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教育の本当の目的って?

教育は変革の時を迎えており、大規模な教育改革が今後起こる可能性があります。というか起こらざるを得ない。

この様な過渡期には、物事の自然な反応として、例えば不登校、登校拒否、登校しぶりなどの問題がこれまで以上に顕在化していきます。既に明らかになっていますがこれは全国各地で広く見受けられ、多くの子どもたちが「もう学校に行きたくない」「学校しんどい」と感じているのが実情です。

この現象、“行かないこと““行き渋ること“には一定の意味があります。教育機会確保法が制定されてもまだまだ一般的な考え方は「頑張って学校に行こう」「我慢して行こう」「義務教育だから行こう」などがありますが、これに従うことで教育システムの問題が放置され、子どもたちの本来のポテンシャルが引き出されきれないままになる可能性があり、実際ポテンシャルが潰される事もあります。学校に携わる大人たちも疲弊しているし、自分たちが積み上げてきた世界を否定されたくない、と問題を子どもたち側の課題に転化しているのが実態です。

こうした状況が変わるためには、選択としての「行かない」ことが、教育改革の加速をもたらすキッカケになるのです。それぞれの背景には異なる理由があると思っておられるかもしれませんが、根本にあるのは教育システムの行き詰まり、子どもたちの本来のポテンシャル、能力が引き出されない、そしてウェルビーング(その人にとっての幸福な状態)が保たれない、という問題です。行かないという選択は、その心の訴えとして表れています。それは教育改革を加速させる一環となっていて、これまでの古い価値観の中で慣れ親しんできた親御さんにとっては難しい選択かもしれませんが、このお役目を背負った子どもたちが大きな分野で教育改革に寄与しているのだという視座を充分に考慮すべきです。

そして、学校は自分を押し殺してまで行く所ではない、(仕事もそうです)その時間を“自分の好きなことに打ち込んでみる機会を増やすこと“、そして子どもにとって心の栄養とは“あそぶこと“時には1人で、時には友だちと。これはとても重要です。そのためには、心から情熱を持ち、飽きずに続けられる活動を見つけることが必要です。もし見つからない場合は、それは社会的な(周りの大人たちによる)外圧によって子どもたちが疲弊している可能性があります。

そうした見方で見守ること。そして子どもたちが成長する場を大人たちは提供していかなければならないのです。なので子どもたちを責めるのはお門違い。

何が問題で何が必要なのか。子どもたちを取り巻く社会的な課題と子どもたちそのものへの理解とサポートを通して、彼らが自分の道を見つけ、情熱を追求できるように導いていくことが大切なのではないでしょうか。

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