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わたしの旅遍歴〜その②人生はワンチャンス

こんにちは。青碧(あおみどり)です。

こちらは5月4日の月曜日。Instagramは "May the 4th(force) be with you" で盛り上がる本日。スターウォーズの「フォースと共にありますように」のもじりです。

①の続き。

出会いが人生を変える

オーストラリアにワーキングホリデーに行く前は本当に保守的というか海外に住むことなんて考えられなかったわたし。英語は割と好きな科目だったけど短期留学ですら考えたことがなかった。それがケアンズに旅行に行った時に出会った現地で働くキラキラした日本人との出会いによってワーキングホリデーというものを知り、行ってみたいかも、いや、行きたい!行く!と実行してから人生が変わりました。(当時働いていた会社での仕事が本当に退屈だったことも大きな要因。)
保守的だったわたしは海外に出て広い世界を体感し、帰国したはいいものの日本に定住することができなくなってしまった。きちんとした日本は素晴らしいけれど時々息が詰まる。もともと真面目気質でもっとゆるく生きられたらよかったのに自分ではそれができず、海外ではゆるい環境の力が大きな力になってくれたのかもしれません。
とは言え、海外で暮らしたくてもわたしには何のスキルもなく、英語が少し話せるようになっただけで仕事も一般事務的なことをしてきただけ。医師、看護師、美容師、ITスペシャリストなどのスキルがあればまだ海外で働くチャンスはあっただろうけど、何もなかったためにかろうじて見つけたチャンスがアメリカのJ-1インターンシップビザというもの。このビザにワーホリのような年齢制限はなかったのものの、32歳のわたしが研修ビザでアメリカで仕事をすることができるのか?アメリカ大使館面接で落ちる可能性も多分にありながら、100万円かけてエージェントのサポートを受けて準備を進め、面接にかろうじて合格しアメリカで働くチャンスを得ました。期間は1年半。インターンシップとしてバイト代程度のお給料をもらいながら働けるビザなため生活費は何とかカバーでき、現地での生活を楽しみつつ移住への野望を持って仕事していたところ会社が倒産して夢叶わずして帰国。。。2011年東日本大震災が起きて程なくしてからのことです。

何が何でも諦めない

海外移住が叶ったのは2016年末なのでインターンシップから帰国してから約6年後です。この6年の間は日本と海外を行ったり来たり。そうでなかったら日本で暮らすこともままならなかった。紆余曲折いろいろあったし諦めそうになったけど何が何でも諦めなかったからチャンスが巡ってきて、前髪しかないと言われるチャンスの神様の前髪をつかまえられたのだと思います。友人にも「スゴイね、本当に夢を叶えたね」って言ってもらえたくらい。
「人生はワンチャンス!」という本があります。人生はワンチャンスではなく幾度もチャンスは訪れますが、そのチャンスとの出会いは一度きり。その時に行動するかしないかでその後の人生は大きく変わる。たいして何もできない割に行動力はあって良かった!移住してからはわたしにとって第二の人生なので謳歌するぞと思う今日この頃です。


Today's
⬜︎English phrase or word:tan hides(皮をなめす)
⬜︎Exercise:ウォーキング40分、骨盤ストレッチ
⬜︎Study for work:experiment
⬜︎Fruits:Papaya, Apple, Strawberry
⬜︎Gratitude :あの時行動した昔の自分にありがとう。

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