西岡泉

おもに詩を書いています。あとはプータローしています。

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スタンド・バイ・ミー(動画追加)

大村三兄弟との 冒険の話をしよう あのトム・ソーヤや ハックルベリー・フィンも 顔負けの大冒険 想い出すだけで胸が熱くなる やすみちゃん けんちゃん みきお  みきおは一番年下 みきおと呼んでた いつも鼻を垂らしてた いつも一緒に遊んでた となりの大村さんの三兄弟 磁石で鉄粉を集める 遊びにも飽きてしまったし 冒険をしよう とても暑い日だったけど 早起きしてさあ出発 行先なんか決めない大冒険 どこをどう歩いたんだろう みきおは鼻を垂らしてた 長い旅だった みんなが休憩し

    • 駆けてゆく少年

      少年は 樹木と夕陽と詩が好きだった 少年は樹木を愛し過ぎたので 彼の涙は夜露に似ていた 少年は夕陽を愛し過ぎたので 彼の頬は人に遇うと赫くなった 少年の言葉は少し異様だったので 詩を書くことはいつも少年を傷つけた 機械工場の片隅に 油にまみれた工具と おどけた瞳をもつ仕上工がいて それがかっての少年だったりする 彼の毎日は同じ繰り返しで 一週間が一年に思えたりする あすにはきょうがきのうになり あさってにはあすがきのうになり きのうときょうとあすのあいだから たいせつなも

      • 空の雲の手入れをした

        冷蔵庫から ブルガリアヨーグルトを出す ナイフで輪切りにしたバナナを ヨーグルトの上に乗せる ジャムとシロップは気分次第 ネスカフェゴールドブレンドに 90度に沸かしたお湯を注ぐ頃 チーズトーストが焼きあがる 君はいつもコーヒーを飲み残し ぼくはいつもコーヒーを2杯飲みほす 庭に出て 空の雲の手入れをした ラナンキュラス・ラックスが 朝陽に光っていた 雲は過去形と現在形が 混じっていた 文法上は正しくても 本当のことを言わなくていいのか 地球は乾いていて 冬を忘れた言葉が

        • 夜が明けるときいちにちは終わる

          夜が明けるとき いちにちは終わる そう信じて生きてきた 息も絶え絶えの夢をみて 夜にはじかれ続けてきた 眠れないものは月の下に集まれ 空の音階に紛れて 海が密かに降りてくるのを待とう 明けがた 苔のように眠り込んでいる もうひとりの自分に逢えるから 飛行機のジェットエンジンが 夜の街を吸い込んでいった 幸せは温かい拳銃 ジョン・レノンの声が 空を掻き回していた 幸せは熱いのか温かいなのか 夏休み明けの朝のような うっとうしい物語が続いている 物語は終わらせなければならない

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        スタンド・バイ・ミー(動画追加)

          善助漂流記(旅は続く)

           善助の漂流物語はまだまだ終わらない。善助のほかにもうひとり海の冒険に駆り立てられたご先祖様がいた。名前を瀧本万吉という。  善助は妻の父方の先祖だけれども、瀧本万吉は妻の母方の先祖である。なぜか偉大なご先祖様はふたりとも妻の実家の先祖なのである。  瀧本万吉は1885年(明治18年)和歌山県の周参見で生まれた。善助と同郷である。善助が亡くなったのが1874年(明治7年)だから、その11年後に生れたことになる。  1916年(大正5年)、31歳の瀧本万吉は神戸を出港し木曜

          善助漂流記(旅は続く)

          善助漂流記(その4)

          (あらすじ)紀州は周参見生まれの若き船頭善助の物語。ラ・パスの浜辺で保護者コマンダンテと涙の別れをした5か月後、善助は初太郎と共にマサトランの港からアメリカ船で出航し、マカオを経由して、ついに長崎に着いたのだった。時は1844年1月(天保14年12月)。 ( 物語 その4)  善助は長崎に1年以上留め置かれた。奉行所でいろいろ取り調べられたうえ、踏み絵もさせられたという。鎖国という国法を破った犯罪者扱いである。翌1845年3月1日に善助は、ようやく長崎から故郷の紀州周参見に

          善助漂流記(その4)

          善助漂流記(その3)

          (あらすじ)天保12年(1841年)、善助たち13名を乗せた永寿丸は犬吠埼沖で難破した。太平洋をさまようこと約4カ月。永寿丸はスペイン船エンサーヨ号に救助され、全員無事にメキシコのカリフォルニア半島に上陸した。 (物語 その3)  カボ・サン・ルカスに降ろされた善助たち7名は、数日後にサン・ホッセという村に船で送られた。そこで他の2名とも合流し、13名のうち9名がサン・ホッセ村に集まったのである。  サン・ホッセ村の役人の取り計らいで、9名はそれぞれ村人の家に引き取られて

          善助漂流記(その3)

          善助漂流記(その2)

          (あらすじ)日本人で初めてメキシコに漂流した紀州周参見生まれの船頭善助は、我が家のご先祖様だった。 ( 物語 その2)  今から180年前の天保12年8月23日(1841年10月7日;以後西暦表示)、神戸港を永寿丸という千石船が出航した。まだ21歳の若き船頭善助をはじめ乗組員は総勢13名。永寿丸は酒・砂糖・塩・綿・線香などの商い品を満載して奥州南部藩の宮古に向かった。  ところが、同年11月に千葉の犬吠埼沖ですさまじい暴風雨に襲われ永寿丸は難波。帆柱が無くなったボロボロの

