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デンマークとスウェーデンの地方創生:第四章・イェムトランド県

概要

イェムトランド県は「人口希薄地域」と呼ばれる都市から離れた中山間地域が多くを占める地域である。イェムトランドは1950年代以降、ストックホルムを中心とした南部の地域に人口が流出し、社会サービスの維持が難しくなった。そこで地域の市民が結成した協同組合を中心に、地域課題の解決を目指す取り組みが活発となり、「イェムトランドモデル」として国内外から注目を集める事例が創出された。

この記事では、「デンマークとスウェーデンの地方創生」の第四章を閲覧いただける。
第四章では、イェムトランド県の事例について記述している。

4-1. イェムトランドの概況

 スウェーデンの北西部の内陸に位置するイェムトランド県は、「人口希薄地域」と呼ばれる、日本の過疎地域と似た地域が占める割合が29.5%存在する。人口希薄地域とは人口が3000人以上のコミュニティを「都市地域」と定義し、その「都市地域」へアクセスするのに車で45分以上かかる地域を指しており、人口の集積地から離れた地域を意味している。スウェーデン全体で人口希薄地域に住む人の割合は2.1%であることを考えると、イェムトランドは人口希薄地域の占める割合が高いことが分かる。実際にスウェーデン全体で人口希薄地域に住む人のうち、5人に1人はイェムトランド県の人口希薄地域に在住している。またイェムトランド県は都市地域へのアクセスに5~45分かかる「近郊農村地域」の割合を合わせると、その割合は55%を超え、都市地域以外に住む人の割合も、スウェーデンの中でも高い自治体になっている。
 イェムトランド県の面積は約4万9000km2である。日本の地方と比べれば、中国地方と四国を足した面積が約5万1000km2であるため、非常に大きな県土を有していることが分かる。一方で人口は約13.2万で、人口密度は2021年時点で約2.7人/km2である。2022年時点のスウェーデンの人口密度が約26人/km2であり、世界でも人口密度が低い国であるスウェーデンの中でも、全国平均の10分の1しか人口密度がない地域である。またイェムトランド県の県土の内、約半分が森林に覆われているが農用地は県土の1%ほどである。県内GDPは最も大きいストックホルムの約8分の1(12%)であり、スウェーデンの自治体の中では最も小さい経済規模である。

イェムトランド県(赤枠)の位置
出典:Google maps

 以下では、日本の過疎地域と似たような地域で、どのような地域課題の解決が図られていったのかについて見ていく。

4-2. イェムトランドの歴史

 イェムトランド県は1950年代から人口減少が著しく進んだ。1950年代からヨーロッパ全体が経済成長を進める中でスウェーデンも経済成長を達成した。その中で夏場に畜産や酪農を営み、冬に林業に従事するという第一次産業が中心だったスウェーデン北部から、工業の中心であったストックホルムを中心とした南部に人口が流出していった。イェムトランドは1955年から1970年の15年間で人口が約1.9万人減少し、1955年の人口から約13.3%の人口が減少することになった。特に畜産業者の数は1965年から1970年にかけて半減し、林業従事者も1960年から1995年までに3分の1以下に減少している。スウェーデン議会はこれらの北部地域の住民が社会民主党の支持基盤だったこともあり、都市部と過疎地域の格差を是正するための政策を打ち出していった。具体的には第二章で説明した通り、都市部に立地する製造業の工場を、北部を中心とした過疎地域に移転することを促す政策が行われた。イェムトランド県の人口は1970年をピークに下げ止まったものの、工場の誘致に失敗したり、人口減少によって税収が減少し、医療や教育などの基本的な行政サービスの維持が困難になったりするという問題が起こっていた。またこの時期にはスウェーデン政府の政策によって地方自治体の合併が進み、議会の再編成が進んだことで住民と地元の政治家の距離が遠くなった。このような状況が進んだことで、イェムトランド県の地域住民の中には生活に対する不安が広がっていた。

