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読書録/日本人漂流記(上)(下)

▪️日本人漂流記(上)(下) 川合彦充 著 
社会思想社・現代教養文庫 Kindle版

 山岳遭難のドキュメントシリーズを一通り読み終わったので「山の次は海だろう」と海の遭難についていろいろネットで検索していると、すごく面白い歴史的事実に巡り会い、詳細を知るために購読したのがこの本。航海中に遭難し、漂流した日本人の記録である。

 といっても、近年の話ではない。これは日本が鎖国政策をとっていた、江戸時代に図らずも漂流し、異国の地へ漂着してしまった人々の記録なのである。ジョン万次郎、大黒屋光太夫の話はよく知られているが、実は彼らにも勝るとも劣らない数奇な運命をたどった漂流者がたくさんいたことを、本書ではじめて知った。その最も驚くべき記録は1813年11月に江戸から戻る途中だった尾張の船、督乗丸の漂流記録である。船頭の重吉以下13名を乗せた督乗丸は遠州灘で遭難。舵が破損したため海流に乗って太平洋を漂流することになり、1815年にアメリカ・カリフォルニア州のサンタ・バーバラ沖の太平洋上でイギリス商船フォレスタ号に救助されるまで、484日間にわたって漂流した。というのである。これは、おそらく記録に残る世界最長の漂流記録であろうといわれている。114名の乗組員のうち助かったのは船頭の重吉を含む3名。彼らはロシアを経由して江戸へ送還されたが、うち1名は途上で病死。無事日本に帰国した船頭の重吉は尾張藩に召し抱えられ、小栗重吉と名乗ってのちにその漂流記を口述筆記で「船長(ふなおさ)日記」としてまとめたという。

 その他にも、驚くべき記録が数多くあるが、本書の著者は、そうした日本人の漂流の歴史がこれまで「奇談」としてしか扱われなかったことに触れ、これを海事史的視点からとらえて一つひとつの事例を拾い上げ、まとめ上げたのである。近世(江戸時代初期)から明治時代の初期までの漂流事件が最後にまとめられているが、その事例の多さには驚くばかりである。これは現在まで記録に残っているものだけであるから、実際にはもっと多くの船、そして人々が、人知れず遭難し、漂流して海の藻くずと消えたり、どことも知れぬ無人島で命を落としたりしたのであろう。

 ところで、なぜ重吉たちは484日間もの長期にわたる漂流に耐えることができたのか。それは、その船の積み荷が「大豆」だったことが大きい、という。また、当時の船乗りは「ランビキ」という手製の蒸留器を造る知恵を語り継いでいたようで、海水を蒸留して真水を作ることができた。ただしそのためには燃料が必要で、しまいには伝馬船(はしけぶね)や船体そのものを壊して燃やさねばならなかったという。

 江戸時代に海難事故が多かったのは、一つには大型和船の構造上の問題がある。しかし、それ以上に大きいのが「鎖国政策」によって、戦国時代(それは、世界的にはまさに大航海時代であった)にもたらされたであろう航海術が幕府によって禁じられ、失われてしまったことであろう。鎖国以前には、日本からタイやベトナムに赴いて通商が行われ、日本人町が開かれるほどであったのだから、当時の日本人は、船で大洋を超えて東南アジアまで行くだけの航海術をある程度身につけていたものと思われる。しかし、江戸幕府は遠洋航海を禁じ、江戸の船乗りは、日本の沿岸を、陸地を見て位置を確認しながら進むという方法によってしか、航海することが出来なくなっていたのだ。

 しかし、暴風雨にあい、船の舵が破損、また沈没を免れるために帆柱を切らざるを得なくなると、船はもはや操船するすべがなくなり、波に乗って漂うにまかせるほかなくなる。そうしてあるものは中国沿岸へ、ハワイへ、あるものはフィリピンへ、あるものはロシア沿岸へ、そしてあるものは北アメリカ沿岸へとたどり着いたのである。

