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風譜

蝉の亡骸が舗道に転がっていた
クマゼミだった
ここには
アブラゼミはいない
クマゼミばかりだ
私たちの頃は
茶色いアブラゼミばかりが網にかかって
嫌になったものだ
黒い体に橙色の鎧をまとい
透明な羽根が光るクマゼミは
たまに捕まえることができたりすると
自慢したくなったほどだ

路上の電話ボックスは
沈黙を密封するガラス箱から
太陽の光と熱を
ひたむきに浴び続ける
実験装置になり果て
昨日と今日がつながらない
硬貨を握りしめた兄と妹は
母親に電話することができない
お父さんはどうしたの?

青を少し塗り残したような空の下で
農夫が汗にまみれていた
朝からずっとくわで耕しているけれど
何にも出て来やしない
濡れた本が
稲干し台で日干しされていた
風は頁を乾かし
汗を乾かし
農夫は飛びたって行った

アンリ・ルソーが夢見た
19世紀のジャングルで
笛を吹いていた蛇使いの女や
キリギリスのような馬にすがりついていた
コメツキムシのようなジャガーたちは
新しいジャングルで
生き延びることができるのだろうか

レイ・チャールズの歌声に乗って
ミシシッピーの小さな町に
夜行列車でやって来た黒人刑事が
駅に降りたつところから始まる
そんなアメリカ映画があった
ここに来るしかなかった
たとえ友を失おうと
模造紙に
風の系譜を書いてみる
夜の熱気の中で


アンリ・ルソー作『蛇使いの女』

 (詩集『フンボルトペンギンの決意』第2章「風と光」より)


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