イェムトランド県の人口の推移(1945年~1990年)
出典:Statistics Swedenより筆者作成

4-3. 「イェムトランドモデル」の誕生

 そのような社会不安が広がる中、1980年代に地域の市民が立ち上がり、協同組合を結成して地域課題の解決を図るという動きが現れた。そして、その運動は1990年代に「イェムトランドモデル」と呼ばれる独自の地方創生の事例として結実し、注目を集めるようになる。
 イェムトランドでは、まず1983年に協同組合として共同保育所が結成された。この背景には第一次産業が中心のイェムトランドでは女性の雇用先が少なく、家父長制的な保守的な文化も都市に比べて残っており、女性は地域社会の中で孤立しがちであるという社会問題が存在していたため、女性の社会進出のために、女性が働いている間に子どもを預ける場所を確保する必要があったことがあげられる。
 この保育所を皮切りに、高齢者向けの介護施設や地域に雇用を作ることを目的とした伝統工芸や農水産業の加工業を営む協同組合が結成されていった。
 これらの協同組合は「新しい協同組合」という性格を有するものであった。「新しい協同組合」とは、1970年代を中心に拡大した大規模化した協同組合とは異なり、地域の市民が地域課題の解決を目指して結成する小規模な協同組合である(Pestoff, 1991)。このような新しい協同組合の結成には旧来からのイェムトランドでのボランティア活動の歴史や地域の知識人によるサポートがあった。
 歴史的な背景としては、元々集落の自治会として存在していたピアラーグという団体や1830年代から社会改善運動の一環として始まった禁酒運動を進める禁酒団体が存在していた。これらの活動を母体として、イェムトランドではコモンズの管理やボランティア活動、文化活動やスポーツを行う団体が地域で活動を行っていった。その団体を基盤として、1980年代以降のイェムトランドモデルの取り組みに繋がっていった。
 知識人によるサポートについては、スウェーデン中央大学の教授が地域課題の解決を目指す小規模な協同組合を設立することを理論面・実践面でサポートし、勉強会や研修を開いたことでイェムトランドに広がっていくことになった。
 この初期の活動の中で、よく参照されていた「必須の三角形」と呼ばれる理論がある。この理論は、1. 地域資源の動員(Local Mobilization)、2. 公的サポート(Public Backing)、3. 外的刺激(External Stimulation)の3つの要因が地域再生を目指す運動において必要であると説く理論である。一つ目の地域資源の動員は単なる地域の自然資源や文化資源だけでなく、人的資本も含む概念であり、地域の市民が主体的に運動に関わる必要性を主張している。二つ目の公的サポートについては、自治体や政府、公的機関などからの知識や資金面でのサポートの重要性を説いている。三つ目の外的刺激は、地域の市民の活動を促すために行われる知識人や専門家による知識面・実践面でのサポートや他の協同組合や地域外の組織との交流の必要性を指している。これらは地域住民が自ら運動を起こし、自治体から協同組合運動に必要な資金援助や専門家からのアドバイスを得ながら活動を広げて行ったことに通じており、この理論がイェムトランドモデルの中に反映されていたことが窺える。

イェムトランド県の人口の推移(1990年~2020年)
出典:Statistics Swedenより筆者作成(最終閲覧日:2023年3月27日)