 ようやく救助され、あるいは漂着して生き延びたとしても、帰国までの道のりは遠い。そんな中、見知らぬ異国の人々、たとえば中国人や朝鮮人、ロシア人やイギリス人、アメリカ人が理由は様々だが(心からの親切もあれば、漂着した日本人を日本に引き渡すと幕府から米がもらえる、という事情もあり、また送還を口実に対日国交交渉を持ちかけたい、という理由もあった)、手を尽くして日本人を故郷へ送り返す手だてをしてくれたことには、感動を覚えた。しかし、そうして世界をめぐってようやく帰り着いた故国日本に入ることが、ある意味もっとも険しい壁になっていたという事実に、ふたたび愕然とする。鎖国をしていた日本では、たとえ遭難の末漂流した結果であっても、海外に行ったということは、国禁を犯したことになるのである。だから漂流者は日本に送り届けられると勾留され、長いときには1年以上も拘禁されて、厳しい取り調べを受けなければならかった。その間に発狂したり、自殺してしまった者もいたという。そして無事取り調べが終わって故郷に戻れたとしても、船乗りをやめさせられたり、地元から出ることを許されなくなった者も少なくなかった。幕府は外国からの知識や経験が持ち込まれ、国内に広まることを何よりも恐れたのである。

 そのようなこともあり、帰国を断念した者も数知れない。その多くは、キリスト教の洗礼を受けた人たちであった。

 戦国時代、日本にキリスト教が伝来してから、江戸時代初期に禁教となり鎖国政策が取られるようになるまでの大きな歴史のうねりを、ヴァチカンに派遣された天正遣欧少年使節の4人の少年の数奇な運命を通して描いた大著「クワトロ・ラガッツィ 天正少年使節と世界帝国」という本を以前に読んだ。本書はテーマはまったく異なるものの、私にとっては、その歴史の「その後」をたどる物語として受け止めることができた。いったんは受け入れ、多くの者が信じたキリスト教を江戸幕府は拒絶し、人々がイエスを信じることを禁止した。信仰を捨てることの出来なかったキリシタンたちは潜伏し、開国までの250年を待つこととなった。キリストの光が閉ざされ、福音が届かなくなったその国に、しかし神は不思議な方法で働いてくださった。ドイツ人宣教師カール・ギュツラフが現存する最古の日本語訳聖書を翻訳することができたのは、漂流者の一人、音吉の協力によってであった。ペリー来航のおよそ20年前のことである。まだ日本は固く国の扉を閉ざしていたが、神は引き寄せ、そして届けるべき言葉を用意しておられた。

 本書は、このような日本人の漂流事件を、事例一つひとつを取り上げながらまとめあげたものである。ただ、全体として、事例をテーマ別に並べ、どのような歴史的事実があったのかを記述する、という内容であるために、淡々として冗長に感じられるところもあるが、その歴史的事実の面白さに引きつけられて、最後まで一気に読み通すことができた。漂流して無人島に漂着した!と思ったら、先に漂着していた「先客」がいた、とか、捕鯨船に救助され、乗員となって世界の海を航海したとか、フィリピン近郊の島に漂着し、なんと手作りの船で戻ってきたとか。マカオやマニラ、ロシアで別々の漂流船の乗員が巡り会うこともあり、とにかく面白い歴史的エピソードが満載なのである。

 そんな中で一番オススメのエピソードは、第一部「運命の漂流者たち」の中で「モリソン号の来航と一生を異国で送った漂流者たち」である。下記のホームページに、その中の一人、音吉の生涯が詳しく紹介されている。その数奇な運命を知るにつけ、思うのはやはり「ごく普通の人が、危機的状況の中で九死に一生を得て生き延び、自らの運命を切り開いていく」ことの不思議さ、たくましさ、人の持つ生きる力の素晴らしさである。

シンガポール人物伝「音吉」
http://www.jas.org.sg/magazine/yomimono/jinbutsu/otokichi/otokichi.htm

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