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とるにたらない

搭乗時刻から逆算するよりも数時間早く実家を出たのは、父の墓参りをするためだった。
母には札幌に行きたい神社があるからと嘘をついた。

数年振りの父の墓参り。
幸いにも私は日常的に運転ができるようになっている。雪があるということ以外は完璧なタイミングだ。

父の眠る霊園は遠くて広い。2時間近くかけて到着した先には広大な敷地に細かく区画がされてあって、園内は専用のバスか自家用車で移動しなければとてもその場所に辿り着けない。私は受付で墓の場所を確認し、バスが出たばかりだというので車での行き方を聞いて、もらった地図を見ながら注意深くその場所を探した。なにせここに来るのは2回目。そして真っ白な雪で覆われているため余計に探しにくい。
途中で予想通りしっかりと道に迷い、なぜか園外に出てしまい、再入場してやっとのおもいで区画近くに駐車した。あとは車を降りて墓に辿り着くだけだ。

けれども、雪で真っ白だった。除雪が充分でない区画内は足跡をつけながら大股で歩かなければならないほどだった。足元が軽装な娘は、当然抱っこすることになる。さらに、父の墓の場所を示す番号はわかっているのにどうしてもその番号が見つけられない。なんとか少し移動しても、また違う区画が出てきてしまうだけだった。

飛行機の時間も迫ってきている。
焦り、抱っこの腕がだるくなりながら、雪を漕いでこちらかと思う方に進んでみる。でもやっぱり見つけられない。もう諦めようかなという気持ちも出てくる。別に墓に来なくてもいつでも心に父のことを留めておけばいいわけだし...とか、そこに私は眠ってなんかいませんと千の風も吹いているし...とか、そういう考えも都合よくよぎる。娘は重いし雪も深い。視界は白いままだ。

はぁ、と気持ちが車の方に行ったその時、
急になぜか父の墓と目が合った。そうだ、あれだ!
呼吸は乱れてじんわり汗を感じながらも父の前にたどり着いた。よかった。
雪をかきわけて近づくと、犬の置物が見えた。
そして父の名前から一文字取って掘られた濃いグレーの墓石。雲が晴れてきていた。

あぁ、よかった!
会えたねー!
孫ですよー!
お父さん、だいすきだよー!
どんどん言葉が出てくる。
前の墓参りの時には口できなかった言葉たち。
言えるようになったのは、私に子供ができたからだ。娘の存在で、私は「あなたを愛している」を言えるようになった。


私が墓石に向かって言っている言葉を聞いていた娘が
「ママのお父さん、だいすきだよー」と言った。



奈良の家に戻り、夫に今日のことを話すと、
お父さん、どうしても孫に会いたかったんだねぇ。
と言った。うん、私もそう思った。

おーい、ここにいるぞー 

あの時ちゃんと私が気付くように、たくさんの光を送って、その場所を照らしてくれていた。


私は父のことを静かに間違いなく愛していたし、そうやってまだまだ涙は枯れず、そしてそれを胸に目の前の次の命に心を愛を向けていくんだな、それが私にとっては経験したい煌めきのひとつであり、私の命が輝くということだ。

すでに当たり前にそこにあったそれらが『煌めき』なのだ。と、いま、また、気が付いたことで胸がいっぱいになる。
これまでの自分自身にあたたかなハグを。
いまの私の周りにいてくれる人や環境にたくさんの感謝を。

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