 イェムトランドでは1983年に初めて共同保育所の協同組合ができてからの20年の間で、約300もの協同組合が誕生している。2000年時点の人口1万人あたりの協同組合の数については、イェムトランド県は17団体であり、全国平均の4.7団体の約3.6倍である。設立された協同組合の内訳を見ると、1980年代は他の年代と比べて保育所の設立が積極的に行われている。この理由は保育所の継続率が他の協同組合と比べて高いことから地域内での需要が高いこと、そして自治体からの補助金が他の種類の協同組合に比べて高いことが考えられている(太田, 2005)。その後1990年代以降は、高齢者福祉分野の協同組合の設立が増加している。その他の協同組合については、観光業や手工業、エネルギー、狩猟業などの産業系の協同組合や環境問題などの啓発活動を行う協同組合が多く設立されている。
 共同組合が設立されていった目的については、少し古いが1997年と2004年に行われたアンケート調査を参照したい(太田、2006)。このアンケートではイェムトランドの協同組合185団体に対して郵送のアンケート形式で行われた。
 まず協同組合が設立された目的について調査した回答では、社会サービスの提供が最も多く、2004年では全体の47.8%を占めていた。2004年時点ではそれに次いで、産業振興が23.9%、外部からの刺激が17.9%、村の存続・発展のためが13.4%となっている。目的としては、外部からの刺激を除けば地域社会のサービスや産業振興といった社会的な目的を理由に設立された協同組合が多いことが考えられる。
 また協同組合の存在意義について自由記述式の回答で調査した項目については、村や地域の発展が最も多く56.7%であり、次いでエンパワーメントが46.6%、連帯・地域社会での人間関係が40%、就労場所の確保・経済的利益が26.7%だった。
 以上のようにイェムトランドの協同組合は地域の発展という役割を担っていることを自覚しているということが考えられる。また1997年と2004年のアンケート結果の比較を行った研究では、両項目において1997年から2004年にかけて産業振興の割合が増加しており、社会サービスが充実したことによって産業振興の必要性が増加したということが考えられている(太田、2006)。
 イェムトランドモデルが確立していく中で、イェムトランド県の人口は1990年代前半には12.5万人から13.5万人まで回復することになった。

4-4. 「イェムトランドモデル」についての分析

 イェムトランドの活動は国内外からの注目を受け、1995年に「スウェーデンの地域開発 イェムトランドモデル」というレポートが対外向けに発表されている。イェムトランドモデルを紹介したレポートでは、イェムトランドモデルの特徴として、以下の4つが挙げられている。
 一つ目は、地域住民が主体となって課題解決を目指す「ボトムアップ」である。協同組合は地域住民が自ら目標を設定し、計画を立て、目標達成のための活動を遂行するという点に特徴がある。また活動の際には地域に生息するムース狩りや良質な雪を利用したスキーやスノーボード、地域の伝統産業である工芸品や織物などの地域資源を最大限に活用することが目指されていた。
 二つ目は協同組合の活動を行う市民同士が互いに刺激し合い、協同組合活動を促進する「ネットワーク」である。特に前述したように地域で孤立しがちであった女性をイェムトランドの活動に巻き込む際に、このネットワークが機能していた。
 三つ目は他の協同組合との協力関係や財政や情報提供によってサポートしてくれる自治体との「パートナーシップ」である。特に公的機関についてはイェムトランドモデルを構築する上で、財政的な援助によるサポートが重要であった。また公的機関とのパートナーシップは地域住民が行政に対して意見を主張することにも繋がり、地域民主主義を機能させる上でも重要な要素であった。
 四つ目は以上の三つの活動を促す「触媒作用」である。触媒作用とは、ボトムアップの活動を広め、複数の関係者とのネットワークやパートナーシップを構築していくために、特定の目的を達成するためのプラットフォームとして機能することが多い。例えば活動初期では、前述したスウェーデン中央大学の教授が知識面や実践面でのアドバイスを与え、イェムトランドで協同組合を広めることに貢献していた。
 その後1990年代後半には人口減少を経験し、人口は12.6万人ほどにまで落ち込んだ。しかし、その後2010年頃から人口は増加に転じ、2021年時点では13.2万人と1990年代のピークである13.5万人に迫るほど回復している。人口が増加した理由については、1980年代から引き続いてイェムトランドモデルを軸にした協同組合の活動が続いていることも一因である。またスウェーデン政府がストックホルム、ヨーテボリ、マルメを中心とした南部に移民が集中することを緩和するために、移民の割合が高い南部地域から北部地域に移民の流入を促す政策が取られるようになった(川瀬、2016)。その結果として、それまでは移民が少なかったスウェーデン北部の過疎地域にも移民が移住する事例が見られるようになり、イェムトランドの人口増加にもつながっていることが考えられる。
 以下ではイェムトランドの協同組合の活動とはどのようなものなのかについて、二つの具体例を参照していく。

