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雑談:女性の男性化

しばらく前にX(Twitter)で、三重交通が発表した公式キャラクターを巡って炎上騒動が起きましたが、そろそろ皆さんの記憶関心からも消えつつあると思うので、あえて備忘録的に少し。まあタイトルにもあるように雑談で。


三重交通公式キャラクター設定

三重交通公式キャラクター

三重交通のリンク先はこちら

炎上の論点は「女性の画像が男性に比べてクネクネ(胸や腰を強調する性的なもの)になっている!これこそ女性差別だ!」という話で。クネクネしている、という表現はなかかな上手い言い方のような気もしますが(笑)、それはさておき。見ておわかりの通り、女性キャラクターの着ている制服はパンツルックなので、これが男性キャラクターと同じ姿勢でいると「髪の長い中性的な風貌の人物と男性」になってしまうのではないか、と思えるわけですよ。差別化が無い。
昔だったら女性の方は、このキャラクターは運転士という設定になっていますが、スカートを履いて差別化が為されていたと考えるんですね。そういう意味ではこれでも十分先進的な扱いではないかと思います。Xでは難癖とか言われていましたけど、そちらのほうが妥当な評価ではないか。
ただ、そういうすでに手垢がついた話をしてもしかたがないわけですし、三重交通さんもこの炎上は無視する方向に出たので、そこを改め突いてもしかたない。じゃあ何が言いたいかというと…

女性の男性化

見出しの通りで。三重交通のこのデザインにしても最近の諸々の風潮にしても性役割分担的な表現を消そうとするとそれは女性を男性のように表現することに偏りすぎてはいないかということで。早い話、女性の格好、女性の役割を男性のようにする、男性と同じものにするという方向性ばかりが求められて男性を女性化するという方向には行かない。不可解なバイアスがかかっているのではないか、と考えるわけです。男だってスカートを履いてお化粧してもいい(笑)。単純にそういう話。
ジュディス・バトラー等のフェミニストは、ジェンダー(性差)というものを社会構築物と位置づけて、それらの解消を進歩と捉えていますが、そうは言っても女性と男性では生物学的な差異は多くあるわけで。女性を男性のように描く、女性に男性と同じ役割を求めるという方向性は女性という特徴を消滅させることに他ならないのではないか、と考えるわけです。これは回り回って「人間とは男性を意味する言葉であり、人間であるということは男性的であるということだ」という、昔のフェミニスト達がまさに打倒しようとしていた思想偏見思い込みを強化する方向に行くだけではないかと。

何故男性を女性化しようとしない

まあ時代は少しづつ変わってきていて。残念ながら人類種ではないのですが(笑)、昨年のプリキュアシリーズ「ひろがるスカイ!プリキュア」ではレギュラーキャラクターとして男子プリキュア「夕凪ツバサ/キュアウイング」というキャラクターもいたわけです。声優も男性。まさに「男の子だってプリキュアになっていい!」で。男性は男性のままで、女性だけがその役割の変更/服装の変化を求められるのはいささかおかしいのではないか。フェミニズムの中からこういった声があまり上がらず、逆にこの状況を強化するような方向性が求められていくというのは、やはり何か歪な感じがします。そもそもの話、それを本当に女性達が求めているのか。三重交通のデザインはXでこそ炎上しましたが、社会的にはほぼ無風に近く、だからこそ三重交通さんもキャラクターを撤回することもなく、ほぼ無視の状態で「抗議」を撥ね退けたのではないか。SNSに棲息する女性達以外は、これを好意的に受け止める、あるいは気にもとめなかったのではないかと思います。まあ、賛同したところで自分達の生活にはなんの影響も与えませんしね。

女性の男性化は果たして女性の幸福か

女性と男性は生物としては様々な点で異なる生き物なわけで。社会人として生きるうえで顕著な違いと言えば「生理の有無」ではないか。これも結構個人差があるそうなんですが、いわゆる「重い」人にとっては平静を保つだけでも苦痛だそうで。まあ生理休暇とかはあるわけですが、そうはいっても相対的に「軽い」女性から「あなた甘えているんじゃないの?」といった感じの嫌味を言われてしまう。だから無理して働いている、という愚痴や不平不満はわりと聞きます(苦笑)。女の世界も大変だ。
女性を男性と同等に働く存在として扱おうとすると、やはり様々な問題が生じるわけですよ。上記の生理のように個体差も大きい分野もある。女性を男性に寄せることは必ずしも女性の幸福には結びつかないのではないか。
まあ現実問題としては、そういった「違い」に配慮して女性には軽めの仕事を、男性には負荷の大きい仕事が振られるわけですが。現状だと給与に差が付かないので、噴火寸前のマグマのような怒りが若い男性に広まっているとも聞きます。いずれ爆発すると両性にとっても不幸なことになるのではないか。だったら最初から男性と女性を大きく切り分けたほうが良い結果を生むように思うんですが、何故か一部(フェミニスト)の人達はそう考えないようで。女性達の現実の幸福よりも理念の方が大切なのでしょうか。

結局は「女の幸せとは何なのか」という話ではあるんですが。人間の幸せというものは最終的には「自分自身で見つける」しかないもので。それを疎かにして誰かの言葉に頼ると、結局は幸せを見つけられずに不幸に陥る、ということではないかと思います。女性の皆さんは、本当は自分達がどのような服装でいることを望むのか、どのような生き方をしたいと望むのか、他者の声を頼らずに自分の内面に問いかけてみることが必要ではないでしょうか。





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