見出し画像

50歳以上必読!遺言信託より『有言信託』

今回は、長生き時代の財産承継について整理したいと思います…。

ご承知のとおり、平成から令和への御代替わり(みよがわり)は、連綿と続いてきた天皇家の歴史において、実にエポックメイキングな出来事でした。初代・神武天皇から今上天皇(徳仁陛下)まで126代。古事記や日本書紀によれば2600年超もの長い歴史の中ではじめて、125代の現・明仁上皇がお元気なうちに徳仁陛下に代替わりされたわけです。

下世話な言葉で言うなら、老親が目の黒いうちに息子にすべてを承継したということです。なります。令和元年11月9日に皇居前広場で開催された国民祭典には、7万人もの人たちが参集し、その模様が全国に届けられました。いまは懐かしい嵐の熱唱は忘れられません。

あの場にいた政財界や芸能・スポーツ関係者ら著名人は約3万人。そのほとんどは富裕層の人たちでしたが…。翌・令和2年からです。天皇家に倣って、財産を死んでからではなく生きているうちに渡してしまおうという機運が生じてきたのは。

昭仁上皇の、『年齢と健康面の不安から、万一の場合の混乱を避けるため、判断力と行動力が損なわれないうちに次世代にバトンを渡す』という価値観は、永田町&霞ヶ関や、皇室ファミリーを熱狂的に支持する人たち(準富裕層?)の間で確実に広がってきています。

これには明確な理由がありました。それが、『平均寿命と健康寿命の差』です。例えば、私が小学生だった昭和40年代、日本人の平均寿命は67歳でした。で、健康寿命(医療・介護等の制約なく自立した生活が可能な年齢)が62歳です。つまり、エンディングを控えた療養期間は5年に過ぎませんでした。

ですが、今はどうでしょう。女性の場合、平均寿命88歳、健康寿命は76歳です。その差、なんと12年です! ちなみに、男性でも9年(平均寿命82歳、健康寿命73歳)の開きがあります。誰かの助けをもらいながら生きていく期間は長期化し、2倍になったわけです。これまた通俗的な表現をすれば、介護が必要になったり認知症になったりしても、そうは簡単に死なせてはもらえない時代になったということです。

そうなると、大変なのは本人よりも子どもたちです。多くは現役のビジネスパーソンです。仕事も家庭も大変なのに、そこに老親の介護問題までのしかかってくる。しかも、しかもですよ。親が何の段取りもしないままに認知症になってしまったとしたら、平均寿命と健康寿命の差である10年間もの長きにわたって、老親を支援するためのコストを肩代わりしなければならないのですから、これはもう堪ったものじゃありません。

その分は、遺産相続で上乗せして受け取れるだろうって?

とんでもありません。少なくとも私は、この20年超、そこまでキチンと段取り(遺言書に明文化している)している高齢者にお目にかかったことがありません。身も蓋もない話ですが、親がボケてしまう前の口約束など空手形に過ぎません。遺産分割協議の場で、親の老後を援助したことを証明するのがいかに大変なことか!兄弟姉妹がいれば、まずまちがいなく異議を申し立ててくることでしょう。

まぁほとんど奇蹟的レベルのレアケースですが、仮に親が遺言にきちんとしたためていてくれたとしても、現役世代の子どもたちに、相続でおカネをもらえるまでの10年間(120ヶ月)も立て替えられるだけの経済的余力があるものかどうか。下手したら、子どもの側だって高齢者の仲間入りをして、要介護になっちゃうかもしれないのですからね。

こういうことをきちんと理解できる親御さんであれば、少なくとも10年分のサポートフィーくらいは、老い先を託したい相手に前払いしておかなければなりません。そして、言うなれば、こうした考え方を国民に提唱してくれたのが、あの平成から令和への御代替わりだったのです。

遺言を書いて死ぬまで保管しておいて、いざその時が来て、誰がいくらもらえるのかが全相続人に周知される遺言相続という財産承継のやり方は、平均寿命と健康寿命の差が短かった時代の産物です。これを現在もしつこく勧めてくるのが銀行です。彼らは終活セミナーやテレホンセールスで『遺言信託(遺言を書いて銀行を信じて託す)』なるサービスを積極的に営業しています。

