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【短編小説】タイムリミ【4300字完結】

 螺旋階段を上る。
 
 俺は秒針より早いリズムで靴底を鳴らし、滑り止め加工されたアルミ製の踏板を一段ずつ。

 コツコツと足の底から身体の芯へ響くのに呼応して、こんな軽い振動であるにもかかわらず胃痛が伴いながら歯を食いしばり、上へ上へ、俺はほしいものを手に入れるため早く、でも着実に。
 
 健康のために自宅マンションまで外階段を使うようにしているが、気休め程度にしかならないだろう。なんなら初冬で肌寒く、かえって身体に悪いかもしれないとすら感じる。
 
 本業はテレワーク、副業も部屋の中、パソコン一台あれば事足りる。
 
 今では通勤時間もなくなり、勤務時間中であってもスマホ片手に株式相場を見ながら仕事ができる。それに本業の就業時間中であっても副業の仕事をしてもバレない、今の環境は俺に合っている。とやかく言ってくる上司もいないし。
 
 世の中の仕事、いや社会人は本当に時間の使いかたが下手くそだ。もっと効率的に仕事をこなせば可処分時間は増えるはずなのに、時給、日給、月給の時間軸で働いているうちはこの螺旋状のジレンマから抜け出せない。
 
 昼休みが一時間、あれも無駄な時間だ。昼飯くらい抜いたところで仕事のパフォーマンスは落ちない。だから、俺は基本的に夜一食のみ。それに最近では食欲すらなくなってきたから二日くらい食事を取らなくとも平気だ。そんなことより、激務による胃痛のほうがやっかいだ。まあ、それも今だけの辛抱。このやりたくもない仕事から解放されれば、キリキリと絞めつけられるような胃痛からも逃れられるだろう。
 
 そもそも皆時間について蔑ろにし、金こそが尊いものだと勘違いしている。
 
 時は金なり、という教え。あれは逆だ。時間こそが尊いのに、金のために働くなんて馬鹿のやることだ。
 
 何億何十億と稼いでどうする? 使い道のないものを持っていてもなんの意味もない。愚か。身の丈に合っていない贅沢がしたいのなら別に止めない。ただそんな贅沢に幸せを感じるような人間を俺は軽蔑する。そこに本当の幸せなんてない。
 
 金なんてものは時間を正しく扱えば簡単に生み出せる。その証拠に俺は現在二八歳にして金融資産が4000万円だ。なにも起業して一発あてたとか、そんな時代の大家タイプではない。少しずつ本業と副業、そして株式投資でここまで増やした。1億円まで早ければあと三年で到達する。投資の腕もあがってきた。
 
 1億円あれば高配当ポートフォリオで、贅沢な暮らしこそできないものの、今と同様にそれなりの暮らしをしていくことは可能。配当金収入で、働くことなくだ。
 
 かのアインシュタインは複利こそ人類最大の発明と言った。そして世界一の投資家バフェットも複利の重要性について語っている。複利、簡単にいえば時間を味方につけて儲けをだす。そう、時間だ。
 
 金は必要最低限で良い。金のために働くのではなく、俺はこの世でもっとも高価ともいえる時間を買いたい。将来自分が自由に消費できるだけの時間と自由が。
 
 マンションの自室に向けて螺旋階段を上がっていると、思わず「うぉっ!」と声をあげてしまった。
 
 二段上の踏板中央を陣取るように少年が座っている、これが突如視界に現れたからだ。
 
 このマンションの外階段で人に出くわしたことはなかったので驚いてしまったが、それに加えて男児。小学生低学年くらいだろうか……。
 
「やあ、シュンタ君。調子はどう?」
 
 男児は俺の名を呼んだ。この男児に見覚えはない。そもそもこんな小学生に俺の名を名乗る機会などないので、こんな男児が俺の名を知る由もない……のだがこの男児へ既視感すら感じる奇妙な感覚に、軽快に進めていた俺の足は自然と止まる。
 
 しかし一歩立ち止まり刹那考えれば、俺はこんな少年の相手をしている時間などないということはすぐに解す。
 
「こんにちは少年。悪いけど俺忙しいからちょっとそこ通してくれないかな」
 
「まあまあ、ぼくはムリミっていうんだ。シュンタ君に用事があってここに座っている」
 
 ムリミ? 面識があっただろうか、まさか上司の息子? いやそれにしても男児が俺に対してなにか用があることなんてありえない。
 
「なんの用だ?」
 
「ぼくはシュンタ君の潜在意識の化身。少し遊ぼうよ」
 
「ムリミ少年、潜在意識なんて難しい言葉を知っていることには感心するが、忙しい人を止めてまで遊びたいなんて感心しないな」
 
「悪いことは言わないよ。その感心が、寒い心と書いて、寒心することになってしまうよ」
 
 言っていることの意味はよくわからないが、そんな難しい言葉まで知っているとはとても賢い男児のようだ。

 と、ここでまた感心して、関心して言葉遊びに付き合っていられるほど俺は暇じゃない。
 
「いいから、そこをどいてくれよムリミ少年」
 
「んーそうだなぁ、じゃあ……」
 
 ムリミ少年はポケットから一枚の10円硬貨を取り出して、グーにした右手の親指の上に硬貨を乗っけて宙にはじき出す。
 
 硬貨は宙で回転し、ムリミ少年の左手の甲に着地したと同時に右手で硬貨を覆い隠した。
 
「さて、表裏どっちでしょう? あ、ちなみに10と書いているほうが表だから」
 
 二段上で座っているムリミ少年の目線は俺とほぼ水平線。視線が交わり答えを早くほしがっているのはわかる。だが、俺には遊んでいる暇などないのだ。
 
 しかし、当てたら通してくれるということだろうか。
 
 それにさきほどまでの会話のワードチョイスから、このムリミという少年が賢いということは理解した。おそらく10と刻印されている方が裏だとわかっている。あえてそちらが表と言い張って、わざと俺が間違いを指摘するよう引き出そうとしているのだろう。俺の時間を浪費させるために……。だが俺は忙しい、そんな間違いを指摘する時間すら惜しいのである。
 
