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晩節を穢さない往生際の美学

人が老いて逝くのにはお金がかかります。寝たきりや認知症や脳梗塞...。こういったことで、自分のことを自分でできなくなったとしたら、その後のことは誰かに託すしかありません。そして、その誰かが身内であろうと他人であろうと、誰かに託すためにはお金の話は避けられません。

知ってか知らずか、このあたりのことに無頓着な人が多すぎます。人間50歳ともなれば、明日元気で目を覚ます保証などどこにもありません。若年性アルツハイマーにしろ、不慮の事故にしろ、明日は我が身です。その確率は、きっと宝くじに当たるよりも高いはずです。

こうした不幸が現実のものとなってしまったら、本人以上に大変なのが家族です。多くの場合は、こどものうちのだれかです。その意味で、天涯孤独の人にはまだ救いがあるかもしれません。

青天の霹靂で親の人生を背負い込むことになった場合、最大の問題はお金のことです。富裕層であればすべてのことは解決できますが、ふつうはそうはいきません。仕事や家庭だけでも大変なのに、親の面倒まで見なければならなくなって、しかも経済的負担まで強いられたとしたら...。

親子間の哀しい事件の背後にはこういう事情があるわけです。となれば、ビジネスと同様、プライベートでもリスクヘッジが不可欠です。でも実際には、日々の忙しさにかまけて先送りにしてしまいがちです。

で、いざ事が起きてしまって、地獄を見るのは親ではありません。わが子です。これだけ長生きの時代になったがゆえに、この地獄の期間が長引く傾向にあります。平均寿命と健康寿命の差は10年以上もあるのです。女性であれば12年。干支がひと回りしてしまいます。ちなみに、男性なら9年です。

いずれにせよ、天涯孤独の人を除けば、ケセラセラは禁句です。少なくとも、天に召されるまでに対峙する確率の高い諸々のコスト分くらいのお金は先に渡しておくのが筋でしょう。だって、そうなってしまったら渡すことができませんからね。

最悪、渡せるお金がないのであれば、その旨を早めに伝えておかねばなりません。それでも面倒をかけることになるからと頭を下げておくのが、親しき仲にも礼儀というものではないでしょうか。何の予告もなしに突然災いに見舞われる子の側は、あまりにも気の毒すぎると思います。


まさかは突然やってきます。まさかは必ずやってきます。親はひとりじゃ死んでけません。親子の縁は死んでも切れません。だから、親のまさかは子のまさかなのです。

まさかが起きてからエンディングまで10年間の標準コストは、だいたい3,000万円です。月額にすると25万円です。最低コストなら1,800万円。月額で15万円です。施設に入っても入らなくても一緒です。在宅介護だと、掃除・洗濯・買い物・食事等々の経費を家族が肩代わりするから見えづらいのですが、必要なコストは施設と同様に発生しているのです。当の本人がこの点を見落としていることがほとんどだから、「施設は高いから自宅でいい」などという無神経な発言になるのです。家族の労働力をタダだと勘違いしてるわけですね。

親は年金受給額を差し引いた金額を子に渡しておくべきです。いや、認知症リスクを考えれば、年金受給額は関係なく、「いざという時にはこれを使ってくれ」と、まとまった金額を託すべき相手に渡しておくべきなのです。

ある意味、老後支援を託すべき相手にその旨をきちんと伝えて、あわせて1,500万円を渡しておくことこそが、真の終活と言ってもいいでしょう。


四半世紀にもの間、多くの人たちの相談援助に携わっていると、親の側のだらしなさと不甲斐なさが目につきます。なにも後期高齢世代の親だけの話ではありません。40代とか50代とか、現役世代の親にしても同じようなものです。この年代の親と子は、一緒に老い先にそなえるべきです。

80代の親のことで面倒を被ることになる子よりも、50代の親のことで面倒を被ることになる子のほうがずっと大変です。ヤングケアラーとビジネスケアラーのダブルインパクトは災難としか言いようがありませんからね。

賢明な親は、親としての威厳と判断能力があるうちに、正しくそなえて、老い先を託すべき相手にいざという時の支援を依頼して、あわせてそれに係るコスト相当のおカネを先渡ししておく…。

まちがっても、作業だけを頼んでばかりで、おカネの話をスルーするような親になってはなりません。でないと、つぎの次の世界に旅立ってからも、こどもたちにネガティブな記憶と感情だけが残ってしまいかねません。

親たるもの、このあたりのことを理性的に合理的に考えることのできるうちに、きちんとそなえてほしいものです。晩節を穢すことなく、往生際の美学をまっとうするために…。


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