私がこの展示会について書くのは気が引けけましたが、素晴らしい時間を過ごせたので、多くの方に知ってほしいと思い記事にしました。美術館でピカソを観ようものなら人が多くてなかなか集中しづらいですが、こちらではゆっくり楽しむことができます!

4月16日まで福岡市内のみぞえギャラリーで開催されています。ヤフードームの近くです。福岡近郊の方はぜひ・・・^^

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