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ある日、夏

夏のある日
廃墟の壁から剥がれ落ちた象形文字が
勝手な物語を喋りはじめる
きのう
バスの窓から見えた街角が
ショーウインドーで燃えている

四十年前の夕暮れ時
父と子が見たミカン畑には
売却予定地の看板が立てられている
あの日 少年が父から貰った硬貨を
ミカン畑の下に埋めたことなど
誰も知らない

時間とは壊れてゆく風景のことだ
全ての規範を否定したかったのではなかったか
大切に取っておいたものと
捨てたものとの収支は合っているか
などと思うな
全てのさよならを空に放て
そして 落ちてくるものを見届けよ
反省と気休めの二重螺旋にだまされるな
でなければ 壊れた風景は修復されない

白いランニングシャツを着た少年は
照り返しのグラウンドで
空を見上げたままだ
あの日からずっと
夕方になると
バイオリンでモーツアルトを弾いていた少女は
自転車に乗って出かけたまま
四十年も帰ってこない

真っ赤な自動販売機から転がり落ちるコカコーラを
飲み干したかった夏の日
蛍池小学校の正門横のヒマラヤ杉の下で
ワンバン野球に遊び呆けていた夏の日
植物図鑑を買いたかった夏の日

こんなことになるのなら
もっと会っておけばよかった
あの日 
夕陽の色を教えてくれた人
虹の色はあと何色残っているだろうか

 (詩集『夕陽と少年と樹木の挿話』より)


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