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罪滅ぼしを生きる目的にしない【自信マガジン】

あなたが、罪滅ぼしのために生きているとしたら。

これ、出来ればやってほしくないのです。
ほとんどの人は幸せになれないから。

マガジンタイトルの自信とちょっと外れるかもしれませんが、心が不自由という点では同じことなんです。

こんなツイートをしましたので、もうちょっと掘り下げて話そうかと。
なぜ罪滅ぼしのために生きてはいけないか、を説明いたします。


罪滅ぼしとは

罪滅ぼしを辞書で調べると
犯した罪を、よい行いをしてつぐなうこと、
と書かれています。

似た意味の「贖罪」は、
お金や物を出して罪を許してもらうこと
なので、罪滅ぼしの一種だけど、
ちょっと遠くなりますね。

いま一般的に、罪滅ぼしといえば
どっちかというと、
法で裁かれて罪を償うことではなく、
自分で自分を罰する時や、
被害者が使う言葉ですね。

ライトな罪滅ぼしの例

たとえば、子供の誕生日を忘れていたので、
罪滅ぼしのために、次の休日に遊園地に連れて行くとか。

親の立場なら罪滅ぼしをする人ですし、
子供の立場なら罪滅ぼしをさせたい人になりますね。
遊園地に行くことで、その前の罪(誕生日を忘れたこと)を
不問にする、水に流す、滅ぼすということです。

この例はかなり軽いケースで、
罪が滅ぼせれば人生にダメージを負うほどでもありませんよね。

ヘビーな罪滅ぼしの例

では、誕生日を忘れた翌日、
子供が死んでしまったらどうでしょう?

そう、
もう取り返しがつきませんよね。
子供に償うことが不可能になります。

罪滅ぼしが不可能な例

しかし、親が何らかの方法で罪滅ぼしをしたい、
と考えたらどうでしょう。
許す立場の子供は、もうこの世にはいません。
そして、親の罪は誰にも裁いてはもらえません。

その結果、
親は自分に罰を課して、死人に許しを乞うのです。

自罰に意味はない

自罰とは、自分で自分を罰することです。

自分では、
どうしようもなかったことなのに、
自分が原因、自分の責任だ、と

自分で勝手に決めつけて、
あるいは誰かに決められて、

その苦しみを別の罰に変換して
罪滅ぼしのつもりで自罰をする。

そんな悲しい自罰に
意味を持たせたくはありません。

取り返せない過去のために生きること

自罰は、ほとんどのケースで自己満足です。
そうしないと自分が許せないとか、
誰も罰してくれず不安なので自罰するとか、
本来はあまり必要のないものです。

そして、罪滅ぼしのための自罰は、
取り返しのつかない過去のために、
未来の自分の人生を費やしてしまうのです。

本当なら、自分の思った
生き方をしているはずなのに、

取り返せない過去のために
自分を罰しつづける。
これからの自分の人生を
生きることは許さない。

罪滅ぼしのために生きている人は
そう言うかもしれません。

どうしても、自分を罰さないと
気が済まない人もいるでしょう。
でも、決して幸福にはなれないでしょう。

でも、少しでも自分の人生を
生きることを望むなら、
自分の人生を生きることを
誰かが望んでいるのなら、

過去から自分を解き放って
未来のために生きて欲しい。
私はそう願っています。

覆水盆に返らず、と昔の人は言いました。

変えられない過去のために自分を罰するよりも、
未来の自分や誰かを幸福にしてみませんか。
それが、前向きな罪滅ぼしだと
私は思います。



(罪滅ぼしに生きる友人に捧ぐ)



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