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年明けから携わっていた案件が、昨夜で終結しました。が、私としては、残念な想いが払拭できていません。相談者ご夫妻が被った不利益に対して、妥協させる結果になったからです。このケースでは、母親に、「どうしてちゃんとそなえておかなかったんですか~」と物申したい。それが本音です…。

今回は、そんな相談事例をご紹介します。

かれこれ10年前、当時83歳の母親が要介護1の認定を受けました。父親はすでに亡くなっています。兄(同、55歳)と妹(同、50歳)。二人のお子さんがいます。長男はIT系企業の管理職で、母親が独居する豊島区の実家に程近いマンションで家族と暮らしていました。一方の長女は独身で、八王子の病院に勤務する看護師でした。現在、兄は子会社で嘱託社員、妹は非常勤で看護師を続けています。

相談に来られた長男夫妻の話では、昨年の暮れに母親が亡くなり、遺産分割協議の真最中でした。複数の銀行口座の預金残高は約1,000万円。実家の固定資産税評価額は約2,500万円。遺品整理をした限りでは、財産と呼べるようなものはこれだけです。念のため、生命保険協会で契約がないか調べてみました(生命保険紹介制度)が、ありませんでした。

さて、肝心なのはここからです。母親はエンディング前の10年を要介護状態で過ごしたわけですが、当初3年間は在宅介護で、長男の妻が身の回りの世話をしていました。一日おきに様子を見に行っていましたが、じきに歩行困難になってからは毎日になりました。週末になると夫妻で実家で過ごすことも増えたそうです。そして、認知症の症状が進み、昼夜逆転が激しくなってからの7年間は介護付き有料老人ホームで生活し、そこで最期を迎えたわけです。

母親は長男に対して、預金口座の情報を伝えていませんでした。実家での療養期間中に何度も話したそうですが、おカネの話を持ちだすと途端に機嫌が悪くなるため、とりあえず長男が負担していたのです。持ち家なので家賃はかかりませんが、母親の口座から自動で引き落とされる水道光熱費と電話代を除いて、介護と医療、配食と家事代行、買い物等の費用はすべて長男が立て替えたことになります。

在宅介護期間中は、介護と医療で平均2万円、配食が約4万円(一日3食)、家事代行が約5万円(週1日、一回2時間)。他に、買い物代・交通費・雑費で約5万円。これが毎月のコストです。3年間ですから、ざっと600万円になります。施設に入ってからは、毎月25万円が84ヶ月(7年間)で2,100万円です。つまり長男夫妻は、本来は母親自身が支払うべき2,700万円を、自宅マンションのローンやお子さんたちの学費等の工面で大変なのにもかかわらず、上乗せされて支払うしかなかった…ということになります。

さて、いざ母親が亡くなってみると遺産総額が3,500万円ですから、できれば相応の金額を生前の立替分として受け取りたいと思うのが普通の感覚ではないでしょうか。ところが、です。兄からそう告げられた妹は「一旦、持ち帰って考える」と言って別れて一週間後、こう言ってきたそうです。

「兄貴の言うとおりにしたら、3,500-2,700で、あたしは800だけってことでしょ。ホントなら折半で1,750ずつなのに。ちょっとおかしくない?納得しづらいんだけど…」

長男はちょっとイラっとして、こう返したといいます。

「ええっ!それは違うっしょ。介護に係った2,700はコストじゃない?それを全部オレが立て替えてるわけだから、残りの800万を半々で400ずつ。それが筋っちゅうもんだろ」

「待ってよ、たったの400?いくらなんでも、それはおかしいって」と妹。

「おかしくないでしょ。2,700万は、母さんが自分で払ってりゃ、そもそも無かったんだから。遺産は800万円しかなかったと考えるのが当たり前じゃないかッ」と兄。

こうなるともう、残念ながら争族の勃発です。元気なうちにきちんとそなえておかなかった母親の怠慢だと、言ってみたところで後の祭りです。ふつうの流れでいけば、長男が2,700万円分の領収書を保管してあったとしても、妹は過去に遡ってさまざまな主張をしてくることが予想されます。

例えば、マンション購入時に親から支援があったのではないかとか、結婚披露宴とか、孫ふたりの出産・育児とか、教育資金とか…。さらには、長男の学生時代の学費や生活費に至るまで、考えうる限りのネタを総動員してきます。当然、銀行に対して、過去の入出金履歴も請求するはずです。ちなみに、入出金情報の保存義務期間は10年です。

