見出し画像

ソルビョルンの娘グズリーズの旅

11世紀前半を生きたグズリーズは、アイスランド西部ラウガルブレッカに住んでいた裕福な農民ソルビョルンの娘でした。
グズリーズはおそらく、当時もっとも長い距離を旅した女性であったと考えられます。
彼女については、1300年代に書かれたアイスランドのサガ『赤毛のエイリークのサガ』、『グリーンランド人のサガ』に詳しい記述があります。

幸村誠氏の人気漫画『ヴィンランド・サガ』の主人公トルフィンの妻グズリーズは、彼女がモデルになっていると思われます。
幸村先生が描かれる、明るくて魅力的なグズリーズをつい思い浮かべてしまうのですが、ここではサガに登場するグズリーズについて書いてみます。


ソルビョルンの娘グズリーズは美しく成長し、あらゆる作法において女性たちの中で最も気品があったと言われています。
また、11世紀初頭のアイスランド、グリーンランドはキリスト教への改宗が盛んになり始めた時期で、グズリーズもキリスト教徒になっていたようです。
若く美しいグズリーズには数多くの求婚者がいましたが、彼女はノルウェー人の首領ソーリルを結婚相手に選びました。
ノルウェーで結婚したソーリルとグズリーズはノルウェーからグリーンランドに向かいましたが、船が岩礁に乗り上げ、困っているところを〈赤毛〉のエイリークの息子レイヴに助けられます。レイヴは岩礁から15人を救い出したそうです。
しかしその冬、ソーリルの一行は疫病に見舞われ、ソーリルと部下の多くが命を落としました。同じ冬に〈赤毛〉のエイリークも亡くなっています。
寡婦になったグズリーズは、レイヴの兄弟ソルステインと再婚。エイリークスフィヨルドに住居を構えました。

レイヴは別の弟ソルヴァルドと共に30人の男たちを連れて大海に乗り出し、西の果てにヴィンランド(現在のカナダ、ニューファンドランド島。ランス・オ・メドーに北欧人の居住地跡がある)を発見、そこで冬を過ごしました。
次の夏、船で東に向かったソルヴァルドと彼の仲間はある岬に上陸し、そこに農場をつくる計画を立てましたが、スクレーリングと彼らが呼んだ先住民と争いになり、脇の下に負傷したソルヴァルドは亡くなりました。

グズリーズの夫ソルステインは、兄弟のソルヴァルドの亡骸を求めにヴィンランドへ行きたいと考え、船を装備して25人の男たちと妻のグズリーズを伴って出帆しました。しかし、彼らは行き先を見失い、夏の間ずっと海上をさまよった挙句、グリーンランド西部のリョースフィヨルドに辿り着きました。
仲間たちに宿を見つけてやった後、リョースフィヨルドの首領〈黒〉のソルステインの家にソルステインとグズリーズは滞在させてもらうことになりましたが、ここでも疫病が猛威を振るい、ソルステインは亡くなってしまいます。
夫を喪い、悲しみに暮れるグズリーズに〈黒〉のソルステインは優しい言葉をかけてやり、夫と仲間の遺体を持って彼女とともにエイリークスフィヨルドまで行くことを約束してくれました。
彼女が礼を述べた時、死んだ夫ソルステインが身を起こし、グズリーズに告げたのです。
これから彼女の身に起こること――アイスランド人と再婚し、子宝に恵まれ、たくさん旅をするであろう、と。

再び寡婦となったグズリーズは、亡き夫ソルステインの兄であるレイヴのもとに身を寄せます。そこで彼女は、ノルウェーから船でグリーンランドにやって来たアイスランド人のトルフィン・カルルセヴニと出会いました。
トルフィンは彼女に求婚し、グズリーズはレイヴの勧めもあって彼と婚約、冬に二人は結婚しました。

『グリーンランド人のサガ』によれば、トルフィンとグズリーズは60人の男と5人の女を伴い、ヴィンランドへの旅を計画。彼らは定住を考えていたので、あらゆる種類の家畜を連れて行きました。
ソルヴァルドの時とは異なり、トルフィンたちは先住民スクレーリングと交易を行ないました。
先住民たちは家畜の乳を欲しがったので、トルフィンは彼らの持つ革製品と交換したのです。ただ、武器を売ることだけは仲間に禁止しました。

トルフィンとグズリーズの間に息子スノッリが生まれ、ヴィンランドでの生活も安定してきたと思われた頃、事件が起こりました。
先住民の男が武器を盗もうとして、トルフィンの部下に殺されたのです。
結局、双方は戦闘状態になり、翌春トルフィンの一行はグリーンランドに帰りました。
その後、トルフィンとグズリーズは冬をノルウェーで過ごし、春になると故郷アイスランドに戻り、グラウムベーヤルランドに土地を買って家を建てました。トルフィンは名士になり、グズリーズとの間には沢山の立派な子孫が生まれたそうです。

トルフィンが亡くなった後、グズリーズはヴィンランドで生まれた長男スノッリとともに所帯を切り盛りしました。
スノッリが妻を娶った後は、ローマに巡礼の旅に出て、無事にアイスランドに帰国。スノッリはグラウムベールに教会を建て、グズリーズは修道女となって残りの生涯をそこで暮らしました。彼女が亡くなったのは、1050年頃とされています。


Jesse L. Byock, VIKING LANGUAGE 1 (JWP) に、グズリーズの旅の軌跡が掲載されているので、紹介します。

Jesse L. Byock, VIKING LANGUAGE 1, Jules William Press


中世前期、これほどの距離を移動した女性は他にいないのではないでしょうか。
グズリーズの場合は、自分自身が冒険したかったわけではなく、夫の計画に賛成して行動を共にしたのだと推測されますが、最後のローマへの巡礼は彼女自身が望んだ旅であったと思います。


注)スクレーリング(Skrælingar, Skrælingjar)はヴィンランドの先住民を指す古ノルド語で、『サガ選集』(東海大学出版会)収録の熊野聰「用語解説」によると原義は「矮小なもの」、「弱いもの」と思われるとのことです。


【追記】
『赤毛のエイリークのサガ』、『グリーンランド人のサガ』には、ほかにも興味深い女性が登場します。
〈赤毛〉のエイリークの娘でレイヴの異母妹フレイディースです。
彼女については、上記2つのサガで記述が異なるので、いずれが実際の彼女に近いのか、それともどちらも彼女の一面であるのか、計りかねますが、サガは2作品とも翻訳が出ているので、読み較べてみるのも面白いと思います。

ちなみにフレイディースは海外ドラマ『Vikings: Valhalla』にも出ています。ドラマは主要登場人物が生きた時代にズレがある為、オリジナル作品として観るのがよさそうです。


【参考文献】
日本アイスランド学会編訳『サガ選集』東海大学出版会、1991年。
菅原邦城 早野勝巳 清水育男 訳『アイスランドのサガ 中篇集』東海大学出版会、2001年。
Jesse L. Byock, VIKING LANGUAGE 1, Jules William Press, 2017.

この記事が参加している募集

世界史がすき

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?