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【漫画エッセイ】母が大動脈瘤破裂で運ばれました【episode05|発症〜入院ダイジェスト(2)】

■このシリーズの続きです■


<余談あれこれ>

高齢化社会のカオスな時間感覚と生きがい


受け入れ先病院探しって、結構すんなり決まらないこともありますよね。

私も以前喘息で救急車を呼んだ時に、なっかなか受け入れてもらえなくて、ずーっと家の前から救急車が動けないという同じような経験をしたことがありました。

ちなみに今のマンガの時点ではまだ、父もわたしも、母の身に起きていることを知りません。現地にいたおじさんとおばあちゃんが、色々動いてくれて助かりました。

今回、母の一件で、久しぶりに親や祖母たちと暮らしてみて思ったのは、倒れる側も、付き添う側も、フォローする側も全員年寄りだと、なんかもうえらいことになるんだなということ。

話を聞いていないとかはデフォルトだし、一度思い込んだら他の人が何を言ったって聞かないし、もちろん体力も力も衰えているし、でもみんな頑固で意地はある、そういう人たちが集まって相談して、生きて行くってなんかすごいカオスでした。

ある意味、感動すら覚えました。こうやって回る暮らしもあるのだなと新しい価値観をもらった気分です。

合理的な視点で見ると、頭が回る担当の人体力がある担当の人がいた方が便利そうだなと思いました。

でも、誰かがひいひい言いながらイオンに行って買い物をして、延々と「ああでもないこうでもない」と、目的地に着くまでどの電車が一番早いかについて時刻表を見ながら話し合って、これはこれでまわっているのも事実です。

Amazonポチって、乗り換え案内で検索しちゃえば、多分10分くらいで済んでしまうアクティビティで午後の時間がまるまる潰れます。すごい時間感覚だ。カルチャーショック。

ここにAmazon乗り換え案内を導入したらどうなるんだろう。そんなことを考えていました。少子高齢化社会(我が家)へのテクノロジー導入案です(笑)

そこで思ったのは、不便は解消した方がいいかもしれないけれど、負担はある意味誰かの役割でもあり、存在意義にもなっているのでその家庭内生態系を、『便利』という価値観で無理に壊すこともないということ。

仕事をなくすためには、代わりにやりたいことを作った後に、「じゃあ、こっちのことをやるのは邪魔だよね。いらないよね。」って削除していく順番がスムーズなのかもしれません。

きっと『AIによって仕事が奪われていく論争』の問題の根幹ってここなんだとおもいます。

今やっている仕事をやめて、違うやりたいことがあるなら、とっとと仕事はより便利な何かに譲った方がいいし、とくにやりたいことがないのなら、便利かどうかは問題じゃなくて、いまやるべきことが目の前にあるということが人間には大切なのかもしれません。

人間って面白いな。

清水楚央でした。それではまた次回!

→次の話【Episode06|発症〜入院ダイジェスト(3)】

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