とにもかくにも、おカネの話がこじれると、どうしても修羅場になります。親が良かれと思って、贈与税非課税特例制度なんぞを利用していたら、銀行や登記所に記録が残ってしまいます。妹から四の五の言われないようにするには、母親が遺言をしたためて、そこに『持ち戻しを免除する』と明記しておかねばなりません。でないと、争族になった場合、過去に親から受けた贈与金額も現存するものとして、遺産分割の計算に取り込まれてしまいます。

このケースでは、当然のことながら、遺言などありませんし、介護期間中の領収書といっても、買い物や交通費まで領収書を保管している人はなかなかいないものです。案の定、長男が証明できるのは、施設の支払い分と、配食・家事代行サービスの一部のみで、ざっと2,200万円といったところでした。

妹とは感情的になってしまい話にならないということで相談に来られた長男でしたが、私からは次のように伝えました。

・肩代わりした介護費については、領収書のある2,200万円については回収できるはず。
・母親の実家は、おそらく3,500万円程度の売値がつくはず。
・妹が弁護士をつけてきたら、長男も弁護士をつけざるを得ない。その場合は、私どもの顧問弁護士を紹介する。
・長男の話から、妹が過去の母親から長男への贈与を証明できないことを前提とすると、まずは立替総額2,700万円を主張するが、妥協点は『預金1,000万円+不動産2,500万円=3,500万円』から立替金2,200万円を差し引いた1,300万円を折半して650万円ずつ。こうなる公算が大である。

翌日、長男から電話がありました。

「妻ともよく話したのですが…。両親は孫(相談者の娘と息子)がうまれてからいろいろしてくれましたし、私の結婚の時も、大学と修士課程の時も世話になってます。妹は結婚してないですし、短大と看護学校ですから、私のほうがおカネがかかったと思います。なので、最初に妹が言っていたように、800万円で話がつけばいいのかなと…。最悪、1,000万円までなら妹にやってもいいというのが私の結論です」

私は、「いろいろなケースを見てきましたが、かなり太っ腹ですね。であれば、妹さんと首尾よく交渉できると思います。もちろん、基本線は650万円でいきますが」と伝えました。

こうした経緯で、妹に話をしに八王子まで行ってきました。相談者である兄から預かった領収書等を持って。妹は弁護士をつけるようなこともなかったし、話してみても良識的な女性でした。独身で、現役の看護師でもありますから、経済的にもゆとりがありそうです。パッと見て、そんな印象を受けました。

遺産分割の話はあっさりと終わりました。兄夫妻に母親の介護を押しつけてしまったことを申し訳ないと感じていること、母親が入所していた施設や、在宅で利用していた配食と家事代行の価格をネットで調べてみたこと、物心ついてからの兄とのやり取りや、中学までずっと宿題を手伝ってもらっていたこと…等々。改めていろいろなことを考えてみれば、兄の言い分ももっともだと理解できるとも。そして最終的には、配分は兄に一任すると言ってくれたのでした。

率直に、いい兄妹関係だな~と思いました。2時間ほど話したのですが、90分はお互いの仕事のことばかりでした。彼女はずっと医療現場ですし、私も病医院との関係は長いので、主に、看護師と医師との関係性、高齢者の終末期医療やエンディングといった話で思いがけず盛り上がってしまったわけです。

帰路で考えたのは、このケースでいちばん大変だったのは、長男の妻にちがいないということです。たまたま兄も妹も安定した職に就いていて、関係も悪くはなかったし、人間的にもまっとうな人だった。だから本格的な(法廷レベルの)争族には至らずに済んだ…。そういうことだと思うのです。

そして、相談を受けるほとんどのケースが、そうではない状況の人たちが(残念ながら)多いということです。子どもが二人以上いるのであれば、親は元気なうちにそなえること。あわせて、介護や医療の面でサポートを頼む子どもに対しては、想定されるコスト相当のおカネは事前に渡しておかないと、わが子に多大な負担をかけてしまうこと。このあたりのことをキチンと認識しておいて、かつ実践しておかないとダメだと思います。

日本人の平均寿命と健康寿命の差は、ざっと10年です。認知症を発症してからエンディングまでの平均は8年です。これほどの長きに渡って、諸々のコストを子どもが立て替えるというのは酷です。子を持つ親御さんたちには、どうしても、このことだけは肝に銘じてほしいところです。


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