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デザインとは課題の本質を解決する行為

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書籍「コミュニティデザイン」(山崎亮)

当館のある浜松にドーム型多目的スタジアムを建設する動きがあると聞く。北海道の北広島市に開業した新球場「エスコンフィールドHOKKAIDO」(北海道日本ハムファイターズの本拠地)の成功もあって今や日本全国津々浦々、スタジアム計画流行りである。

だが、平日の仕事で首都圏のそれに関わっている──そして首都圏ですら、その運営が難しいと知っている──私としては、それらの多くは実現すれば将来、死屍累々と横たわることになると予想する。ましてや公共交通の便が悪い浜松市での建設には大きな疑問符が付く。

もちろん、カネさえ工面できればどこであろうと建設することは可能だ。また、最初の数年間は開業景気に浴することだってできるだろう。だが問題はその後なのである。どうしたら、その後も順回転を続けられるのか。その「仕組み」を建設する前から考えておく必要がある。

本書で著者が盛んに言っているのもその辺りである。各章のタイトルが「つくらないデザイン」だとか、「つくるのをやめると人が見えてきた」とあるので誤解しやすいが、造らないのではない。著者が実践しているのは、モノを造る前に造った後の使われ方や使われ続ける仕組みを考え、そこから造るモノのデザインを決めるということである。

ここで言うデザインとは、表層的な飾り立てではもちろんない。「課題の本質を解決する行為」だと著者は言う。至言だと思う。

ことほど左様に、本書は「まちづくり」を考えるうえで示唆に富んでいる。だが幾つか気になったことあるので、備忘録的に書き留めたい。

一つは、本書で紹介された事例はどこも素晴らしい取り組みだと思うが、今現在はどうなっているのか、ということだ。たしかにそれぞれ良い仕組みを考え、それをデザインに反映して各々が順調に走り出したようではある。だが、その後はどうなったのか? 最初の数年間だけならば、単なる開業景気と変わらない。

それともう一つ──、これらは本当に「まちづくり」になっているのか、ということである。批判を恐れずに言えば、狭いコミュニティの中の一部のサークル活動に過ぎないのではないかとも思えるのだ。街の中で「点」にとどまっているように見える。

もちろん、だとしても造りっぱなしよりはよっぽど良いには違いない。だが、巷で行われている「まちづくり」も、その辺に限界があるように思えてならない。一部の人たちが盛り上がっているだけで、一般の市民住民がその盛り上がりを共感し、共有できていない。

やはり「まちづくり」を標榜する以上、点を線につなげ、面に広げたい。その結果、街の経済活動が目に見えて活発になったとき、市民住民は共感・共有し、さらには共創できるのだと思う。

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