「裏でいいよ、日本国ってあるほうな」
 
「じゃあ問いを変えるよ。今この硬貨は空中で何秒滞在した?」
 
 何故問いを変えるのだ……手っ取り早くすまそう。
 
「1秒くらいかな」
 
「じゃあ裏ね。手を開くよ――」
 
 空中の滞在時間の問いはなんだったのか、まるで無意味……。無意味すぎるが故に意味ありげ、ムリミ少年の時間を浪費させる策にまんまとハマってしまうのもしゃくだが、「ちょまて! 今の滞在時間の問いはなんだった?」と訊くと「別に意味はないよ。遊びなんてそんなもんだろ」と言われてしまった。
 
 ムリミ少年はしてやったり、ともいえる表情のままパッと右手を開くと左手の甲にあるはずの硬貨が消えている。
 
 それを見た俺はついカッとなって「おい、だから俺は忙しいんだ――」と、怒りが露わになっている自分の口調に、我ながら大人げなさを感じて「――時間の無駄だ、マジックの披露なら学校でやってくれ」と、呆れ気味の口調に落として言った。
 
 ムリミ少年は落ち込む様子もなく「時間の無駄……ね」と含みのある言い方をしたが、俺は「そうだ」とだけ言った。
 
「時間、そんなものに価値はないよシュンタ君。お金で時間を買おうなんて発想自体がナンセンス。ぼくはそれを伝えに来た」
 
 ただでさえ仕事のストレスで胃が痛いというのに、こいつときたら俺の傷をえぐるのが好きらしく、俺のようにイイ性格をしてやがる。
 
「お前みたいな子供には時間の価値なんてわからないさ、そんな戯言――」
 
 この先にある俺の言葉を遮るようにムリミ少年は、「時間ってのはね、結果であって未来にあるものではない。本質的には“ない”ものなんだ。それを買いたいなんて無駄だよ。今ここに、そして未来にもないものを手に入れることなんてできるはずがない」
 
 戯言、空言、たわけ。
 
「お前の言葉遊びに付き合っている暇はない!」
 
「言葉遊びなんかじゃないってば。ぼくは科学的で、合理的で、真っ当な正論を述べているだけさ。お金があるなら今もっと買うべきものがあるんじゃない? そうだな、例えば愛とか夢、とかね」
 
「それこそ金で買える代物ではない! 愛、夢こそ金では手に入らない」
 
「ぼくはお金で買える愛を知っているよ。夢でさえモノによってはお金で買える。ただね、時間だけは買えない。もし買っている人がいるとしたら、それはシュンタ君の錯覚、勘違いだよ」
 
 これ以上こいつと話していても生産的な会話は皆無。

 俺は威圧するように階段を一段上がり、距離を詰めて「俺は忙しい、どいてくれ」と見下ろして言った。
 
「残念だよ、タイムリミットだ。ぼくはこれで帰る。ただね、最後にひとつだけ、生き急いでも良いことないよ。とだけ言っておくよ」
 
「そうかよ、じゃあな」

「あ、あともうひとつ」
 
「最後のひとつじゃなかったのかよ」
 
「最初に言ったように、ぼくはシュンタ君の潜在意識の化身。時間ばかりに価値を見出して自分を騙しているようだけれど、本当はもっと大事なことがあるってわかってるんじゃない? 一度立ち止まって考えてみるといいよ。今ぼくの目の前で立ちつくしているようにね。もっと今を大事にした方がシュンタ君の言う時間ってやつが手に入るかもね。じゃ、バイバイ、遊んでくれてありがとう」
 
 ムリミ少年はパッと消えた。まるで何事もなかったかのように、一瞬にして消えた。
 
 きっと俺は仕事で疲れていたからだろう……。とあまり気に留めなかった。
 
 そう、あの日の体験を今になってふと考えれば、冷静にならずとも通常の思考回路であればおかしなことだとすぐ理解できたはず。幻覚、幻聴……そんな簡単なことも気付けなかった俺はやはり異常だったのだろう。
 
 あの出来事から三年後わかった事だったが、俺は胃ガンであった。夢も希望も愛もない……。
 
 あんな化け物が見える時点で俺は正常な身体ではなかった。
 
 ムリミ少年は俺の潜在意識の化身と言っていた。それはおそらく正しかった。いや、間違いなくムリミ少年は俺自身、俺の潜在意識を実体化した化け物であった。

 たしかに俺は時間が大切と言いながらも、どこかで本当にほしかったものが手に入らないからと自分に忙しいと言い訳して、時間を手に入れたら、ほしいものすべてが手に入るとでも自分を律して立ち止まることをしなかった。本当にほしいものから目を背けるように……。

 ムリミ少年が言っていた『時間ってのはね、結果であって未来にあるものではない。本質的には“ない”ものなんだ。それを買いたいなんて無駄だよ。今ここに、そして未来にもないものを手に入れることなんてできるはずがない』その意味を本当は初めからわかっていたはずなのに。

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