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大人になった時、いつのまにか無くしていたもの

20歳になって七ヶ月。漸く私にも、20歳であるという実感が湧いた。
お酒との付き合い方を学んだ日、筋肉痛が1日空いてきた日、素直になれなかった日、遠慮して口を噤んだ日。
その全ては愛おしい思い出であり、私を20歳にしてくれる、囁かなきっかけだった。

3歳、習い事が嫌で泣いた記憶がある。
小学校の給食に七夕ゼリーが出た時の高揚感は忘れない。
中学生の時、グランドを走りながら気になる男の子を目で追った記憶がある。
高校生、彼氏と帰りながらラブホの話をした記憶がある。

その瞬間、その出来事は、自分がこの先10年以上残り続ける記憶だなんて思っちゃいない。何が長く残る記憶で、何が明日には消える記憶かなんて、誰にも分からない。

だから私達は、日記をつけたり、書き殴ったり、くよくよしたりすることで、自分で記憶を管理したがる。

でもやっぱり、私たちは大人になると、

記憶を落とす。

どっかに忘れてきてしまう。それは探して見つかることもあるけれど、大概落としたことにすら気付いていない。

私は中高の記憶が、人より少ない。ストレスは確かに多かったけど、幸せなことも沢山あった。中学と言われて思い出すのは喧嘩した思い出でも、先生にブチ切れられてしょげた思い出でもなく、
『暑い日の午前中、部活のアップをしながら、その後に控える彼氏とのデートを妄想していたあの時間』だった。

笑える

あーんなに女子に悪口言われて落ち込んだり、彼氏に振られて落ち込んだり、部活サボって顧問に呼び出されたりしたのに。

その時は死にたくなるほど落ち込んだ記憶。

これ一生忘れない、私の傷。明日の学校どうしよう。行けない。みんなの目が怖い。先生と合わせる顔がない。
とか、思ってたのに。

都合の良い頭だなあと、最近つくづく思う。

だから私はこれからの私にこう言いたい

【全部大事にして欲しい】と。

今キラキラして見えることも、いつかは霞んで見える。今当たり前に思ってることも、これから先続くとは言い切れない。だから私には、これからの一瞬一秒を、大切に過ごして欲しい。

そして、できるだけ忘れ物はして欲しくない。

記憶とは零れ落ちるものだと思っている。
記憶のコップは毎日蛇口から溢れ出る新しい記憶を受け止める。でもこのコップには小さな傷や穴が無数に空いていて、気付かないうちに沢山零している。
だから私はコップの下に敷くお皿として、このNOTEをつくった。



忘れたくない

私の愛おしい記憶の断片


これからの私をつくる、今の私を

これからも大切にしていきたい。

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