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生成AIにスイカとメロンの味の違いは分からないというお話?

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書籍「オーデュボンの祈り」(伊坂幸太郎)

作者の小説を原作とする映画はいくつか観ているが、小説を読んだのは初めて。

二つの話がパラレルに進むところや、よくわからないヘンなものがでてくるのは、村上春樹の作品と似ている。やはりネット上でも、そういう指摘がいくつか見受けられる。

おそらく熱烈な村上ファン(ハルキスト?)なのだろう。どうせ真似するのならもっと質を高めろ! などと書いている輩もいた(なんと傲慢な……)。たとえ村上の影響を受けているとしても、作者は真似しようなどと思っていないはずだ。

閑話休題、ここで書きたいのは、この小説に出てくるよくわからないヘンなもの──しゃべれるカカシ──の優午についてのことだ。優午はしゃべれるどころか、なんでも知っていて、将来起こることすらも見通すことができる。ちょうど最近流行りの生成AIがさらに進化したものように思える。

優午は言う。

「私はそれを知っています。でも同時にそれが何かわからないのです」

主人公はそれを聞いて、たとえば優午は果物の形や色、原産地を知っていても、その味は把握できないのだと解釈する。

なるほど、その通りだ。今後、生成AIがどんなに進化したところで、彼らにスイカとメロンの味の違いはわからないのだ。なんらかの指標で数値化して比較することは出来ても、スイカとメロンの味の違いを、感じることは出来ない。人間なら、誰だってそれができるのに。

物語は最後に、その島に欠けていたもの──「音楽」がもたらされる。しかし、優午はそれを待たずして自死する。それも当然の帰結のように思える。なぜなら、優午には音楽で感動することも出来ないのだから。

この本の初版は2000年12月とある。まだその頃は生成AIなど想像のしようもなかった時代だ。さしものハルキストも作者の先見性は認めても良いのではないかな。

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