はじめに・僕たちのミッション
Journalism ジャーナリズムの
+ Vanguard 最前線
= Janguard.
これは、世界のジャーナリズムの最新技術を、日本語で紹介するブログ。
僕らが生まれる少し前、20世紀の終わりごろ、世界はインターネットとの取り返しのつかない出会いを果たした。
この「情報革命」といわれた一連の技術革新に乗っかり、有形無形の規格・サービス・事業者が社会の色々な側面をつなぎ合わせて、あるものは淘汰されたり、あるものは寡占状態を形成したりしてきたわけだが、中でもそれが大きな変化をもたらした分野があった。
ジャーナリズムである。
人類史上、比較的新しい営みであるジャーナリズム、即ち広義には〈職業的組織的にニュースを伝える行為〉、狭義には〈事実追求や権力監視といった役割を民主主義社会において担わんとする価値体系〉は、かつてない規模のパラダイムシフトを迎えた。
伝統的に、紙や電波といった媒体を通じてジャーナリズム、もとい大衆社会の情報伝達全般を握ってきたマスメディアは、インターネットの普及とともにそのかつての強大な力を個人や新たな事業者に受け渡してきた。もはや、新聞や雑誌やラジオやテレビを通さずとも、ニュースがニュースとして流通する時代になった。
代わって台頭したのが、情報の受け取り手を大衆から個に解体したWeb上のプラットフォーム群、ソーシャルメディアである。だがその依然中央集権的な制度設計は、大量で詳細な個々人のデータを握る超巨大企業の誕生を許した。心理学的にも、広告収入においても、かつてないほど最適化されたメディア環境であるが、それが人類を最適な社会から遠ざけてしまったようにも見える。
確かに、これまでのテクノロジーの進歩により出来上がった情報インフラストラクチャは、情報へのアクセス性を飛躍的に高めた。しかしそれは一方で、いわゆる「フェイクニュース」つまり偽情報・誤情報の流布を簡単にさせ、国々の、そして人々の政治や経済や社会をなにか変な方向に動かしているらしい。
このことと、伝統的マスメディアの経済的没落を繋げて、狭義のジャーナリズム、つまり「事実を追い求める」「権力を監視する」というジャーナリスティックな価値観は、滅びつつあると考える向きもある。
果たしてジャーナリズムの古き良き価値は、ただマスメディアの過去の栄光となり、衰退していくだけになってしまったのだろうか?
いや、僕らはそうは思わない。
むしろ、ジャーナリズムの黄金期は未だ訪れていないのかもしれない。そう信じて、今日の危機に立ち向かう人たちが世界中にいる。
それはジャーナリストだけでなく、経営者、技術者、研究者、政治家、そして学生や市民が、それぞれの立場から共に「事実を大切にできる情報化社会の形成」を目指す壮大な挑戦である。
中でも僕らは、ともすると悪者のように語られがちなテクノロジーの進歩がむしろ、必ずしも伝統的でない方法によってジャーナリズムの経済的持続性を高め、社会全体としては「事実を大切にできる(facts matter)」情報インフラの整備に貢献すると信じている。
僕らはアメリカで、ジャーナリズムの伝統とその創造的破壊にかけてはおそらく世界で群を抜くその国で、学んでいく。そこで接した最先端のジャーナリズムに関する技術や話題を日本語で紹介し、共に歩んでいきたいという思いから、今日こうして旗揚げの日を迎えることになった。
日本のジャーナリズムが、情報化がより良く前進する事を願い、ここにブログ「Janguard」を開設する。
2018年6月15日
小宮貫太郎・段エディ
※この記事は、2018年6月にはてなブログに投稿したエントリーの再投稿です。