4-5. イェムトランドの事例1:トロングスヴィーク社

 一つ目は1990年代後半以降、イェムトランドが再び人口減少を経験する中で誕生した事例としてイェムトランド県内の自治体の一つであるクロコム市における株式会社トロングスヴィーク社を取り上げる(小内、2017)。
 クロコム市は1980年代に著しい人口減少が進み、小学校の閉鎖やスウェーデンの大手スーパーマーケットであるICAの閉鎖が決まり、地域には生活に対する危機感が生じていた。そこでコミュニティセンターを運営していた協同組合と地元企業の60社が組織した起業家組合が、新しいコミュニティセンターの設立のために動き始めた。起業家組合は粘り強い交渉で国から合意を得ることに成功し、国が36%、コミュニティセンターの組合が32.4%、自治体が24.5%、地域の企業や住民が7.1%を負担することによってコミュニティセンターを設立した。コミュニティセンターの特徴としては、複数の公共サービスや買い物などを済ませられる場所を集約した点にある。コミュニティセンターには保育所、学童保育、郵便局、銀行、レストラン、高齢者施設、図書館、教会の礼拝堂、音楽堂、体育館などが併設されており、近くにはスーパーマーケットであるICAもあり、コミュニティセンターの周辺で様々な用事を済ませることができるようになっている。また一つの場所にサービスを集約したことで、そこが地域住民の交流の場としても機能するようになった。コミュニティセンターはEUプロジェクトの採択を受けたことで組合から株式会社に移行することになった。
 この活動において注目すべき点は二つある。
 一つ目は、持続的な事業スタイルを確立したことである。主な収益については収容されている公的機関や店舗からの徴収する賃料であった。コミュニティセンターは8割を貸し出しており、最大の借り手はクロコム市であり、確実で安定的な収入が期待できる。このほかに複数の民間企業が入居するインダストリーハウスを建設し、インダストリーハウスからの賃料によって収入を安定的に確保した。
 二つ目は地域の雇用を維持し、創出した点である。EUからの補助金が支給されていた1998年から2005年までの間で700人ほどの地区において34.5人の新しい雇用が生まれ、撤退する企業を存続させたことで24.5人分の雇用を確保した。トロングスヴィーク社は地域社会の発展に尽力し、中小企業のインキュベータとして機能することを掲げており、起業を支援すると同時に経験が乏しい経営者に対して地元の優良企業の経営者をメンターとしてつける支援を実施している。例えば、木製ドアを生産する企業が倒産したが、若い経営者を抜擢し、トランギアというスウェーデンのポータブルストーブのメーカーの社長がメンターとして支援することになった。
 この活動には、前述したイェムトランドモデルの4つの特徴が反映されている。まずトロングスヴィーク社の運営や前身のコミュニティセンターの設立は、地域の協同組合と民間企業が協力して行った取り組みであり、ボトムアップの活動であった。またコミュニティセンターにおいては、起業家同士が経営において助け合ったことや地域における公共サービスやお店といった多くの企業や団体との調整を行い、コミュニティセンターにこれらのサービスを集約したことに、活動におけるネットワークの存在を見出すことができる。更に活動における資金源として国や自治体とのパートナーシップが構築されていた。最後に活動初期に設立された起業家連合やトロングスヴィーク社が触媒作用としてボトムアップの活動やネットワークやパートナーシップの構築を促していた。起業家連合はボトムアップでコミュニティセンターの設立を目指し、他の協同組合や企業をまとめ、行政とのパートナーシップを築いた。トロングスヴィーク社は地域に根ざした中小企業のインキュベーターとしての役割を果たすとともに、資金面で行政とのパートナーシップを築いている。以上のように、トロングスヴィーク社の活動は、イェムトランドモデルの特徴を映し出している。

