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【小説】通学路

 秋晴れの清々しい朝だった。

 玄関の郵便受けに新聞を取りに行くと、ちょうど小学生が2人、家の前の道を通って学校に行くところだった。3軒隣の家の子供達で、小学4年と1年の姉弟だった。通学路としては回り道になる。子供の数が減ったため、3自治会が集まって集団登校するようになり、集合場所に集まるのに回り道をするようになったという。

 「おはよう」と声をかけると、子供たちは「おはようございます」と元気に返事をした。「いってらっしゃい」と再度声をかけると、「いってきます
」と先ほどより大きな声で返事を返してくれた。

 自分も子供の頃、学校の行き帰りの挨拶が元気があっていいと近所で評判だった。おそらく学校で「挨拶は元気にしましょう」と教えられたからだろう。ただ、実を言うと学校は楽しいものではなく、苦痛で仕方なかった。だから今の子供たちも楽しいことばかりでないことはよくわかる。

 それでも、子供たちの元気な挨拶は、秋晴れの空のように清々しい気持ちにさせてくれる。


 飼っていたネコが亡くなったのも、そんな秋晴れの朝だったのを思い出した。ちょうど一年前のことだ。

 それについて、不思議な話がある。亡くなったネコをタオルにくるんで運ぼうとしたとき、家の前の道路を親子のネコ三匹が南の方角から歩いてきた。母猫は確か川向こうの隣の自治会の家で飼われている猫だった。その子猫二匹は見たことがないネコだった。三匹はまっすぐ、ゆっくりとした足取りで飼い猫を抱いていた僕に近寄ってきた。まさかと思い、亡骸を三匹に見えるようにしてやると、母猫は顔を近づけて、くんくんと臭いを嗅いだ。そしてしばらくして、三匹は来た道をまたゆっくりと帰って行った。猫の世界にも「お悔やみ」という習慣があるのだろうかと思った。

 その後、母猫はあまり寄り付かないが、子猫二匹はよく姿を見せるようになった。一匹は母猫に似て白地に縞柄のブチのあるネコで、もう一匹は全身縞柄のトラネコだった。飼い猫への「お悔やみ」の件もあり無碍にも出来ず、余っていたキャットフードを与えると、次第に居つくようになってしまった。

 便宜的に名前を付けてやり、トラネコは「トラ」と呼ぶことにした。白地に縞柄のブチのあるネコは雄であることが判明したため、「トラオ」と呼ぶことにした。後で「トラ」は雌であることが分かり、もう少し女の子らしい名前にしてやればよかったが、呼び慣れてしまったためそのままにした。


 今年の夏、トラは二匹の子供を車庫の隅で産んだ。この夏は猛暑で、車庫の隅では直ぐに死んでしまうと思い何度か見に行ったが、それがよくなかったのか、トラは二匹をどこかに隠してしまった。

 その後1ヶ月ほどたったある日、トラが一匹の子猫を連れてきた。あの二匹の片割れだと直ぐに思った。トラによく似て目が寄り目だが、やせ細った三毛猫だった。もう一匹は駄目だったかと思うと、尚いっそう可愛く見えた。


 その三毛猫が妻の周りに纏わりつくようになった。

 洗濯物を干しているときなど、足の周りをうろうろし、妻の足に顔をスリスリと擦り付けて「ミャー」と可愛いらしい声を出す。終いには、妻の足元でゴロンと横になり、安心しきったように身体を前後に伸びしたまま動かない。妻はその三毛猫を「ミケ」と呼び、可愛がるようになった。

 妻も憎からず思うのか、足の周りに纏わりついていても、そのまま仕事を続けている。たまに誤って、ミケを踏んづけてしまうことがあるが、そのときのミケの驚きようが如何にも微笑ましい。

 ミケは妻がいる時は、僕の呼びかけに全く応じようとしない。「ミケ」と呼んでも、知らんぷりをしている。ところが、妻がいなくなると、徐に僕の足元に寄ってきて顔をスリスリし、「ミャー」と鳴く。ぼくが「ミケ」と呼ぶと、さらに大きな声で「ミャー」と返す。

 妻は「うちの猫になるなら、避妊手術をしないといけないね」と言う。病院に連れていくときに捕まえられないといけないから、今から抱っこできるようにしとかないととも言った。大きな声で「ミャー」と返すミケを見ていると、暫くは抱きかかえるのをよそうと思った。

 秋晴れの青空の下で白い布団のシーツが揺れていた。

 去年亡くなった飼い猫も三毛猫だったことを不図思い出した。ただし、そこに因果関係はない。

おわり


ヘッダー画像はみみさんの画像をお借りしました。ありがとうございました♪


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