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植物のアレコレ②

前回に引き続きコラムです。後半植物からやや離れますが、日本の文学作品における植物についてちょろっと書いていきます。

さて、「親方! 空から女の子が!」みたいなノリで「婆さん! 地面から(生えている植物)女の子が!」みたいな感じで出てきた物語の主人公といえば誰でしょうか?

かぐや姫ですね。

『竹取物語』は「今は昔竹取の翁といふものありけり。野山に交じりて」と暗唱させられた方も多いのではないかと思います。まあ、実際のところ「月に帰る」わけで、「空から女の子が!」なわけですが。

さて、そんな『竹取物語』。皆さんどんな竹を想像するだろう?

多くの方が孟宗竹を想像するのではないかと思う。孟宗竹というのは太い竹だ。

「え? ゆーて竹から出てきたって……かぐや姫結構大きくない?」って思いません?

でもよくよく考えてみよう。「竹取の翁」というくらいだし、いい歳したじじいなわけだ。

そんなじじいが「田んぼが心配だ。ちょっと用水路見てくる」みたいなノリでそんなにぶっとい竹を取りに行くか、という点、甚だ疑問である。

しかも、「野山に交じりて竹を取りつつ、よろづのことにつかひけり」なわけで、多分たけのこじゃなくてきちんと育った竹を取ってきて何かしら道具を作ったりしていたと思われる。

しかも今と違って鋸は普及していない。一介の「造」といった大して権力もない某が持っている、とは考えにくい。

となった時に、青々とした孟宗竹を手斧などで切っている、となるとやや不自然である。そう、そもそも孟宗竹ではないのだ。

そもそも、『竹取物語』成立時には孟宗竹は入ってきていない。大きくても淡竹くらいのものであろう。つまり、想像している竹よりも細い、といった次第である。

竹というと、古くは『古事記』『日本書紀』に出てくる。伊邪那岐が黄泉の国からの追手を撒く時に投げた櫛がたけのこになった、といったもの。

その他、和歌だと「雪折れ」といった現象が詠まれたりとか、「竹」と「節(よ)」が縁語となっている例なんかがあったりする。

さて、昨今だんだん涼しくなってきて、紅葉の季節も間近となって来ている。というわけで、「紅葉」について触れてみたい。「紅葉」とは「もみづ」といって動詞化したりもする。現代では「紅葉」と書いて「もみじ」であるが、『万葉集』では「黄葉」で「もみじ」だった。

さて、紅葉というと『古今和歌集』以降の印象が強い。「紅葉」が詠まれた歌であれば

「このたびは幣もとりあへず手向山紅葉の錦神のまにまに」菅原道真
「ちはやぶる神代も聞かず龍田川唐紅に水くくるとは」在原業平

といった和歌が『百人一首』にも採られている。なお、余談であるが、現在の「手向山」は上記の歌が由来で「手向山」という固有名詞としての名前になっている。

元々は「手向ける山」の意で、一般名詞であった。

閑話休題。勿論、紅葉の歌はこれだけではない。『古今和歌集』からの引用になるが

「白露の色は一つをいかにして秋の木の葉を千ぢに染むらむ」藤原敏行
「秋の露いろいろことに置けばこそ山の木の葉の千くさなるらめ」読人知らず

といった歌があるように、「露」が「紅葉」を染める、といった歌が見られる。

また、「血の涙」が「紅葉」を染める、ないしは「血の涙」を「紅葉」に見立てるといった歌も詠まれる。『紫式部集』に

「露深くおく山里のもみぢ葉にかよへる袖の色を見せばや」

といったものがある。

さて、ここからは余談です。

これから秋であるが、平安時代には「春秋優劣論」といった議論が行われていた。

これは「春と秋どちらが優れているのか」といったことを大真面目に議論するといったもので、今の感覚ならば「何? お前ら暇なの?」といいたくなるものなのだが、まあ、そんな文化があった。

それで、オチは既に決まっていて、秋の方が優れている、といった結論になる。いや、オチ決まってるならやる必要なくね? といいたいのだけれども、まあ、そんなもんなのだろう。

さて、そんな「春秋優劣論」であるが、『源氏物語』にも描かれる。六条院で春の町に住まわされた人物といえば、紫の上であり、光源氏の最愛の人だった。

一方、秋の町に住まわされた人物は秋好中宮で、この人物は多分日本一有名なヤンデレである六条御息所の娘である。

結局、どっちが優れている、ということは描かれずに終わっているのであるが、紫の上が亡くなった時の弔問の歌で秋好中宮は

「枯れはつる野辺をうしとや亡き人の秋に心をとどめざりけん」

といった歌を送っている。「枯れ果てる野辺が憂いので」といった歌意である。

紫の上が亡くなったのは旧暦八月であり、秋である。その他『源氏物語』の正編で秋に亡くなる女性を考えてみると……

桐壺更衣(光源氏の母)、夕顔(頭中将の元妻で玉鬘の母)、尼君(紫の上の叔母で育ての母)、葵の上(光源氏の最初の妻で夕霧の父)、六条御息所(秋好中宮の母)、紫の上(光源氏の最愛の人)

……と、パッと思い付くだけでもこれだけいる。秋好中宮自身も「春と秋どっちが好き?」といわれたので「母が亡くなった季節である秋かな……」といった形で答えているわけである。

平安時代においては秋が優れているのであるが、一方で現代と同じように、秋は何処かしら寂しい季節でもある。

さて、そんなわけで寂しいし、人肌恋しいし……

「秋風の身に寒ければつれもなき人をぞたのむくるる夜ごとに」(『古今和歌集』、秋下、素性法師)

といった気分ですが、ちくわのここ、空いてますよ。え? 来ない……うん、枕抱いて寝ます……。

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