4-6. イェムトランドの事例2:イェムトランド・ヘルイェーダレン・ツーリズム

 二つ目に、イェムトランド・ヘルイェーダレン・ツーリズム(以下、JHT)と呼ばれる観光産業の協同組合の事例を扱いたい。JHTはイェムトランド県の観光業の発展を目的に、観光業関連の自営業者や民間企業などによって1995年に設立された協同組合である。イェムトランドにおいて観光業は主要な産業である。豊かな自然を生かしたハイキングやスウェーデンの中でも上質とされる雪を利用したスキーやスノーボードを目的に、人口13万人の都市に年間1130万人の宿泊客が訪れる。2021年の観光業のよる売り上げは56億SEKであり、地域に7700人分の雇用を生み、多くの税収を県にもたらしている。
 近年JHTは、観光業の新たな発展のためにデジタルトランスフォーメーションの促進を進めている。2019年1月からJHTは、2年かけてデジタル媒体を使って商品やサービスの宣伝を行い、観光客とのコミュニケーションを通してニーズの調査や新商品・サービスの開発を行い、競争力を向上させる取り組みを行うことを目指した。また2020年から新型コロナウイルスのパンデミックが発生したことで、JHTは新たにデジタルコミュニケーションについての講座と個別トレーニングの実施を行った。企業の紹介をJHTのHPやニュースレターへ掲載するためのスキルアップも進められた。DXの取り組みは2年間で終了する予定だったが、コロナ禍でのDXの需要の高まりもあり、1年間延長して2022年12月にプロジェクトが完了することになった。
 最終的にデジタル化を進めるためにJHTが実施したプロジェクト数は104になった。コロナ禍によるデジタル需要の高まりもあり、JHTの取り組みの結果としてデジタル技術を向上させた企業・団体は目標だった40社を大きく超える256社に上った。また設立から3年以内に誕生し、プロジェクトへ参加する企業数については、目標の10社を大きく上回る43社が参加することになった。また参加者の内訳については81%が女性、19%が男性であり、女性の参加者が大半を閉めることになった。
 2020年は、新型コロナウイルスの影響でイェムトランドの観光業は大きな打撃を受けていた。外国人宿泊客は前年比で67%減少し、観光業の売り上げは0.92億SEKと前年から約2割減少していた。しかし、JHTが中心となって新たに観光産業のデジタル化を進め、新しいスキー客への認知を広げたことで、2021年のスキー客はコロナ以前の2019年に比べて17%増加した。
 このようにJHTは、コロナ禍による観光業の停滞という事態に陥った際に、協同組合を中心に自らデジタル化を進めることで地域課題の解決を目指し、協同組合が講座を開き、デジタル化を進めるプラットフォームとして機能した。個々の事業者もお互いに刺激を与え合いながらDXを積極的に進めたことで、想定を上回る成果を上げることになった。
 JHTの事例では、市民が協同組合を通して課題の解決を進め(ボトムアップ)、事業者がお互いに参入を促し合い(ネットワーク)、協同組合と協力しながら(パートナーシップ)、講座や個別トレーニング(触媒作用)を活用したことでデジタル化が進み、コロナ禍以前よりもスキー客を増加させることにつながった。ここにもイェムトランドモデルの4つの重要な要素であった「ボトムアップ」「ネットワーク」「パートナーシップ」「触媒作用」を見出すことができる。

