カナンの小さな神話5

金持ちと魔蛸・その2

 さあさあ子供たち。
 みんな集まったか?
 よしよし、それじゃあ、ムング(神々)の話の続きをしようか。

 若いマイカ(※1)が向かった、ミク売りの故郷は、ウラナングから二日ほどゴヌドイル河を下ったところにあった。
 夫のミク売りは、腰に巻いたランギニョクからまたぞろ金貨を出して豪華な船を仕立てようとしたが、妻である美しい黒髪の娘がやんわりと止めた。
「だっておまえ様、私はおまえ様のあの小さな舟で旅をしてみたいんですもの。あれなら二人きりだし、楽しそう」
 そんなわけで、男が櫂を操る小舟で二人は旅に出た。
 雨季の初め、新緑の目映いゴヌドイル河をゆるゆると下った二人は、夜になると小舟を岸に運び上げ、ンモイイット(※2)を広げて床についた。
 ミク売りは面倒臭そうにしていたが、娘は、舟を岸辺に引き上げるのも、冷たいジェクナ(※3)を熾火で温め直して食べるのも、面白くてたまらない様子だった。
 明くる朝、おいしそうなスフサマカリ(※4)の匂いで目を覚ましたミク売りがンモイイットの外に出ると、朝飯が並んでいた。
 ところが、肝心の新妻の姿はどこにもない。もしやムングにさらわれたか、ゴヌドイルの河鰐に引かれたか……。ミク売りが悪い考えにとりつかれて途方に暮れていると、そこへ水牛に乗った年配の文官が通りかかった。
 文官が得物を手にした武人たちを何人も引き連れていたので、ミク売りはランギニョクから金貨を出し、この金で妻を捜して欲しい頼んだ。
 すると文官は、役人にしては珍しくきっぱりと彼の申し出を断った。
「お若いの、我らは任務中でな。力にはなってやれん。おおかた、そのランギニョクがムングか魔物でも呼んだのだろう。神人にでも相談するといい」
 この冴えない風采の文官は、実はこの頃のハンムーで随一の傑物(※5)だったのである。
 そうと知らないミク売りはすっかり取り乱し、「さては! 貴様らが妻を拐かしたんだな!」と叫んで文官に飛びかかったが、たちまち武人たちに取り押さえられてしまった。
「ああ、これこれ、そのくらいで勘弁してやりなさい。さ、行くぞ」
 文官は武人たちを止めると、水牛を急がせて川下へと去っていく。
 ミク売りは痛む身体を引きずって、彼らの後をつけた。

 さて、そろそろ娘がどこへ行ったか話すとしよう。
 あの賢い娘は、ずっと川下の岩場にある洞窟に閉じこめられていた。気がついたら、そこにいたのだ。
 ランギニョクのムングサを嗅ぎつけた凶悪な魔賊が、朝飯の支度をしていた彼女をさらったのだ。
 そいつは恐ろしい蛸の化け物だった。
 魔蛸は、怯える娘に八本の脚をぬめらせて迫りながら言った。
「今日からおまえはわしの妻だ。ここで踊って、わしを楽しませるのだ!」
「いやです。私には愛する夫がいます。どうか陸に返してください」
「やなこった。ほれ、踊れ踊れ!」
 娘が踊らないと、魔蛸は四本の脚を彼女の手足に巻きつけ、操り人形のように踊らせた。
「帰ることはない。あの男は金に目がくらんだ阿呆だ。嫌なやつだぞ。悪いやつだぞ」
「平気です」
 新妻は、こんな魔賊に騙されるような愚か者ではなかった。指にはめた青珊瑚の指輪を見つめて、娘はこう答えた。
「あの人は急にお金を手にして気が迷っているだけですもの。私が元に戻して見せます」
 これを聞いて怒った魔蛸は、彼女の身体を切り裂いた。
 ぐったりと動かなくなった娘。
 流れた血で、河が赤く染まった……。

 ラッハ・マク! この続きは、また今度のお楽しみだ。

(注釈)
※1:カナン語で「夫婦」の意。
※2:小型の天幕。野外用の宿泊道具。
※3:米の粉を焼いて作った食べ物。肉などを巻いて食べる。
※4:サマカリ(魚の一種)の干物。
※5:その昔、ハンムーの名宰相と言われた“ノツシュ(水牛)の”ヨニムニのこと。彼ら馬に乗らず、水牛に乗っていたという。


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