提携している司法書士が遺言書の作成をガイドしてくれて、できあがった遺言書を銀行が保管してくれて、いざその時が来たら、遺言書の内容どおりに相続を執行してくれるのですが、申込み時に約100万円の基本料金と、執行時に財産総額の数%が天引きされるといった料金体系になっています。仮に財産総額が1億円であれば500万円前後になりますから、完全なる富裕層ビジネスです。あと、遺言内容を変更する場合には、都度5万円が必要です。

で、ここが重要なのですが、他行の預金については多額の手数料(契約銀行の預金の10倍も!)が発生するため、結局はすべての預金を遺言信託サービスを申し込んだ銀行に移さざるを得ないしくみになっています。要は、銀行が預金高を増やすための商材なのです。ちなみに、銀行関係者で遺言信託を購入している人に、私は会ったことがありません…。

で、御代替わりならぬ、令和の代替わりに話を戻します。

これからは、長くなるかもしれない要介護の期間を想定して、あらかじめ必要コストを渡してしまう。なんなら、すべての財産を(ムダな贈与税が発生しないよう配慮しながら)引き継いでしまう。おカネを活かすためには、いつまでもおカネに執着しないで、子どもや孫たちに渡してしまったほうがベターです。だって、認知症になってしまったり、介護施設に入ってしまったりしたら、どっちみちもうおカネを使えなくなっちゃうわけですからね。

そうすることで、受け取った子どもや孫たちには、老親を支えようという覚悟が定まるし、なによりもいいのは、感謝や尊敬の気持ちをもって接してもらえることです。要は、好きになってもらえる…。ふつう、老いたら人は嫌われますから、思い描いたエンディングを実現しようと思ったら、おカネの力で子孫の愛を確保すべきなのです。

人は誰しも、ひとりでは死んでいけません。一方、親子の縁は死んでも切れません。となれば、親の『まさか』は子の『まさか』なのです。わが子に面倒や不利益を被らせないためにも、遺言などという時代錯誤の財産承継は見直して、元気なうちにこそ、『キミには苦労をかけるけれど、こういうように私の老い先を支えてほしい。そのための経費と、キミのために遺そうと思っていたおカネは今のうちから渡しておくよ』と、自身の言葉で直接伝えてあげることです。

私はこれを、『有言信託(自分の言葉で伝え、わが子を信じて託す)』と言っています。言葉を遺す遺言ではなく、肉体も精神もしっかりしているうちに直に言葉を伝えるのです。老い先のパートナーを担ってほしい相手を信じて託すのです。みずから望むエンディングを、その相手がちゃんと実現してくれるよう託すのです。おカネもセットにしてね。親子と言えどもギブ・アンド・テイク。これが親子双方にとってのハッピーエンディングだと、20年超もこの仕事に携わってきた私が行き着いた理想の終活です。

念のため法律的なことを添えておくと、具体的な手法としては、親子間で民事信託契約を結びます。巷では『家族信託』と言われたりもしていますが、信じて託す相手は、別に家族でなくても構いません。まぁ、8割方、子どもたちのうちの誰かになりますが…。

複数の子どもがいる場合は、人事評価さながらに、どの子を信じて託すかを吟味してください。決定した子どもが、親にとっての老い先パートナーです。財産管理に加え、医療や介護や祭祀関連の折衝役を担ってもらうことになります。親が最期を迎えたタイミングで、その子に託した財産の残金を、法定相続率どおり全相続人で分けるよう契約には記載しておきます。もちろん、相続人によって差をつけて分けるのでも構いません。

契約作成に当たっては、銀行やら弁護士やら司法書士を介在させる必要は一切ありません。司法書士事務所が盛んに営業をかけていますが…。民事信託契約に盛り込む基本事項さえ明確にしてメモ書きした上で、近くの公証人役場にアポを取って出向くだけでOKです。財産総額が1億円だったとしても4万円程度の手数料だけで事足ります。銀行の遺言信託と比べたら、二桁ちがいますからデカいですよ!

民事信託契約のことは、また別の機会に書いてみることにしますね。

いずれにしても、立つ鳥跡を濁さず、です。人間50歳を過ぎたら、明日の朝、今日と同じように元気に目覚める保証はありません。あとを引き継ぐことになるかけがえのないわが子や可愛い孫たちのためにも、往生際の美学について真剣に考える習慣をつけてください。ハッキリ言って、親としての人生さいごの大仕事です。

縁あってこの記事が目にとまったみなさんには、是非ともクールな老後をまっとうしてほしい! そう願い、信じています…。



この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?