4-7. 小括

 ここでイェムトランドの事例をまとめる。
 工業の集積地から離れ、第一次産業が中心だったイェムトランドは、日本の過疎地域と同様に1950年代以降から急激な人口減少を経験した。1980年代には保育所の設立をきっかけに、協同組合の運動の歴史や地域の知識人のサポートを受けて、市民が地域課題を解決するために自主的に協同組合を設立する活動が展開された。この活動は「イェムトランドモデル」と呼ばれ、国内外から注目を集めるようになった。イェムトランドモデルでは、市民が課題解決のために主体的に活動する「ボトムアップ」、市民の活動が他の市民の活動を促進する「ネットワーク」、他の協同組合と協力関係を構築する「パートナーシップ」、そしてこれらの活動を促進する「触媒作用」を特徴としたモデルであった。これらの特徴は、トロングスヴィーク社やJHTによる観光業のデジタル化を促進する活動に見られた通りである。

4章の参考文献

  • Anne Adsten, JHT, Final report: The digital transformation 2019-2022, Jämtland Härjedalen Tourism, 2022-12-22, https://jht.se/slutrapport-den-digitala-transformationen-2019-2022/(最終閲覧日:2023年5月7日)

  • Jämtland https://www.citypopulation.de/en/sweden/admin/23__j%C3%A4mtland/(最終閲覧日:2023年5月7日)

  • Jämtland Härjedalen Tourism HP https://jht.se/en/(最終閲覧日:2023年5月7日)

  • Lars Häreblad, Nordanalys and Anne Adsten, JHT, Fact about tourism in Jämtland Härjedalen 2021, Jämtland Härjedalen Tourism, 2022-10-24, https://jht.se/snabba-fakta-om-turismen-i-jamtland-harjedalen-2021/(最終閲覧日:2023年5月7日)

  • Pestoff Victor,  Between Markets and Politics Co-operations in Sweden, Frankfurt am Main: Campus Vlg, 1991

  • Statistics Sweden https://www.scb.se/(最終閲覧日:2023年5月7日)

  • Tillväxt verket https://tillvaxtverket.se/tillvaxtverket/omtillvaxtverket/omwebbplatsen/felsida404.3534.html(最終閲覧日:2023年5月7日)

  • イェムトランド統計, https://www.citypopulation.de/en/sweden/admin/23__jämtland/ (最終閲覧日:2023年5月7日)

  • 太田美帆, 2006, 「スウェーデンの過疎地域における「新しい協同組合」の動向」, 北ヨーロッパ研究, 2006, 第3巻, pp.75-82

  • 川瀬正樹, 2016, 「スウェーデンにおける移民の流入と居住分化ーイェーテボリを事例として」, 修道商学, 第57巻, 第2号

  • 小内純子, 2008, 「スウェーデン過疎地における地域再生運動と支援システム(上)ー「イェムトランドモデル」を支える構造ー」, 社会情報, vol.18, No.2, Dec. 2008, pp.1-15

  • 小内純子, 2009, 「スウェーデン過疎地における地域再生運動と支援システム(下)ー「イェムトランドモデル」を支える構造ー」, 社会情報, vol.18, No.2, Mar. 2009, pp.1-13

  • 小内純子「2 スウェーデン “過疎地”における地域再生運動」, 『シリーズ田園回帰8 世界の田園回帰』(大森彌, 小田切徳美, 藤山浩編著), 農山漁村文化協会, 190-197, 2017-3

  • 中道仁美, 小内純子, 大野晃, 2012, 『スウェーデン北部の住民組織と地域再生』, 東信堂

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次章:第五章・デンマークの地域政策:

その他の章:
第一章・概要:https://note.com/japanordic/n/n9a65072dc51f
第二章・スウェーデンの地域政策:https://note.com/japanordic/n/n4252f89ef077
第三章・マルメ:https://note.com/japanordic/n/n26e33b74518c
第六章・ロラン島:https://note.com/japanordic/n/n06f49becdd3b
第七章・ボーンホルム島:https://note.com/japanordic/n/n9bc056ddf635
第八章・考察:https://note.com/japanordic/n/nf73754eacc52

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