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【乱読一考】 ルドルフ・シュタイナー『ルシファーとアーリマン』 (第2章)のバランスがとれた生き方とは

科学が見るべきもの、そして日常生活への関心


オーディオブックで聴いているルドルフ・シュタイナー講義録 "Influences of Lucifer and Ahriman: Human Responsibility for the Earth" 。

第2章に入りました。実は、前回書いた「なぜ数学や統計が意味をもたないか」という話は、第2章に入ってました。ここまで聴いてたんですね、昨日。失礼しました。

そして、いろいろググっている間に、オーディオブックだけではなく、テキストでも読めることが分かりました。Rudolf Steiner Archive というサイトで(他にもあるけど、ちょっと怪しそう。これは公式だと思う)、今日聞いたところはこちらです。

第2章の中で、シュタイナーは、ルシファーというのは精神世界への過重な傾倒を誘い、アーリマンは物質世界のみへの信頼をもって暮らすことへの批判をしています。

ルシファーは宗教、アーリマンは科学への偏重に見られる、というのが単純化した図式でしょうか。

しかし、シュタイナーはルシファーもアーリマンも、否定しているわけではなく、そのバランスをいかにとるかということを重視しています。

では、どうやってバランスをとるかということですが、シュタイナーは非常に面白い視点を教えてくれたので、私なりにざっくりまとめてみます。

ー今の科学は、私たちの外部にあるものを分析しているが、これは幻想に過ぎない(数学等が幻想である、ということと繋がっています)。

ーしかし、分析的に見つめるべきものがある。それは自分の内部である。自分の中にどのようなものがあるかを、冷徹に、徹底して観察し、知る必要がある。

ー私たちの魂は、燃え上がっている炎のようなものなので、こうして冷たい視線を浴びても、消えることはない。

ー一方、私たちの外にあるものに関しては、主観的に強い関心を持つことが大事である。

ー人はいろいろなことに退屈し、つまらないと思っているが、世界のあらゆることは、ポイントを見つけさえすれば、全てのことが美しく興味深いことに変わる。それは、たとえば銀行とやりとりするとか、そういうことでもいい。その奥に、どのようなものがあるかを、情熱を持って、関心を抱くことが大事なのだ。

私たちは、日々の生活の中のものをちゃんと全て見ていない、ということなんですね。そして、アーリマン的に分析すべきは、自分の内部のみ。こうして、ルシファー的(外部の霊的な存在などに頼る気持ち)を抑え、精神をスピリチュアル・サイエンスによって学び、地上に肉体を持って生きる人間として、日常生活の全てのものにもっと強く関心を持って、きちんと生活しなさい、ということかと思います。

シュタイナーが作った彫刻には、そのような意味が込められていると考えていいでしょうか。

Representative of Humanity - キリストが中央、上にルシファー、下にアーリマン

私も、日常生活や、日々にちょっとした場面で出会う人々に、十分関心を持っていないかもしれない。まずは身近なところの全てと、もっと情熱を持って関わるべきであると反省させられました。

これは、私が現在勤務しているシュタイナー幼稚園のあり方からも、とても納得できます。幼稚園では、全ての環境、小さな手拭き布から机や椅子、子供への声かけなど、全てが大きな意味を持つものだとして大事にされています。その奥にこうした哲学が隠れているのか、と思いました。

自由ヴァルドルフ学校設立当時の話も! 

この講義は1919年11月に行われ、この数ヶ月前には現在世界中で広まっているシュタイナー学校の一番最初の学校「自由ヴァルドルフ学校」がオープンしたばかりでした。

シュタイナー、この学校でのことをちょっぴり話しています。

なんでも、学校内でキリスト教について教える時に、カトリックの生徒にはカトリックの神父を、プロテスタントの生徒にはプロテスタントの牧師を雇わなくてはならなかったけれども、神智学として宗派を超えた授業も用意したところ、予想の5倍の生徒が集まったとか。

「私たちは表面に見えているのとは違う望みを実は持っている」とシュタイナーは語っていて、それは、真実への熱望ということだと思います。

はじめに言葉があった

この章では、「はじめに言葉があった」という聖書の一節に対しても批判しています。これが過去形であることに対しての批判ーそれでは、もう言葉=神は存在しないということを言っているのか?と。

この辺り、私はキリスト教/旧約聖書に関しても、シュタイナーのキリスト観に関しても、知識が浅いので、また後で考えるようにメモしておくにとどめたいと思います。

同時代人への批判、カトリック教会のニューマン枢機卿など


この講義中では、ロマン・ロラン、ダーウィン、ジョン・スチュワート・ミルなど、多くの人への批判も見られます。ううう・・教養が足りな過ぎて分からない・・(涙)

1800年代のニューマン枢機卿ことジョン・ヘンリー・ニューマンの言葉「人間の宗教的発展は、新たな開示(revelation)なくしては救われ得ない」(he could see no salvation for the religious development of humankind other than a new revelation!)も引用されていて、しかしニューマンはその道を示さず、抽象的に語ったにすぎないとしています。

シュタイナーとその聴衆にとっては、ニューマン枢機卿は「誰もが知ってる人」なのでしょうか、私、聞いたことない・・・

ので、ウィキペディアでちらっと読んでみたところ、2019年カトリックの聖人に認定された方らしく、その理由がこうでした。

カトリック教会における信徒の地位の低さと教育のなさに愕然としたニューマンは、「教会は聖職者と信徒との共同体である」との信念から、信徒に対する尊敬と理解を示し、教育のある信徒の重要性をことあるごとに説いた。

ウィキペディアより

わあ、信徒の地位、当時はよほど低かったんですね・・・・! 

シュタイナーがこの講義をした本質というより(←たぶんよく分かっていない)、枝葉のところからイロイロ学んでいるのでした。



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