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ハイブリッドでいこう! 〜対話と講義の均衡

 もうね、noteで文章を書く体力も残ってないくらいに疲れる日々を送っております神楽坂です。実に厳しい。仕事しながらnoteに文章を定期的にアップしていくって尋常のことではないですね…みんなすごいな。
 自分の備忘録だから気軽にやるっていう名目のもとちんたら書いていきましょう。今日はなんの話だっけ? あー対話型授業のお話です。
 あと、さっき書きながら思ったんですけど、ですます調なのかである調にするかはっきりさせた方がよくない…??

講義調授業の最大の弱点

 前回までの連載の冒頭にも書きましたが、私は講義調の授業の必要性を強く感じています。主体と客体の揺らぎが授業中に起こるため、一方的に講義をしているようには見えるけど、実は聞いている生徒が主体になっていることもある、と思います。

 しかし、講義調の授業にはある大きな弱点が存在します。それは「授業者の能力が最も養われる」というものです。
 授業者は講義をするために、何を話すのかを予習し、国語の授業であれば板書案を作成して自分の思考を可視化します。そしてその予習のもと、授業という形で自分の思考を、言葉を通じて他者へと伝達する。そのときには「どのように話せば他者に伝わるか」ということも考えながら思考を整理します。最終的にテストを行うことで「自分の話したことが他者に伝わっているかどうか」を確認し、振り返りを行います。
 
 この予習→アウトプット→振り返りの繰り返しを行うことで、授業者の論理的思考は洗練され、無駄な情報は削がれていきます。
 論理的思考を養うためには、自分で論理を抽出し、可視化、言語化することでアウトプットすることが必要です。その営みの中で失敗し、修正することを繰り返していきます。よって、授業者の思考が最も洗練されていくのです。

 それに対し、授業を聞いている側は他者から論理を伝えられるのみであり、その論理を批判的に聴講することはできるかもしれないが、そもそもその論理を抽出する作業を行うことはできない。論理抽出の失敗も経験することができません。
 授業の中でも他者から論理構造を伝えられるだけではなく、自分で論理を組み立てる営みを仕掛ける必要があります。そのようにして講義調授業の弱点を補うことができるのです(もちろん対話型授業にも弱点はあります)

単純に授業者も楽しい

 私が対話型授業を始めることになったきっかけは専任教諭になって2年目のときに、「授業がつまんねぇ」って自分で思ってしまったことでした。
 私が質問を投げかければ答えは返ってくるけれど、ただのQ&Aの繰り返しが続くだけでそこからの発展が感じられない。そのとき生徒がどう思っていたかはわかりませんが、私は自分で自分の授業が退屈になってしまいました。
 その悩みを上司に相談してみたところ「だったら」と言って、ある授業形式を紹介してくれました。
 まず国立2次の問題を解いてくる。授業は机を円形にして行い、席は毎回くじ引きで決める。そうして順番に自分の解答を紹介しながら「なぜその記述の書いたのか」を説明します。一人だけ説明するのではなく、何人か説明して、それぞれの解答と解答の根拠を比べる。そうすることで解答をブラシアップしていく、というものでした。先生は疑問を投げかける役で、答えを伝える役ではない。要は議論のファシリテーターとなる、という授業案でした。
 その話を聞いたとき、そんな形の授業があるのか、と驚いたことを今でも覚えています。と同時に、自分でもやってみたいとも思い、早速実践することにしました。

 私が担当していたのは高校3年生の古文の授業でしたが、同じように円形になって、国立大学の問題を説明し合う形を取ってみました。初めは授業をまとめることに四苦八苦していましたが、やっていくうちに生徒も要領を掴み始め、議論が進むようになりました。
 「なぜその解答にしたのか」という根拠も自覚的に考えることで古文の文法知識の体得だけではなく、他者に言葉で説明することのトレーニングにもなっていたと思います。
 その授業の形にしたあと、次に授業で扱う問題を配って予習してくるように言ってたのですが、ある日の放課後にそのクラスを見にいったら、数人で机をくっつけて問題の検討会を開いていたことを知ったときはうれしかったです。テクストを多角的に検討しながら、その根拠を導こうとする姿勢はいきいきとしていました。

 この授業にしてからは多様な意見が出たり、説明の仕方が人によって違ったり、さらには私が考えてきた説明よりも美しい説明を提示する生徒がいたことなどに巡り会うことで私も授業をするのが楽しくなりました。授業者の想定を超える反応・発言をしてくれることは授業者にとっても大きな喜びです。

 この経験から、生徒も、そして私も楽しく授業ができるように、と対話型授業を取り入れるようになっていきました。

最近の実践をちょこっと

 今年も講義調授業と対話型授業のハイブリットで授業を進めています。最近の実践例を少しご紹介します。

 意味段落が3つに元から分かれている文章を扱い、1段落目は私の板書案を元に授業を行います。これは完全に講義調の授業です。生徒は私の板書案をノートに写しながら、テクストの論理構造の可視化を体感します。
 その授業を元に、2段落目のテクストのノート案(板書案)を生徒が自分で作成します。生徒には「自分が他者に授業するなら、こういうノートを作ってもらう」ということを気をつけて作ってみよう、と伝えます。
 ノートを作ったら、3〜4人のグループを作り、ノートを見せ合います。その中から代表のノートを選び、そのノートをタブレット端末を用いてモニターに映します。そのようにして、クラスメイトの論理構造の抽出方法を共有していきます。

 実際やってみたら、私の板書案をはるかに上回るものを作ってくれた生徒がいました。みんなノート作るのめちゃくちゃうまい。ちゃんと抽象度の行程や、論理のつながり方を図式化できていました。そのようなクラスメイトの思考を共有することで刺激にもなります。それと同時に私も「うちのクラスの人もこんなうまいノート作れるのか…」と大きな敗北感と感動を覚え、とても楽しむことができました。この辺りまでは全て対話的授業です。

白黒ではなく、均衡を

 講義調授業で論理構造を体感し(古語でいえば「まねぶ」が当てはまります)、対話型授業で自らも論理を掴む主体となり、他者と共有する。講義調と対話型の授業もこのように均衡を保って行えば、両者の長所をうまく生かし、両者の弱点を補えると考えています。

 対話型だけ、講義調だけ、とどちらか白黒はっきりつけるのではなく、うまく手を取りながら使い分けをすれば大きな効果を産むと考えています。


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