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【女性起業家日記】結局、私たちは誰の顔を見て仕事をするのか

仕事が楽しいと人生が楽しい


古巣、リクルートで多くの人材関係の人が大事にしている言葉です。

会社としての正式なスローガンみたいなものではありませんでしたが、
私もこの言葉がすごく好きで、今もふと仕事のことで悩んだ時には、この言葉を思い出します。


個人的に
笑っていると福が来る
と心から信じているので、私はよく笑いながら仕事をしています。

Zoomでも対面でも、そして顔の見えない電話でも、基本笑顔で話すように心がけています。

これは広報やPRなどを仕事にしているからではなく、
私自身が常に幸福そうに仕事をしていたいからです。


なので、友人からは
「相変わらずいつも楽しそうに仕事してんなー!」
「仕事でツラいこととかなさそう!いいなー!」
などとお声がけいただくこともしばしば。

で・す・が


仕事をしていれば、胸をかきむしるくらいツラいことや悔しいことは山ほどあります。心労で眠れぬ夜を過ごすことだってあります。

でも「この仕事、ひと山超えたら絶対楽しかったと思える」
と思う仕事なら、どんなにツラくても笑顔でやり切ろう
と心に決めています。

「●●になったら始めよう」と思っていることがあったらすぐに始める


実のところ、尻込みしたり、足を止めたりすることが多かったこの半年の私。

色々理由を思い返してみると、やっぱり原因は自分にありました。

いわゆる「すごい」方々に会う機会も多かった半年で、自分の不甲斐なさを感じることもありました。
また同時に、非常に多忙を極めた半年で、そんな中でもやっぱり期待値を超える成果を出したい、と思えばこそ、2年先、3年先を見て仕事をすることに少し恐怖を抱いていました

「もう少し今の仕事が落ち着いたら、新規事業をやろう」
みたいな大きな話から
「noteでいっぱしなことを書くのは、もう少し成長してからにしよう」
みたいなレベルの話まで、色々自分の心にストップをかけていました。

発信をする時の鉄則=「自分を一番応援してくれる人」を思い浮かべながら作る

ここで発信の話が出たので少し話をそらしてみます。

発信を始めると、こんな小さな零細企業のCEOの言葉であっても、意外といろんな方に届くものです。

そうすると、いろんな人の声が届くようになります。

有名な話ですが、100の肯定的な意見があっても、たった1つの否定的な意見があると、そこに心が全部持っていかれるんですよね。

起業してからというもの、企業勤めだった頃に比べて何倍もビジネスなどで薄くつながる人が増えました。それに伴い、いろんな種類の人にも出会うようになります。


自社でリリースを出してみたら
「あのリリース、社長自ら書いたでしょ!バレバレすぎてさすがに笑ったw」
とか

SNSで発信しているのを
「広報の仕事してるのに万単位のフォロワーいないと、普通恥ずかしくて発信なんかできなくない?」
「SNS発信やって、自己肯定感上げようとか思ったことないから、私にはちょっと理解できない」
と言われたり…

本当に色々なことを言う人がいるものです。

普段ニコニコしている私ですが、わりかし言いたいことは笑いながらちゃんとと言う方なので、それなりに言い返しますが、言ったあともそんなに心が晴れないのは事実です。

「あ〜、この情報発信、あの人に見られてるんだ〜」
とか、ついつい意識して縮こまっちゃうんです。(相手の思うツボ!)

