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生きる理由とか

 何年か前までは、この電車に毎日乗っていた。
 ぼんやり揺られていると音声案内が懐かしい名前を呼んだので、キャリーケースを引いて電車から降りる。穴の空いた小さな切符を改札に通して出ると、駅を囲むようにぐるりと店が立ち並んでいた。毎年訪れるたびに少しずつ変わってゆくけれど、見慣れた桜並木だけは無くなることがない。街灯につけられた桜祭りの小さい旗がゆるい春風にはためいて、白にほんのわずかに桃を混ぜた色のソメイヨシノが満開を迎えようとしていた。

昔からあるチェーンのクレープ屋に立ち寄って、いちごチョコを頼む。
「帰省ですか?」テキパキと注文を受けながら若い店員さんが私に尋ねる。
「はい、大学で遠くに出ていて」
「ゆっくり楽しんでいってくださいね」差し出されたクレープを受け取る。丁寧に巻かれた生地の間からふんわりとしたホイップとイチゴが覗いていた。

いつの間にかこの街は私の家ではなくなって、たまに帰り着く故郷になった。まだそれほど長い時間がたったわけではないけれど、かつての思い出を覗きながら歩くことばかりになった。

知らない世界を見たい。遠く、遠くに行きたい。

いつからかそうやって漠然と、衝動的な何かに突き動かされるように進んできた。どこに向かうのかわからないまま闇雲に、でも確かに足を踏み出して進んできた距離。その道程全てを愛おしく思いながら、その最初にこの街があること、そして今もあたたかく迎えてくれることを嬉しく思う。ここが故郷になって本当によかった。

 何かを始める前に振り返るための季節が春で、今回もまた古い友人と会ったり、よく遊んだ場所を訪れたりした。

「私、中学の時瑠花を見て教師目指したいと思ったんだよね」

 大学の教育学部で学んでいる彼女とは夜が更けるまで長い話をした。他愛ない思い出話のほかに、若者らしく今の夢を語り合ったりした。
「どういうこと?」全く思い当たる節もなく眉を顰める私に、彼女は目を輝かせて言う。

「瑠花は遠くの高校行ったでしょう?ここからは他に誰も行かないような。
でもやりたいことやりたいって、誰に反対されても曲げなくて。真っ直ぐで、正直な姿がとてもキラキラして見えてたの。だから、私が教師になったらそうやってみんなに輝いてほしい。やりたいことを見つけて頑張れるような、生き生きとした人生を送ってほしい。」

 少し照れたように視線を外しながら、笑う彼女にどきんと胸を掴まれるような気がした。 
 「私のことが憧れだった」と彼女は続けてそう言ってくれたけれど、私は昔からそんな褒められた人間ではない。小学校の頃から周囲と自分を比較して、ズレないように合わせつつもどこか不自然にはみ出てしまう自分に劣等感ばかり感じていた。興味の範囲は限定的で、範囲外のことはとんと努力できない性質だった。だいたい彼女と毎日会わなくなった高校3年間だってうまくいかないことばかりで、どうにも掴みきれない”自分”と言う存在にひどく振り回されて、今になってもあらゆる点から社会不適合者と言わざるを得ない有様である。
 当時から彼女の方が勉強だって全然できていたし、学級委員だって務めていたじゃないか。私なんかよりも余程立派で、大学生になっても教員になるという夢をきちんと形にしようとしている。

 彼女の見ていた私はどんな姿だったんだろう。少なくとも私が知る”わたし”と全然違う。たしかに、いわゆる普通とは少し道を外れて進んできた。それは何かをやりたいという思いよりもこれをやらなくては私は生きていかれないのではないだろうかという極めて切実で必死な選択がほとんどで、満身創痍になりながら這うように生きてきた感覚が近い。
 でも、そんな自分でも、輝いて見えることがあったのだ。誰かに影響を与えることがあったんだな。胸に何か温かいものが広がってじんとした。この上ない僥倖だと思った。それだけで自分が生きてきた価値があるかも知れないと思った。

 あぁこれは死んじゃダメだ。
 彼女をはじめ、大切な友人や家族にも誰にも今まで言えた試しがないけれど、私は自分自身が嫌いでたまらなくて命を絶とうとした瞬間がこの人生で幾度となくあった。みんなと同じようにできることの方が私には羨ましかった。堅実な人生がどれだけ得難く、良いものかと思っていた。
 彼女のためにも、彼女が教える未来の子供達のためにも、きっと生きてやろうと思った。やりたいことをやる人生はとても苦しい。でもそんなものどうでも良くなるくらい楽しいのだと。生きて、笑顔で、証明しなければならない。

 生きる理由とか、自分の価値とか、情けないくらい見つけられずにいたけれどこんなにもそばにあったのだと思った。
 最近思いがけないタイミングで、人生の伏線回収みたいな出来事が起こっている。自分で想像のつくことは8割実現することがなくて、いつも予想のつかないところから不意に訪れるので神様は良い塩梅でこのゲームを続けさせるなぁと思う。
 何もわからないままがむしゃらに手を伸ばして生きていたこと、まっすぐしか歩けないまま進んできたこと、遠回りばかりだけれど今はその無駄も愛してやろうと思う。



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