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子どもってやっぱりすごいって思い知らされた話

こちらのイベントの感想を。


昨日、当事者のことは当事者にしかわからないよねー
的なことを書いたのだけれど。

実際に話を聞いてみて
思ってた以上に当事者じゃないとわからないよね感が満載だった。(なかなかの衝撃)

ゲストスピーカーの、れいたくん(中2)の話を聞いていて
あぁ人って本来はこんなにシンプルなんだなぁと衝撃を受けた。

好きなモノは好き
つまらないモノはつまらない
欲しいモノは欲しい
わからないモノはわからない

ただ、それだけ。

それは我儘でもなんでもなくて
ただただ素直というか
本当に至ってシンプル。
なんだろう、真理に近いような感覚。

好きなモノは好き
つまらないモノはつまらない
欲しいモノは欲しい
わからないモノはわからない


こうやって書くと当たり前なことなんだけれど、大人になると、これ、意外と出て来ない。

わかったふうにして話を進めたり
欲しいって言えなかったり
そもそも本当に好きかどうかも怪しかったり

あぁ大人ってこうも余計なモノをくっつけてしまうんだなぁと結構愕然とした。
自分の感覚を疑うくらい。

忖度しない、とか、自分の感覚に素直に、とか
意識していたとしても
なんかもうねぇ、そんなレベルじゃないのよ(マジで)
自分でも気づけてなかった
自分にくっついてた余計なモノが見えた感覚で、
なかなか衝撃でした。



で、ふとうこうあるあるなのが
「子どもが学校へ行かないと、将来が心配」というやつ。親心あるある。(わかるわかる。)

ばなな先生がそのことについてどう思うか、れいたくんに質問すると
「未来はわからないでしょう?」と一笑に付された(笑)
その通りだ(笑)

その通りなんだけどさぁ…
って、大人は余計なモノをくっつけたがるよね。
なんかね、もう本当にシンプルでいいんだなぁと。

途中からお母さんも一緒に参加して
いろいろお話を聞けたんだけれど
最後に、昔は先回りしていろいろやってたけれど、もう自分じゃ敵わないんだと、降参したようなカンジで、選択肢を探したりとか余計なことをするのは辞めた、と話していた。

そうなんだよね。
時代が違うんだよ。
生きていく時代が。

それも頭ではわかってたつもりだったけれど
なんか、もっと深いところで思い知らされたような感覚だった。


お話会の後、シェア会があったんだけれど
れいた君の真っ直ぐな言葉にみんなグサグサきてたり(笑)
あぁ自分は本当はこうしたかったんだ
みたいなことを気付かされてたり
って話ばかりだった。

みんな素直になってて面白かった(笑)
れいた君の素直さが、そうさせたんだなぁと。

自分が持ってた古い価値観とか、余計なモノとかに気付かされたお話会だった。

それを持ってることは悪いことじゃないんだけど
(てかそうやって育ってきたんだから当たり前)
持ってていいけど、押し付けるのは違うよね。

あと子どもってやっぱりすげーよ!
ってこと
そして
真っ直ぐな言葉ほど、深く刺さるんだなぁということを
改めて思い知らされた会でした。



来月もやるよ!


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