最近足を止めることが多かった中で「このままじゃいかん!」と最近心に決めたのは

「自分の親友や家族など、自分のことを心から応援してくれる人を思い浮かべながら発信をすること」

前述のように、たったひとつの否定的なコメントを気にして、当たり障りのない、なんのパッションもない情報発信をしたって、誰にも刺さらないのです。


だからこそ、この細々やっているnoteだって、もしかしたら
「お前もっとBIGになってからそんな偉そうなこと言えよ〜」
と思う人が、見ているかもしれない。

だけど、そんなこと気にしていたら、たぶん10年後も同じこと言ってるはずです。もう気にしない。

人の努力や挑戦、失敗を笑う人とは付き合わない

千里の道も一歩から。

まさにその通りで、何の努力も挑戦もしないで、何かを成し遂げる人はいません。
それに、人生で1度も失敗をしないで生きていける人もいません。

一方で、努力や挑戦、失敗を「笑われた」経験が一度も無い人もいないのではないでしょうか。


最近、
今まで不遇な思いをしながらも必死で頑張ってきた、自他共に認める努力家が、
同僚が必死に作った提案書がメタメタにダメ出しされる姿を見て、薄ら笑いを浮かべてバカにしているのを見た時は、頭の芯がツーンと冷たくなるような感覚がしました。


自分の努力や挑戦や失敗を笑われる悔しさを皆知っているのに、なぜそんなことをしてしまうのか

それって、もちろん嫉妬とか、あの人に負けたくないとか色々あると思います。
ただ、私はあまりそこを深掘っても意味がないように思うのです。なぜならその辺の話ってもう、理屈じゃない、なんか人と人との原始的な相性のような話だと思うんです。

テレビで初めて見た人なのに、なんか好きだなぁと思うとか、
会った瞬間にこの人なんか無理って思うとか、
そういった原始レベルの話です。


だから、自分にそうゆう言葉を浴びせて、歩みをじゃましようとする人は、たぶんどんなに話し合っても、わかり合おうと努力しても、心根のところでは変わらない


たとえ表面的に仲良さそうにしていても、その人が幸せそうにしていたり、うまくいっていたりすると「チッ」って思って、ちょっとその人の心に引っ掛かるようなことを、言ってみたくなる。足を引っかけたり、失敗を喜んだりしたくなるんです。


それはその人が性格が悪いとか、自分の態度が悪いとかいう問題ではない。
相性の問題です。


前述の同僚の失敗に薄ら笑いを浮かべていた人だって、いつもそうして意地の悪い表情を見せているかというと、そうではない。
とても心優しい顔を見せることだっていっぱいあるのです。


だからこそ、自分と相性の悪い人とは付き合わないに限ります。


40歳を超えてくると、そうゆう人は会った瞬間に大体わかるようになります。

大人ですから、仕事などで一時的に付き合わざるを得ない人もいます。

ですが決してそういった相性の悪い人と「わかり合おう」とか「好きになってもらおう」とかは思いません。もう、別の惑星に住んでいる、決して何かを分かち合うことの無い異星人だと思って付き合うのが一番です。

結局、誰の顔をみて生きていくのか

特に起業すると、極端に言えば自分の生きる世界を選べるようになります。

そんな時に、誰の顔を見て生きていくのか。
私の答えは「自分自身」です。

情報発信ひとつとっても同じです。
自分自身が胸を張って自分を映した鏡に「今日1日、よく頑張ったね」と声をかけることができるか


人の顔色ばかり気にして、「あの人に嫌われたら、怒られたらどうしよう」心にモヤモヤがあると
仕事をしていても、遊んでいても、趣味に没頭していても、楽しくないです。


「今自分が悩んでいることは、明日の…1年後の私のためにもなにますか?」
自分自身に問いかけるように、生きていきたいものです。

「強くて優しい女性になる」

今は40歳になりました。
80歳まで現役でいるとするとちょうど折り返し地点。

100人いたら100通りの生きざまがある中で、自分はどう生きたいか?

この半年、停滞している自分への不甲斐なさから、何度も何度も問いかけたこの質問。

私のたどり着いた答えは
「強くて優しい女性ひとになる」
でした。


ただ優しいだけでは守れない人がいます。自分自身も守れません。
だからこそ、強くある。

こんなにもすばらしいけれど、厳しくもあるこの世界。
そんな世界においても自分の良心に従い、自分の身の回りにいる人だけでも幸せにできるような、強くて優しい人になりたい、と私は思います。

最後までお読みいただいてありがとうございました✨

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