          善助漂流記(その2)

          善助漂流記(その1)

           おれは岩礁の上に立つ。すっ裸で、かぐろい陽光にさらされて。  燃えたぎる意思を感じさせる硬質な文体だ。誰が書いたのだろう。北杜夫である。これは北杜夫の『酔いどれ船』という小説の書き出しである。『酔いどれ船』は漂流者や異国を放浪した人たちを描いた短編集である。その第一話に、紀州は周参見生まれの善助という21歳の若き船頭が登場する。  天保12年(1841年)、善助はアメリカ大陸のメキシコまで漂流し、2年間メキシコに滞在した後に日本に帰国した。アメリカのペリー提督が浦賀沖に

          善助漂流記(その1)

          追憶のハイウェイ

          おれは逃げる ハイウェイを逃げる 逃げるその先は またハイウェイ 振り向くと おまえに追いつかれる ハイウェイは 逆回転するベルトコンベアか 走れば走るほど 足が重くなる ヨモツヒラサカ 塞いだ岩を押しあけて おまえが追ってくる 走れば走るほど 傾斜がきつくなる 登坂車線もない 追憶を捨てる場所もない パーキングエリアで トイレに駆け込む間もない パンツがぐちょぐちょになっても 逃げるしかない ヨモツヒラサカ イザナギよ なんでもっと重い石で 穴を塞がなかったんだ 振り向

          追憶のハイウェイ

          希望ヶ丘商店街

          時間を転がしてみたいような 緩やかな斜面に 赤い千日紅が咲く午後 空の隅っこに寝転がった 顔を空白にしておいてはいけない 君の声が聞こえた 雲が離れて行った 空は何を裏切ったのだろう 朝から晩まで 明石海峡を見ていたことがあった 目は他のことを考えていた 音楽っていいね 楽譜があれば 歌でも交響曲でも 何回でも再現できる ナゴヤドームで ポールがジョージの『サムシング』を ウクレレを弾きながら歌っていた 希望ヶ丘商店街で 君と住んでいたことがあった 土曜日の朝は 家に持ち

          希望ヶ丘商店街

          星と金属

          冬の季節風がかき集めた 記憶の中から 端がまくれ上がった手記を 一冊見つけた 葉を落とした欅が 毛細血管のような枝を 空の曲面に張り巡らせていた 優しい言葉をかけてくれる人が 優しい人ではない あなたにはもう何も言うことはない そう言われた 取り返しがつかないことを数えあげてみる 忘れてしまった悲しみと 忘れられない悲しみの間を 君は風のように 吹きぬけてゆけるか あしたの時刻が懸けられている 美術館の壁 順路の矢印が 生命線に刺さっていた 生涯をかけて夢に輪郭を与えな

          星と金属

          あしたの別れ

          あしたのきのうはきのう きのうのあしたはあした きょうはどこへ行った 君は午後四時に待っていた ぼくは高架下で待っていた 刑罰のように待ち続けた 間違えたのは 場所だったか 時間だったか 気が付くのはいつも 気が付いた後だ 君のカウントダウンに ぼくは追いつけなかった あのとき携帯電話があったなら 君の時間と ぼくの場所は 繋がっただろうか あさってのきのうはあした おとといのあしたはきのう きょうはどこへ行った 高架下を空の奥に仕舞ったら 遠ざかってゆく言葉を追って

          あしたの別れ

          恒河沙(ごうがしゃ)

          夜も眠らずに 海で泳ぐことに疲れた魚が 上陸を果たすまでに 地球は太陽の周りを 一億回周った 心が生まれたのはそのずっとあとだ 地球が太陽の周りを 一回周るあいだに ぼくは けち臭いことで ひとりの友を失った 何億何十億何百億何千億の しみったれた別れと 何億何十億何百億何千億の みっともない後悔を ひきつれて 地球は傾いた軸の周りを 一回転する 濾過されずに残った記憶は カスばかりだ ミクロンの孔を透り過ぎて 流れ落ちた記憶は 海の水になる 海はぼくを忘れている 海の水

          恒河沙(ごうがしゃ)

          仙台幻視行(その2)

          2.とある12月の月曜日: 仙台を半日で観光するなら、 「ループル仙台」に乗るのがいいと、 夕べの懇親会で皆が勧めてくれた。 仙台の観光スポットを巡るコースを、 バスが一日中走ってくれるらしい。 20分間隔に運行していて、 好きなバス停で降りて、 好きに観光できて、 好きなバス停で乗ることができる、 乗り降り自由のループバス。 ループルのループはループのループ。 朝の10時過ぎに、 仙台駅西口バスターミナルの16番のりばで、 「ループル仙台」のバスに乗った。 行く場所

          仙台幻視行(その2)

          仙台幻視行(その1)

          1.とある12月の日曜日: 伊丹空港から仙台に飛んた。 離陸のとき整備員が手を振ってくれた。 行ってくるよ~。 生まれて初めての仙台。 まず何はさておき牛タンを食べた。 これが仙台に来た大きな理由のひとつだ。 JR仙台駅で途方に暮れた。 駅から地上に降りられないのだ。 なにしろ駅を出たらいきなり二階なのだ。 巨大なテラスから、 タコの足よりも多い歩道橋が、 地上に延びていて、 どこを降りればどこに行けるのか、 サッパリ分からないのだ。 おかげで詩の朗読会に遅れてしまった

          仙台幻視行(その1)