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モノは考えようの『おひとりさま』

毎年一定数、「おひとりさま」の相談があるものです。

・認知症になってしまったらどうしよう
・施設に入所するにも、身元保証してくれる人がいない
・自分が死んでも、葬儀を出してくれる人がいない

こういう悩みというのは、残念ながら後見や遺言といった法的手段では解決できません。介護や医療が必要になったときの対応がカバーされませんからね。

仮に、在宅で療養する『おひとりさま』の後見をするときには、地域包括支援センターや居宅介護支援事業所のケアマネジャーや訪問看護師の人たちと、いろいろな調整が必要にはなってきます。世間的にも、身元保証の問題は関心事のひとつになっています。

ですが、私の持論からすると、別に不利益を被らせる家族もいないわけですから、身元引受人のことでそんなに神経質にならなくてもいいと思うのです。先のことはケセラセラで…。現実問題として、なんとかなるものなのです。

でもまぁ、まずは建前的な『おひとりさま』への対応策からいきましょうかねぇ…。

78歳の女性Aさんには身寄りがありません。天涯孤独です。まだまだ元気ではありますが、マジメ人間の性(さが)か、テレビ番組で老い先への危機意識を喚起されて地域の権利擁護センター(自治体から委託されている社会福祉協議会)に相談に出向いた結果、社協に法人として任意後見人になってもらうことが決まりました。

これで、Aさんもひと安心。仮に何かがあったとしても、社協が地域の福祉団体等も巻き込みながら、財産管理、身上保護(介護サービス等の契約)、日常生活支援、死後事務を法的に保護し支えてくれることになりますからね。

それから数ヶ月後のある日、自転車で信号待ちしていたAさんがワゴン車と接触事故に。その時点ではまだボケていませんから任意後見は発効していない状況です。が、入院が必要となり、その後の介護サービスを受けるために介護認定を受ける必要も出てきました。任意後見発効前ですから、社協にはまだ何の権限もありません。社会福祉士である職員が任意後見の受任者だと言って、入院手続きや介護認定の手続きを済ませることができました。

これはあくまでも私の経験ですが、地域福祉の現場では、例え法律の世界ではダメなことであっても、運用レベルでは専門職たちが柔軟に動いてくれることが結構あるものです。仮に家族がいなくて、本人が意思疎通できなかったとしても、結構ふつうに入院手続きとかできちゃうわけですから、世の中まんざら捨てたものではありません。

ルール上、どうして病院や施設が身元保証を求めるのかといえば、「料金請求」・「緊急連絡先」・「死亡時の遺体引き取り」が宙ぶらりんになるリスクを回避したいというのが理由です。入院や入所を受け入れたとしても、本人が認知症だと支払いができないし、手術が必要等の緊急時に連絡先がないと困るし、死んでしまったら(患者が生きていないと)病院は何をしても売上計上できないので早く遺体を引き取って欲しいわけです。 だから、病院や施設は身元保証人を求めたいわけです。

医療や介護を利用する立場からすれば、雨後の筍のごとく単身高齢者が増えている昨今、「おひとりさまに身元保証人を求めるのは理不尽だ」となるわけですが、サービス提供者側からすれば、万一の時、行政に梯子を外された場合のリスクヘッジとしてやむを得ない側面もあるのです。事実、生活保護受給者の場合は別ですが、そうでない場合、自治体がサポートを拒むケースも散見されるのです…。

しかしながら現実問題としては、例えば私にしても、事実上、身元保証的なことをしていたりもするわけです。

入院(入所)および退院(退所)入院の手続きをしたり、入所中の人に代わって費用を支払ったり、日常の生活費を補充したり、行政への書類提出や、緊急時の連絡先を担ったり、緊急時の対応(医療同意)を求められたり…。

死亡後には、遺体の引き取りに葬儀社への引渡し、未払い費用の支払い、残った財産の相続人や受遺者への引渡し、ペットへの対応等々。

巷には身元保証をすると言って、少なくとも前金で200万円は振り込ませる団体がたくさんあります。ですが、おカネを振り込んだが最後、それっきりトンズラしてしまう悪徳業者もいるわけです。スキャンダルな世界なのです。

なので社会福祉士としては、提携弁護士や公証人役場と協働しながら、「任意後見または法定後見」と「遺言執行」と「死後事務」の法的な裏づけを用意することになります。 この3点セットさえあれば、身元保証人にならなくても、事実上、身元保証的な業務ができるわけです。利用者としては、財産総額に応じて然るべき費用はかかりますが、「無条件に200万円を振り込め!」というよりははるかにハードルが低いはずです。


さて、もうひとつ実際的な『おひとりさま』対応の事例を紹介しましょう。80歳の男性Bさんはアルツハイマー型認知症で、「最近見かけないね」と心配になった民生委員性が家をのぞき込んだところ、部屋で倒れているのが発見されました。救急車を呼んでくれて、救急隊が窓をたたき割って突入し、病院に救急搬送されました。

もちろん、Bさんには身元保証をしてくれる人がいません。でも、そうであっても病院は受け入れてくれました。人の生命に関わることですからね。入院費の支払い等の事務手続きは、病院のソーシャルワーカーと自治体の職員が協議して、首尾よく何とかなりました。

退院後は、自治体の健康福祉部からの要請を受けた社会福協議会の権利擁護センターが保佐人となるべく申立てをして現在に至っています。今後は介護施設に入所する方向で、スムーズに事が進むように段取りしてくれています。

つまり、何が言いたいかというと、『おひとりさま』ではあっても、どうにかなっている…わけです。

人間は誰しも、いつかは老いて病気や認知症になるものです。身の回りのことも、ひとりではできなくなります。そうなると、その状態を誰か周囲の人が気づく必要があります。Bさんのように、ひとり暮らしの家の中で倒れてしまう場合だってあるわけですからね。

となると、必要なのは、ご近所や地域とのつながりです。時間をかけてネットワークを構築していくしかありません。それがむずかしいのであれば、建前としては、前述の3点セットに加えて「見守り契約」をつける必要があることになります。そうすると、4点セットになりますか…。

でもやっぱりケセラセラでどうにかなっちゃう…というのが、じっさいのところです。最悪、人知れず死んでしまったとしても、あとのことは「なんとでもなれ!」でもいいのかもしれません。家族がいたらそうはいきませんが、ケセラセラでいけちゃうところが『おひとりさま』の強みだと、私はかなり以前から、本気でそう思っています…。

Aさんほどではなくても、「いや、とはいっても…」というマジメな『おひとりさま』に対しては、こうおすすめしています。

いよいよヤバイと思ったら、這ってでも病院まで行って倒れるようにしてください。あとは病院と自治体と警察が首尾よくやってくれますから。

その意味で、日本はいい国なのかもしれません。街なかに行き倒れた人の死体が放置されていて、それを犬や鳥が貪っている国だってあるわけですからね…。


さぁ~っ!
今夜から、いよいよ日シリだ~ッ!
頑張れ阪神タイガース~っ!

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