カナンの小さな神話4

 金持ちと魔蛸・その1

 さあさあ子供たち。
 みんな集まったか?
 よしよし、それじゃあ、ムング(神々)の話を始めるとしようか。

 人はひょんなことから大事に巻きこまれる。ぼんやりした奴や一途な奴ほどムングに目をつけられるからだ。今日はそんな話をするとしよう。
 昔々、ゴヌドイル河のほとりに一人の貧しい若者がいた。
 川底のミク(※1)を採ってはウラナングの家々に採りたてのミクを届けるのが、彼の生業だ。ミク売りなんて今と変わらぬ細々とした商いだから、ネルリーヒ神がすり寄って来るほどの貧しい暮らしぶりだった。
 そんな若者が恋をした。すっかり恋の虜ってやつだ。ところが若者はミリ神にもイナ神にも見放されていた。なにしろ彼が惚れたのは、毎朝ミクを届ける屋敷の娘、ウラナングでも一、二を争う金持ちのお嬢さんだったのさ。
 身分違いの相手に想いを告げるわけにもいかず、屋敷へ行くたびに若者の胸は張り裂けそうになる。そんな毎日を送るうちに彼は気が塞いでしまい、とうとう漁にも行かず川辺に座り込んで過ごすようになってしまった。
 ほれ、今でもよく悩める男女が水辺でクツン神をンブツ神に会わせとる(※2)だろ、あれをしていたわけさ。
 そして、この可哀想な若者の恋心に気づいたのが、てんでお門違いのネルリーヒ神だったから、話がややこしくなる。
<おやおや、この男の商売はごくごく小さくて気持ちの良いものだったのに、どうしたわけだろう? ははあ、そうか。貧乏が嫌になったのだな>
 勝手にそう合点したネルリーヒ神は、若者の帰り道に古びたランギニョク(※3)を落としていった。
 神の狙い通り、ランギニョクを拾って帰った若者は驚いた。逆さにして振ってみると、空っぽの袋から金貨や銀貨が際限なく出てくるではないか。
 出てきたのは銅貨じゃないかって? いやいや、ネルリーヒ神が大好きな銅貨を手放すものかよ。あの神は供え物の中から銅貨だけを持ち帰って山にする。残った金貨や銀貨は捨てちまうんだ。
 つまり、このランギニョクはネルリーヒ神のゴミ袋ってわけさ。これまでにカナン全土でネルリーヒに捧げられた金貨や銀貨が詰まってるんだ。
 なに? それからどうしたかって?
 急にお金持ちになった若者はすっかり気が動転し、そりゃあもう、色々なものを買った。準備万端整えて屋敷を訪ね、娘に求婚するためにな。
 買いそろえたのは、まず娘の黒髪やほっそりした指に似合いそうな素敵な細工物。それと、立派な家も。細工物と家を並べて買うのはおかしいって? まあ気にしなさんな。ある日突然大金持ちになったんだ、金の使い方に慣れていなかったのさ。
 さて、若者が呆れるばかりの贈り物を持って求婚に行くと、娘の両親は彼が出入りのミク売りとはてんで気づかず、大層なお金持ちだと喜んで、すぐに縁組みを許した。
 娘はどうしたかって? 彼女は、親に似ず賢い娘だったので、立派な身なりをした若者が実は屋敷に来ていたミク売りだと気づいていた。それでも娘は、素敵なモダン細工(※4)の髪飾りやら青珊瑚の指輪やらをにっこり笑って受け取って、結婚に承知した。なぜなら、娘のほうも毎朝ミクを届けに来る若者を憎からず思っていたからだ。
 金持ち同士だったから、その日の内に娘の屋敷で豪勢な婚礼の宴が執り行われ、二人はめでたく結ばれた。
 その晩、どうして急に金持ちになったのかと寝物語に聞かれた若者は、娘に不思議なランギニョクを拾ったことを話し、裸の腰に大事に巻いたそれを自慢げに見せた。
 すると新妻は、美しい黒い瞳で夫を見上げて言った。
「ねえ、おまえ様。それは神様の持ち物に違いありませんわ。こういうムングサ(※5)の強い物は、無用な魔物を呼び寄せるといいます。必要な額だけ頂いて、あとは神様にお返しなさいませ」
「必要な額だって?」
 と、若者は言った。
「金なんていくらあっても足りないよ。大丈夫、魔物なんかくるもんか。第一、そんな馬鹿な話は聞いたこともない」
 急に金持ちになって、すっかり欲に目がくらんでいたんだな。
 それに、妻が自分よりも学があると認めるのが嫌だったのさ。男なんて、そんなものだ。
 明日は、故郷に建てた自分の屋敷に妻を連れて帰ることになっていたから、若者はそれ以上話そうともせずに、さっさと眠ってしまった。

 ラッハ・マク! この続きは、また今度のお楽しみだ……。

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(注釈)
※1……シジミに似た小さな貝。乳白色のものが上等とされる。
※2……水に小石を投げる様を表す慣用句。
※3……商人が使う、赤くて帯のように長い財布。「巨大な舌」という姿で現れるネルリーヒ神を模ったとされる。
※4……有名なモダ国の銀細工の総称。この地方の銀細工はカヤクタナ時代でもこう呼ばれた。
※5……神の気配のこと。人よりも、魔物のほうがこうした気配には敏感である。


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