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12年で社会はどのくらい変わるのだろう

先日、政策起業家プラットフォームPEPが主催するPEPフォーラム2022で司会を務めさせていただきました。


PEPは、政策起業家がインパクトある政策実現を主導できる環境を育成・支援する公益事業で、政策起業家のコミュニティとして2019年に発足したプラットフォームです。
今日はそこで出会った言葉から派生して大学院に通い始めてから感じてきたよしなしごとを書きたいと思います。

フォーラムの中で「10年後の政策起業を考える」というセッションがあり、登壇者のお一人の ヤフー株式会社 取締役 専務執行役員・コーポレートグループ長の宮澤弦さんが「むこう10年を考えるときは、過去の10年で社会はどのくらい変わったのかとセットで考えるようにしている」、という前提を出してお話を組み立てられていました。
たとえば10年前だともうすでにiPhoneはあり、SNSは普及していた。
人が空を飛ぶような劇的な変化はおそらく10年ではない。けれどEVが普及したり、ガラケーがiPhoneに取って代わるくらいの変化はあるものだと。
今使っているものがさらに便利になるような世界観のレベルだと。
そういうレベル感の中でどう10年後あるのかを考えていくべきだと。

どのお話もとても面白かったので、全部共有したいのですが、今日はこの話をもとに別のお話をしたいと思います。フォーラムの全編はこちらから見られます。ご興味のある方はどうぞご覧ください。

タイトルを少し仰々しく書いてしまいましたが、今日は私が大学を卒業してからの12年の間にどう大学生活が変わったのか、通っていて気づいたことを書きます。そう、2010年に大学を卒業したので、今年の大学院入学はちょうど干支が一周回ったことになるのですよね。わお。
ヤフーの宮澤さんの言葉を借りると、まさにこの12年で、大学院に通うことも大学に通うことも見た目は大きく変わっていないのですが、久しぶりに学校に行ってみると細々変わっていることは結構あるな、というのが私の印象です。

例えば、ノートの取り方。
私が卒業した頃はまだノートを取るのにPCを使っている人は少数派でしたが、今はほとんどPC、iPadにapple penなどで書き込んでいる人も多い。
私の場合は併用スタイル。授業によってミニノートに書き込んだり、レジュメに書き込んだり、ipadにレジュメを取り込んでappple penで書いたり、PCでファイルを開いてノートを更新したり。例えば教授によってはレジュメを授業後にシェアする方や事前に配布する方など授業の展開のスタイルが違うので、どうしても統一できないのです。それぞれの授業で一番やりやすいように工夫しています。

授業の準備
教授の授業の資料の配り方も今はほとんどウェブでドライブに共有したり、リンクを配布して自分でダウンロードするスタイル。昔は印刷して配っていたのが普通だったような気がします。ダウンロードしたものも印刷する学生は少数派、みんなパソコンで厚い教科書や読み物を読んでいます。
私はまたこちらも半々スタイル。印刷して書き込みたいものは印刷して、読むだけのものはPCで読んでいます。

授業
授業がオンラインで行えるようになったのはもちろん(私の大学院は原則対面が今期はほとんどなのですが、オンラインで受けられるものや、授業を収録して、後程見直すことができる授業もあります。)教授や教授のアシスタントなどに授業の質問をするときはアポを取ってZoomでどこからでも参加可能。また教授が授業中に見せるビデオにもYouTubeがたくさん登場。英語でよくまとまっているものがたーくさんあるんですね。良いのかどうかは置いておいてPCのソフトを使って授業の音声を録音して後日復習する人も。

復習
授業がわからなかったらノートを見直すことはもちろんですが、YouTubeで解説しているものを参考にすることもたくさんあります。ミクロ経済学の疑問をインターネットに打ち込んだらまさしく探していた答えがパッと出てきたことも。自主学習のやり方も変わってきています。これも全く2010年にはありませんでした。本当に12年でずいぶん便利になっています。

課題
課題の提出はウェブ上でがほとんど。レポートを書くときに本を借りているのは私くらい。みんな驚くほどネットでうまく文献を探してくるのです。また外国では本や論文を丸ごとダウンロードできるサイトもあるらしく、、大学在学中に本を買ったことがない、と豪語する同級生も。とにかくみんな、可能な限りPC上で読んでいる。私は結構すぐ図書館に行って本を借りるので(読むか読まないかはおいておいて)、何冊も本を抱えていると泉は本当に勉強家だね〜!と驚かれます。(実態はただ、本を借りているだけで何も始まっていないことも多いのですが。)わからない英語を翻訳してくれるソフトも大分増え・性能も良くなっています。レポートの提出の仕方も異なっています。不正防止のために自分の書いたレポートが他の著作物と一致しないか、一致している場合どの部分がどのくらい一致しているかを見分けるシステムを使ってレポートを出すこともしばしば。レポートを書くときは、注釈や脚注の管理をするシステムもたくさん。論文や文献を探すデータベースも何種類もあり、どのデータベースをどう使うかを学ぶのにも最初はいくつか任意のセミナーに出席するなどして時間を使いました。同級生に聞いてもそれぞれどのデータベースをどう使うかは人それぞれで、まだ自分に合うスタイルを見つけている途中です。

クラスメイトとの交流
クラスメイトとは最初に出会った日に、みんなでWhatsappを交換してグループを作り、情報を共有。これも昔はメーリングリストでしたよね。授業中にwhatsappを開いて授業を受けながらクラスメイトと議論をしている同級生もよくみます。先生から情報が流れてくるとすぐ、whatsappで#とその情報に近いわかりやすい画像付きで情報を流してくれるコースのリーダーの女の子。彼女は母国でデジタル化の仕事をしているのですが、なんでいつも画像をつけてくれるの?と聞いたらその方が視覚的に中身が頭に入ってきやすいからとのこと。優しくて素早い心遣い。

ミクロ経済学のテストのリマインドのメッセージをみんなに送ってきてくれたときに
コースリーダーが一緒に送ってきてくれた画像。まめな学友です。

こう書くと、私自身10月から大学院に通い始めて技術に追いつけないというこそ全くなかったですが、改めて考えてみると12年前と比べるとそのときにはなかったことや今よりも不便だったことが山のようにあることに驚かされます。毎日の必需品は各デジタル機器の充電器!!充電が切れると本当に命取りです・・。
そういえば、大学四年生の時に当時NHKのアナウンサーに内定していたことから東京大学で行われたウェブ学会シンポジウムという会の司会をさせていただいたのですが、そこでは今では日常的に使われるハッシュタグについて、その概念から説明していたような・・。その頃は#、ほぼ一般では使われていませんでした。

今、本当に情報は山のように、そして溺れるほどある。
極論をいうと、大学院に通わなくても自分の興味関心を集め学ぶことは可能なんだな、とも思います。
ただ、それをどう使いこなすのか、どう整理して自分に合ったものを取捨選択していくのか、そして選んだ情報をもとにどう考えるのかが一層12年前より問われるようになっていると、肌で感じる毎日です。

大事なのは、前の時代で止まっていないこと。
人は12年で空を飛べるようにはならないけれど、世界は日々・1秒1秒変化している。

この先の12年後の学び場の姿はどうなっているのでしょうか。
12年後、私は何をしているのかな。


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